共同親権が成立したら変わることー養育費はゼロになる?

養育費はゼロになるということは、男性の側で育児分担が進むということでいいことなのに、男性の子育てをどうしても歓迎できない方の偏った意見です。
ちなみに、千田さんが紹介しているオーストラリアの親権法の変遷については、千田さんと同じ社会学をしている濱野さんが、その一方的な解釈を批判しています。千田さんは学者なのに読んでないんでしょうか。

シリーズ 週刊金曜日のデマとヘイト
第3回 「共同養育が法的に廃止されたというのは極端」(前)

オーストラリアの親子法の変遷
濱野 健さん(北九州大学文学部准教授)インタビュー

シリーズ 週刊金曜日のデマとヘイト 第3回 「共同養育が法的に廃止されたというのは極端」(前)

シリーズ 週刊金曜日のデマとヘイト 第3回 「共同養育が法的に廃止されたというのは極端」(後)

オーストラリアの親子法の変遷
「共同養育が法的に廃止されたというのは極端」
濱野 健さん(北九州大学文学部准教授)インタビュー
http://kyodosinken-news.com/?p=9150

 

(写真:アフロ)

日本でも、離婚後の単独親権制度を見直しが始まるようだ。

7月17日の記者会見で、上川陽子法相が認めた。一定の結論が出れば法制審議会に掛けられ、日本でも共同親権が成立するかもしれない(共同親権の導入検討=離婚後夫婦の子めぐり-法務省)。

共同親権といっても、日本では離婚後は単独親権だったため、イメージしにくい。私たちの生活は、どう変わるのだろうか。

例えばアメリカでは、共同親権は、身上監護(子どもの養育)と法的監護(子どもに関する決定)にわかれている。先の記事には、

親権を失った親は子どもと交流する機会が制限され、「子の利益」にかなわないケースがあるとの指摘が出ている。

出典:共同親権の導入検討=離婚後夫婦の子めぐり-法務省

と書かれているが、これが関係するのは、主に身上監護の方だ。

アメリカでも多くの場合、身上監護は母親が単独で持ち、父親が「面会交流」でそれを補っている。日本でもここ10年間ほど、とくに民法766条の改正以後、裁判所は原則面会交流を命じている。夫婦間の暴力(DV)は子どもには無関係であるとし、子どもの虐待を理由に面会を制限するには、診断書などのかなりの客観的な証拠を必要とするのだ。実体としては、この共同監護に近づけようとしてきたといってよい。

今の家庭裁判所の面会交流の基準は、月に1回、多くて2回である。アメリカ並みを目指すのであったら、確かにもっと多くなるだろう。アメリカでは、「週末は隔週で父親と母親と過ごすことにして、平日も完全に同じ時間を父親と母親との家を行き来して暮らす」というものから、「月火は母親と、水曜日は夕ご飯を食べて父親宅で過ごし、木金は母親と過ごし、週末は隔週で父母宅を行き来する」というようなものまでいろいろなパターンがある。

離婚しても両親と過ごせるというメリットがあるが、子どもはやはり、落ち着かないというデメリットがあるようだ。夫婦は子どもの養育をめぐって、緊密に連絡を取り合わなければならない。個人的には、「水曜日の夜と週末」だけの養育をするのが一番、子育ての醍醐味だけを得られそうといったら叱られるだろうか。

育児が実際に同等で父母の給与に差がないなら、養育費は論理的にはゼロになる。養育費を削減する目的で子どもの監護を多く得た親が、結局は子どもを放置してネグレクトをするのは、よく耳にすることである。

以前のインタビューで小川富之教授(福岡大法科大学院)はオーストラリアに関してこう語っている。

また面会交流は、非同居親(多くの場合父親)の支払う養育費を抑制し、同居親(多くの場合母親)と子どもの貧困を作り出しました。子どもと過ごす時間を増やせば増やすほど、養育費負担を減らすことができます。ですから、養育費の抑制目的のために、子どもとの面会時間をより多く確保しようとする親がでてきました。しかし同居親として実質的に養育にあたっている親が、子どもの日用品を買ったり、教育に必要な費用、病気等での支出といったような、重要な経済的負担を負うという状況は続くわけです。結果的に、同居親の経済的負担は変わらないにもかかわらず、非同居親の養育費の負担が減ることになりました

出典:オーストラリアの親子断絶防止法は失敗した―小川富之教授(福岡大法科大学院)に聞く

夫婦の間で連携がとれ、親子関係が良好であったら共同監護は素晴らしいだろう。ただそうでない場合は、親による子どもの殺人事件や虐待をも生み出してもいるところが、難しい。アメリカでは、年間何10件もの、親による子どもの殺害事件がある。暴力を理由とした面会交流の拒否は、なかなか困難であるし、予見できないからだ

ちなみにオーストラリアもイギリスも、父親と母親が完全に平等に監護を負担する割合は、だいたい数パーセント程度である。

一方、子どもが離婚前に虐待を受けていたり、夫婦が子育て方針をめぐって対立したりするケースも想定されるため、共同親権を認めれば「子の利益」を害することになるとの慎重論もある。

出典:共同親権の導入検討=離婚後夫婦の子めぐり-法務省

記事のこちらの懸念は、身上監護の際の問題も含まれるが、法的監護にもかかわってくるだろう。実際に子どもを育児していない側も、子どもに対して、法的な権利をもつことになる。進学、医療、宗教といった多くの事柄に関して、監護をしていない側の同意を取る必要がある。進学先をどうするか、塾に行かせるのか、部活をどうするのか、歯の矯正をしてもいいか、カウンセリングを受けさせてよいか、手術をどうするか、ましてや再婚したからの養子縁組などは、離婚時の取り決めにもよるが、親ひとりでは決められなくなる。

法務省は離婚後の両親の関係が良好である場合を条件とすることなども含め、共同親権の検討を急ぐ方針だ。

出典:共同親権の導入検討=離婚後夫婦の子めぐり-法務省

これは致し方ないだろう。共同親権は、離婚しても子どもと親との縁が切れないというメリットはあるが、導入されてからは「暴力」の問題に悩まされ、多くの国で法改正を余儀なくされている。子どもの安全への配慮から、双方が合意しないかぎり共同親権を命じることはできないという方向に、変わってきている。

21世紀に入ってからは、共同監護の問題性がとくに問題になっており、親の権利性の抑制、どのようにして軽減していくかということが大きな課題となっています。オーストラリアでも名称が、親権(Parental Authority)から共同監護(Joint Custody)、そして分担親責任(Shared Parental Responsibility)へと変わってきています。手を携えて共同(joint)での監護(Custody)を必要とする場面は否定しませんが、父親、母親、また監護親、非監護親、主たる監護と従たる監護といったような、さまざまな親の立場から子どもへの責任を分かち合う(share)という考え方への転換です。それなのに日本で共同親「権(利)」を目指すといったような、このような時代に逆行した動きが、なぜいま出てくるのか、それが大きな驚きでもあります

出典:オーストラリアの親子断絶防止法は失敗した―小川富之教授(福岡大法科大学院)に聞く

これは親子断絶防止法案(共同養育支援法案と名称を変更)についてのインタビューであるが、親のためにではなく、いかに子どものために法制度を構築していくのかということは、重要な課題である

とくに共同親権の制度を形成するならば、子どもを連れての転勤(リロケーション)、海外への移動などに相手の同意が必要となるなど、離婚した親は大きな拘束を互いに強いられるようになる。裁判所の関与の部分が高まり、気軽に協議離婚はできなくなるだろう。

その一方でアメリカのように(州によるが)、例え浮気をした有責配偶者であろうとも、どちらかが離婚といえば離婚が成立するようにするのか(「ノー・フォールト・ルール」)など、議論する課題は多く残されている。すでに離婚している人たちにとっても、無関係な問題ではないかもしれない。繰り返すが、丁寧に議論を重ねていく必要があるだろう。

6年前