「原則面会交流実施」の実態(前)
古賀礼子さん(弁護士)インタビュー
週刊金曜日の特集「『親子断絶防止法案』は誰のためのもの」(2017年5月19日1136号)という特集について、シリーズで各界の人物に意見を聞いています。
2回目は、弁護士の古賀礼子さん。自身も、離婚経験のある同居親である一方、仕事でも面会交流事件など親子関係や夫婦関係を扱うことが多く、子どもに会えない父親たちが父子関係を取り戻すのに尽力してきました。kネットは、断絶規定が付加された「親子断絶防止法」については反対を表明しましたが、古賀さんは親子断絶防止法については一定評価しています。
家裁に行けば本当に子どもと会えるのか?
――週刊金曜日の今回の特集では、冒頭、斉藤秀樹弁護士が「問題のある別居親のための法律はいらない」というタイトルで寄稿しています。
別居親さんたちが携わったという経緯はあっても、この法律は問題のある別居親のための法律じゃない。別居親さんたちが問題があるかどうかも疑義があるけども、法律はとにかく同居親も別居親もそれぞれ子どものとの関係を維持・構築するというためのものであって、じゃあだれのためなのかと言ったら子どものためや、みんなのためにはなると思う。
同居親にとっても、法律があることで私は面会交流義務を果たしたいけれど、いろんな支障がある中で、社会が支援してくださいっていう根拠にはなるはず。なぜ別居親のためだけのものだと決めつけ、それを否定する必要があるのかは疑問です。
――「問題のある別居親」という言葉の前提には、「現在、家庭裁判所では、別居親から面会交流の申立てがあれば原則として面会交流をさせる方針をとって」いるという主張があります。ぼくらの実感とは違いますが、本当に家庭裁判所は、原則面会させる方針を取っているんでしょうか。
会せた方がいいという方針は裁判所の立場としてあると思います。
――「DV・虐待等の訴えが出ていても子の福祉に反することを立証できない限り面会を認めている」とも斉藤さんは言っています。
そういう審判を直ちに出してくれるなら我々のような別居親を支援する弁護士は楽です。我々からすると、DVや虐待などの訴えを出していることも含めて、会わせたくないという立場の人に過度に配慮する傾向が一方であると感じています。
――「含めて」というのは、そうじゃないというのも入っている。
そうです。そもそも、DVだから会わせない、虐待だから会わせないとかそういうことだけが問題なのではありません。同居親がDVを「訴えている」ことなどのケースでは、「同居親の負担」に裁判所が配慮する傾向があって、これが子の福祉、親子関係の観点から行き過ぎた配慮ではないかと感じるのです。この意味で問題はDV被害を申告しているケースに限らないのです。
なぜ会わせたくないのかと裁判所、調停委員は丁寧に時間をかけて傾聴して、かみ砕いて紐解いて、まずは試行面会という安全な場で実施しませんかという提案に持っていく。それでも、なぜか同居親側が断ることもある。
――週刊金曜日がkネットに示した見解では、調停一回目から、「面会交流を制限すべき特段の事情はない/面会をするかしないかは協議しない/どのように面会するかを協議する――という方向で、3回程度の期日で合意できなければ、裁判所が決定すると宣言しているのが実務の状況」と現状認識を示しています。
それは実感としてない。
初回にまず、別居親が「子どもに会いたい」と伝えて、会えてない状況を述べる。同居親は、同居親自身の不安など、それって面会交流をさせない理由になるんですかという疑問があることもありますが、あの手この手で面会交流を拒否しようとする同居親の話にまず傾聴する。子の意思ではなく同居親の感情の問題なので、試行面会も拒否されることがある。
ひどい時は、裁判所もそんな同居親の不安に配慮して間接交流しか認めないこともある。間接交流は本当の交流ではないから、何年も会えなくなる。
よくても、裁判所は決定で面会実施の一刀両断なんてことはしてくれなくて、期日を何回も重ねて、調査官の努力などで本当にゆっくりゆっくり動かしていく。そうやって、ようやく、多少なりとも会えるようになることがあるという感じです。
たしかに、面会は双方の協力関係でやるのが子にとっても望ましい。そんなことは別居親だって誰だって分かっている。でも、理解がない同居親もいて、それが裁判所の事件になっている。だから、まず、一刀両断で面会実施という厳しい姿勢をみせることが、結局、その後の対話にもつながると思うのですが、実際はそうではなくて、丁寧に同居親に配慮をしてしまっている。これが実感です。
――調停・審判で何らかの面会交流の取り決めができている割合は、2015年度の司法統計では53%でした。2008年には49%です。その間、民法766条が改正され、面会交流の文言が民法に明記されました。この数値を示して、原則面会が認められているという内容の記事はおかしいと週刊金曜日に指摘したところ、1カ月半たった回答では先の裁判所の指針を示されました。3回で調停が終わり、審判で子どもに会えるっていうケースはありましたか。
ないない。すくなくとも私の担当した事件では。調停もなかなか終わりにしてくれませんし。だいたい、審判に移行したってすぐに決定がでるわけではないし、決定後に決定を守らない同居親もいる。実際に会えるようになるにはやはり長くかかる。
離婚も含めて会える形で一応解決したはずなのに、そこから会えなくなって裁判所から会わせるようにと履行勧告をしてもらっても無視される。その状況で再び依頼されるとか。調停まではご本人でされていたけど、離婚後にご依頼いただくケースもあります。
――ぼくたちも協力して日弁連が実施した2014年のアンケートでは、裁判所で調停合意に達しても44%しか交流を維持できていない。約束したのに会えない。
審判で裁判所が面会を命令しても平気で一年くらい無視します。そこであらためて裁判所のお世話になってやっと会えるようになったなということもある。でも、幼くして親子関係を断絶されていれば、お父さんをお父さんとして認識するところから始めなければならないときもある。
認識はしたけれど、いわゆる片親疎外(片親への子どもの拒否反応)ってこれか、みたいな場面を見ることはある。お父さんと遊んじゃダメって母親側が平気で言っていたりして。
そうすると会えないときは一瞬でも姿を見たいという思いでがんばっていたお父さんも、会えるようになっても実質的な交流ができていないとなる、また心を痛める。
――諦める人も出てくる。
そういう気持ちになっても不思議ではない。そんな簡単に決まらないし、面会交流が安定して実施できているか、常に見守っていかなきゃいけない。
原則的交流を一様に善とする発想は現実離れ?
――斉藤さんは、そもそも原則的に会わせること自体がよくないという立場で法案反対の主張をし、週刊金曜日が記事を作った。他にも大手紙が同様の主張を紹介しています。
原則面会交流実施に反対するとはいっても原則父母がいる。生物として父がいて母がいないと子どもは生まれてこない。大多数の普通のご家庭のお子さんは二人で育てられる。離婚家庭のお子さんの背負う傷は大きいですけど、「父か、母か」になるのはなるべく避けられるなら避けたほうがいい。
――しかし、「親子の原則的交流を一様に善とする発想は現実離れしているだけでなく、逆に面会交流の強要は子どもの心身を害することが臨床学的にも明らかになった」(斉藤)だそうです。
じゃあ、離婚していない一般の家庭はどうしたら……。
――「面会の可否は、子の意思・心情を専門家が十分な時間をかけて診断し判断すべきだ」(斉藤)。朝起きて子どもに会うのも専門家の診断がいるそうです。
いろいろ勘違いしていると思うんですけど、共同親権のほうが親どうしの自由でできて絶対楽なんですよ。
単独親権なら単独親権者の独裁が叶うんじゃなくて、我が子が別居親に会いたいかどうか、「専門家」にいちいち聞かないといけない。
国家なのか何なのか、他人に干渉される親子関係にはなりたくないからこそ、我が子の成長に一応一番関心があるだろう別居親のチェックをクリアするという意味でも面会交流をしていたほうが、自信もった子育てになると思う。それをいちいち第三者のチェックなんて。
――最近では、子どもが面会交流の審判の決定前に入院させられる場合もありました。決定で面会ができないと出た後に、子どもは退院した。子どもには、発達障害などの診断名が付けられていることがあります。
子育てのゴールは、子ども自身が自立して手を離れてくれること。子どもが入院したら面会交流をしない理由にできるのかもしれないとしても、入院することなく、面会交流ができる方が、子育てとしては順調な歩みかなと思うと、やっぱり会えないよりも会えていた方がいいことのように感じます。(後編に続く)
シリーズ 週刊金曜日のデマとヘイト 第2回 「原則面会交流実施」の実態(後)
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