kネット・メールニュース369「週刊金曜日のデマとヘイト・共同養育が廃止されたというのは極端」

□■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□
□■  kネット・メールニュース  369号
□■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□

「ぼくたち問題のある別居親!? 週刊金曜日のデマとヘイトはゴメン!」
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
このメールニュースは、主に共同親権運動、親子引き離し問題
についての情報を発信するものです。 2017年10月17日
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

■今号のトピックス
1 週刊金曜日のデマとヘイト「共同養育が廃止されたというのは極端」
2 敗訴の父親が元妻支援の弁護士ら告訴
3 【注意報】何が何でも月1回3時間にする高裁判事たち

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

┏┏┳────────────────────────────
┣☆┫1 週刊金曜日のデマとヘイト「共同養育が廃止されたというのは極端」
┗┛┻────────────────────────────

ちょっと休んでましたが、シリーズ再開!

週刊金曜日のデマとヘイトに関する情報はこちらから

http://kyodosinken-news.com/

シリーズ 週刊金曜日のデマとヘイト
第3回 「共同養育が法的に廃止されたというのは極端」(前)

シリーズ 週刊金曜日のデマとヘイト 第3回 「共同養育が法的に廃止されたというのは極端」(前)

オーストラリアの親子法の変遷
「共同養育が法的に廃止されたというのは極端」
濱野 健さん(北九州大学文学部准教授)インタビュー

聞き手 宗像 充(共同親権運動ネットワーク、ライター)

3回目は、濱野健さん。北九州大学人間関係学科で社会学を教える。
国際結婚の破たん問題。離婚に伴う子どもの養育問題について論文多数。

――週刊金曜日では「オーストラリアでも子が犠牲になり、
2006年の成立からわずか5年で離婚後の
共同養育を柱とする法律を廃止された」と斉藤秀樹さんが発言しています。

kネットでは、週刊金曜日に対し、オーストラリアでも、
両親との関係が子の利益だとする内容の法律は昔からあると
週刊金曜日に答えています。
2006年の改正は共同養育そのものが
廃止されたという事実はあるのでしょうか。

濱野 2006年の家族法の改正では、
両親による「均等な養育責任」(equal shared parenting responsibility)
が定められました。
しかし、この「均等」を養育時間の均等な分担として固持することが、
結果として両親への養育負担を強化し、
その結果子どもにとって望ましくない生活環境をもたらすことが指摘されました。
その後政府の検討委員会により、
「均等な養育責任」が必ずしも養育時間の均等を指す趣旨
ではないことが示されています。

2011年の法改正では、改正の焦点に子どもの安全の確保が掲げられています。
2006年の法改正で導入された共同養育実施の基準として、
「フレンドリーペアレント」ルールが撤廃されています。
この原則の維持ために(元)配偶者からの暴力や虐待について
訴えを起こすことが困難になったという指摘が背景にありました。
しかし、このルールの撤廃によって、
とりわけ別居親が共同養育を実施することが再度困難な状況に
置かれたという批判も出ています。

――この指摘に対して週刊金曜日は、「筆者に確認したところ、
ご指摘のとおりフレンドリーペアレンツ条項の廃止をさしていました。
法律の肝とも言える部分が廃止されたという意味で
こういう表現になったと理解していますが、
より正確な表現を編集部で求めるべきであったと考えます」
との回答を得ました。

濱野 離婚後の共同養育が法的に廃止されたというのは極端な解釈です。
頻繁な法改正は、何よりもまず子どもの安全と健全な成長を第一優先とする、
という原則を具体的に実施するために行われています。

その上で、共同養育のあり方については
個別の事例や子どもの成長に合わせた柔軟なあり方が必要である、
という前提で、オーストラリア家庭裁判所ホームページでは
「子どもが両親とその他の家族と愛のこもった有意義な関係を継続すること」
「両親が子どもの養育に継続的な責任を負うこと」
「子どもが暴力や虐待を受けない安全なところにおいて育つこと」
という原則が、
将来的にもっともよい取り決めとなることであると述べられています。
(以下略、続く)

===== ===== ===== =====

ちなみにオーストラリアのテレビ局に
「連れ去りは文化」と誇っていた方はこちらです。

東京4区で~す。

┏┏┳────────────────────────────
┣☆┫2 敗訴の父親が元妻支援の弁護士ら告訴
┗┛┻────────────────────────────

全国紙がとりあげました。

■産経017.10.17 08:00
親権1、2審逆転訴訟が刑事事件に
敗訴の父親が元妻支援の弁護士ら告訴 異例の展開

http://www.sankei.com/premium/news/171017/prm1710170004-n1.html

ところで記事にはこんな記述があります。

===== ===== ===== =====

母親側の団体などは
「父親側は自身のDVについて無自覚だ。
DVを行う父親のところに子供を残すわけにはいかず、
子供を連れて行くのはやむを得ない」などと主張。
両者の主張は平行線をたどる状況が続いている。

===== ===== ===== =====

DVには精神的なものも含まれ、その定義は
「思ったらDV」と言われるように主観的です。
コリン・ジョーンズも言っているように、
「無視する」など、疲れたときにありそうな行為も含め、
どんなものでもDVだと呼べてしまい、
それを否定する気もありませんが、
そのことになんの意味があるのでしょう。

あるとしたら、こうやって、社会的に排斥する、
つまり「魔女狩り」というのが有効な活用方法です。

このような事態を避けるために、よく知られているように
刑法では「疑わしきは罰せず」という原則があります。

路上で殴ったら暴行罪で、家庭内で殴ったら夫婦喧嘩なんて
おかしいという主張がDVを犯罪化させる世論を作りました。
相手に対して恐怖を感じていたのであれば、
きちんと母親は刑事告訴するべきですし、
父親の側もそれは望んだはずです。

母親側はそうではなく、
離婚裁判の中でもDVを主張し、
裁判所は認定しなかったようです。

とくに精神的なものである場合、
それが客観的にDVであったかどうかは現在の定義では
評価のしようがない……
裁判所が暴力の事実が判別できなかったというのに、
第三者がその後もDVだと言い続けるとしたら、
それにはほかの別の理由があったということしか考えられません。
それとも、物理的な暴力がなかったのに、
あったとでも主張したのでしょうか。

それはDVがわかってない、ということと別問題です。

語るに落ちるというのはこういうことではないでしょうか。

自分たちが何を言っているのかわかってないとしたら
告訴されるだけの理由はあります。

なお、「親権を得たい場合は子どもを連れて家をでること」
というのは、弁護士や女性支援のグループが年来言ってきたことです。

世の中には離婚目的の子の連れ去りは一つもないんでしょうか。

離婚目的の子の連れ去りをなくそうという努力をしない限り、
DV被害者の言うことは信頼されなくなるだけです。
それはDV防止の支援とは呼べません。

┏┏┳────────────────────────────
┣☆┫3 【注意報】何が何でも月1回3時間にする高裁判事たち
┗┛┻────────────────────────────

中西茂、原道子、鈴木昭洋(東京高裁21民事部)

東京高裁管内の方はご注意ください。

以下、決定を受けた父親による決定への評価を公表します。
kyodosinken.com/wp-

content/uploads/2017/10/nakineiri_sinaiyatsu_korashime_kettei-sho_20110.pdf

父親はこの3人の裁判官について訴追請求をするそうです。

 

【★現在の読者数 759人】実子誘拐、親子引き離しの違法化を
⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒
「あなたのそういうところがDVなのよ」と
ののしられる男性の相談よく受ける。(宗像)

⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒

 

7年前