7月15日配信の読売新聞の記事で、単独親権制度の見直しを検討するために、来年以降法制審議会を検討するとの記事が出ていた。おっ、と思うとともに、親権制度の放置をこれ以上放置できない政府が、なぜ今の時期に腰を上げたがというのを、若干検討してみたい(とはいっても読売1社の記事なので、実際どうなのかという思いもある)。
1つは運動の存在。共同親権運動が政府を動かしたということだが、若干買いかぶりすぎているかなとも思う。とはいえ、子どもたちを諦めない親たちは、虚偽DVを告発して裁判所の違法性判断を得たり、実子誘拐に対して告発を受理させたりと確実に成果を上げつつある。拉致裁判官に対して訴追したり、名前を告発し続けたりしてきたのは、ボディーブローのように司法関係者に打撃を与えたということはあるだろう。
2つ目は外圧。これが一番ありうる。日本を文明国として見てもらうために、国内の法制度を整えるのは、明治維新以来の為政者の伝統だろう。つまり主体性はないけど、動機としてはありうる。メディアは報じなかったが、EU各国が上川法相に申し入れている。子どもの返還に応じない国に対し制裁を科すゴールドマン法の適用が、アメリカでは検討されてきたというのもあるだろう。
実際、ハーグ条約に関する強制執行を強化する法改正を政府は予定している。結局は国内の問題だというのは、海外の政府にとっては外圧をかけにくいということだが、逆に言えば、逃げ続ければずっと言われ続ける、ということにもなる。
3つ目は読売の記事にもあったが、虐待防止のために関係破たん後も両親が関与し続けることが「子どもの利益」だというしごくもっともな理由づけ。目黒区の事件が後押ししたというのはあるだろう。しかしながら、目黒区の事件が、読売の記事のように、家制度、つまり戸籍制度に起因しているという指摘は、ぼく以外はしていないので、これは後付けの理由だろう。結局は外圧に屈しました、というのがかっこ悪いので、リリースでは体面上そういった理由を掲げたというのはありそうだ。
予兆
ところで、今考えると共同親権に向けての予兆はいくつかあった。一つは先ほども触れたように、ハーグ条約の強制執行についての法改正が政府から提示されたこと。ハーグ条約を批准したときもそうだったが、民法の改正は外圧を受けての子の奪取防止の国際的な枠組みに入ることと連動している。
もう一つは、最近最高裁に上告した、両性の平等に関する憲法規定を争点にした監護権に関する事件が、普通はすぐに却下されるのは、数カ月たってもそうならない、というのをある弁護士に聞いたこと。
それから最後に、目黒区の事件をきっかけにした共同親権の議論について問い合わせてきたのが、読売新聞の政治部の記者だったということだ。目黒区の事件について父の存在が別にいて、そのことが単独親権の問題だというのを、読売一社で考えついて記事にするというのは、ちょっと意外だなと思ったが、要するに問い合わせた時点で政府から何らかのリリースを読売は受けていたのだろう。
血みどろのたたかいがはじまる
さて、では今後の展開はというと。
一つには、読売の記者が、DVのことを指摘して、その場合は単独親権が選べるようにするという方法もありますし、と言ったように、DVの場合の共同親権の例外規定を女性からの「おそれ」を理由に何でもかんでも認める、という主張が必ず出てくる。これは、DV事件に関する危険性を煽るという形で、結果的に別居親・男性がいかに危険か、というヘイト記事を量産することで可能となる。
選択的、などといえば聞こえはいいが、要するに、DV・虐待の「恐れ」がある場合の、選択的親権はく奪、選択的引き離し、の権利を連れ去り親に残すための抜け道づくりである。
週刊金曜日のような、男性をヘイトすることで部数を稼ぐ雑誌や、木村草太のような、女が被害者と言えばもてると思っているゆがんだ女性観の学者が、社会的養護とかを大義名分に、そういった論調を作っていくのに使われていくだろう。
2つ目は、やはり「選択的」の例外規定として、「子どもの意思」が争点になる。この場合、「会いたくない」子どもの意思は尊重され、裁判所はそれに対して単独親権を「選択」するが、もちろん「会いたい」子どもの意思は無視される。
3つ目は、お互いに協力しあったほうがよい、という大義名分のもとに、引き離して金をとる引き離し利権、つまり離婚弁護士やFPICのような裁判所職員の再雇用先確保のための団体、それにこれから離婚ビジネスに参入しようとする心理学者の団体などが、必ず、引き離しへの制裁に対する強制力の強化に抵抗する。
注意しておいたほうがいいのは、こういった論調は、引き離し運動の弁護士やフェミニストが矢面に出て担っていくが、実際は家制度、つまり戸籍制度の監督官庁である法務省及び、保守政治家の意向に沿って展開されるということだ。そのスポークスマンの読売新聞が、拉致司法が規制されない中での選択的共同親権制度の矛盾を指摘すると、逆切れしたのがいい証拠だ。
ではどうするのがいいか、DVの「おそれ」によるヘイトについては、暴力防止の観点からの、でっちあげ防止の法整備をこちらから求めていくことで対抗できるが、多くの反論をこれまで共同親権運動ネットワークが主張してきたことなので繰り返さない。しかし、上で述べたような選択的共同親権の問題点は、実のところ「親子断絶防止法」の議論の中で、別居親団体が「総意」で認めたと政治家たちが受け止めていることである。
つまり、DVや虐待の「おそれ」があり、子どもが「会いたくない」と言っている場合には引き離してよく、FPICが月1回3時間の交流を別居親に強制しようが文句ありません、と「おまえたち別居親言ったよね」とぼくが親子断絶防止法議員連盟の議員なら絶対言う。当事者の敵は当事者である。つまるところ、親子断絶防止法全国連絡会と、その議員連盟は、単独親権と戸籍制度撤廃の抵抗勢力にしかなっておらず、もちろん引き離し運動の側にいる。
本人たちの自覚はなくてもそうなっている。「夜明けは近い」のはいいけど、いいかげん目を覚まして当事者のためには解散すべきだろう。(2018年7月15日 宗像 充)
ブログ「おおしか家族相談」から
http://aoyagiksodan.seesaa.net/article/460536639.html