覚えたばかりのひらがなを使って「おねがいゆるして」というメモを残して亡くなった東京・目黒区の5歳児のニュースの衝撃は今でも続いています。現時点では、児童相談所の権限を強化するとか、転居時の引き継ぎを厳格にという議論がされています。また、警察との連携を強化せよという声もあります。その通りだと思います。
ですが、今回のような事件の再発を防止するには他の制度上の対策も検討するべきだと思います。一つは、離婚後の共同親権の問題です。離婚後の子どもに対する親権について、日本では民法上規定がなく、現時点では不可能とされています。つまり親権を得られなかった側の親は、離婚によって親権を奪われてしまうのです。
これに対して、父と母が共同で親権を持つという制度は、欧米や中国では定着しています。どのようにするのかというと、離婚時に協定を結ぶことで「(1)平日は一方の親、週末は他方の親」であるとか「(2)通常は一方の親、夏休みなどにまとめて数週間は他方の親」というように、時間を区切って双方の親が監護権を行使するというものです。
例えば、(1)を選択する場合は、子どもの負担にならないように、離婚後の両親は比較的近い距離のところに居住するように、裁判所から命令されることになります。今回の目黒区のケースでは、亡くなった女児は実の父親のところへ行きたがっていたというメモも残しており、仮に共同親権制度があって双方の親のもとを行ったり来たりしていれば、虐待の早期発見にも抑止にもなったかもしれません。
今回の事件とは別の問題ですが、国際結婚が破綻した場合に、日本人の親が一方的に子どもを日本に連れ帰った場合に、外国の親から告発があると「ハーグ条約」に基づいて「日本の裁判所が日本国民である子どもを外国に強制的に移送する」という屈辱的な制度が運用されています。
もちろん、逆のケースもあるので、ハーグ条約そのものを否定するつもりはありません。ですが、日本の法律が「共同親権を認めていない」ために「日本の法律に基づいた離婚裁判は絶対に応じない」という外国人親が圧倒的に多いことを考えると、共同親権制度を日本が頑固に否定し続けることで失うものは大きいと考えられます。
共同親権制度が民法の大改正を要求するというのであれば、もう一つ別の対策も考えられます。それは親権(監護権)を持たない方の親の「子どもへの面会権」確保という問題です。
2011年に改正された現在の民法「第766条の1」では、「父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める。この場合においては、子の利益を最も優先して考慮しなければならない。」と明文化されています。
ですが、実際は今でも「離婚後に親権のない方の親が再婚した場合は、子どもとの面会権を放棄する」とか「親権のある方の親が再婚した場合にも、もう一人の親との面会を嫌がる」といった傾向があり、漠然とした社会通念として許されている問題があります。今回の事件は、この後者のケースに近いと考えられます。
この「面会権の保障」については新たな法律ないし、民法の改正によって具体的に規定しようという運動もあるのですが、まだ実現に至っていません。今回の事件を契機に、この対策もあらためて議論すべきだと思います。なお、この「面会権が十分に保障されない」という問題も、国際結婚破綻の場合に「日本法による離婚が忌避される」原因となっているという問題があります。
最後に、子どもを保護する体制ですが、児童相談所の権限を強化するとともに、人員や予算を確保する、また警察との連携を強化することは必要です。これに加えて、加害者や加害者予備軍に対する適切なカウンセリングの体制も必要だと思います。
子どもの生命が奪われたというのは取り返しのつかない事件であり、厳罰をもって償われなくてはなりません。その一方で、この種の加害者やその予備軍というのは、親であっても精神的に未熟であるために虐待を起こしたり、パートナーとの共依存関係に陥って虐待を幇助したりするわけです。
こうした人々に対しては、監視や指導だけでは凶行への抑止は十分ではありません。専門家によるカウンセリングで、状態が改善するように促しつつ、効果が見られず危険が恒常化した場合は、機動的に親権の停止から喪失へと動けるような体制が必要でしょう。
こうした議論は、関係する法律学会や専門家のディスカッションを通じて論点はハッキリしてきています。ジャーナリズムや政治が実務的にしっかりと考えて、議論を進めていくことが必要な時期だと思います。
冷泉彰彦(在米作家、ジャーナリスト)