自由と平和・民権をすすめる多摩市民懇談会「民権com.」8 (2009年5月)

男女平等と離婚後の共同親権・共同監護
宗像 充

ぼくは現在、元連れ合いとの離別により1年5ヶ月にわたって、自分の子どもと引き離されている。昨年国立市で離婚後の親子交流の法整備と支援を求める陳情を提出し、立法面での運動を始めた。ぼくの場合事実婚だったため、もともと子どもの親権は母親に帰属し、別居と同時に、相手方はぼくに親権のないことを利用して、一時ぼくが見ていた子どもたちを人身保護法を使うことによって、奪取していった。
日本の民法では、離婚後どちらかの親に親権を帰属させることによって、婚姻時は共同行使するはずの一方の親の親権を剥奪する。民法には、離婚後の面会交流の規定がなく、親権がなくなれば、親としての立場は実質上保障されない。親権のない親は、例えて言えば選挙権のない戦前の成人女性のようなもので、親権もなく、子どもに会えないということになれば、親としては法的には半人前以下の扱いである。
昨年一年間でぼくが子どもと会えたのは、裁判所での「試行面接」でわずか三〇分、しかも元連れ合いとその現夫が、マジックミラー越しに監視する中での面会だった。親権のない親には人権もない。
なぜこのような環境下で子どもに会うことになったかといえば、相手方のサボタージュにより一年にわたって子どもと引き離された結果である。ぼくは自営業だったので、家事・育児には多分平均以上はかかわってきたし、相手方のぼくへの不満は、「あなたはなんでも男女対等にしたがる」というものだった。男女平等を推進してきた人々にとってみれば、男女とも家事育児を担うことは、推奨されこそすれ批判の対象ではないと思うし、現在では政府や自治体もまたそれを推奨している。ところが、子どもと離れ親権を奪われると同時に、子どもの成長にかかわることができないとなれば、それは法制度上、著しく不公正である以上に、男女平等の論理破綻でもある。
憲法は、その二四条で、「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」と定めるが、その破綻についても実は触れている。「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」。
憲法の理念に沿う形でも、家事育児への男性の参加が促されてきた以上、離婚によって双方の親が子どもの養育にかかわることが保障されず、意に反した親子の引き離しを容認することで、その憲法の理念が反故にされるとすれば、それは憲法のご都合主義的な利用にしかすぎない。
今、私たち別居親は、離婚後の親子の引き離しを安易に追認する単独親権制度から、離婚後の共同親権・共同監護が可能な法制度への移行を目指している。事実婚カップルに代表されるように、家族のあり方が多様化する中で、その実践を行ってきた人々にとっても、現在の法制度は矛盾と落とし穴に満ちたものである。憲法や法に規定された生き方をする必要はないのだけれど、法をなめると、ぼくのようにたいへんな目に会うというわけだ。

15年前