以前より、拙ブログで紹介していた映画「The Red Pill」を鑑賞してきた。
http://kyodosinken.com/wp-content/uploads/2018/02/8621aaa9828918ba7e2b07b1a78933cd.pdf
素晴らしい映画だった。監督のキャシー・ジェイは元フェミニストであるという点から、男権主義者たちへの偏った表現や演出がされることに対する一抹の不安があったが、そんなものは全く感じられないほど、男性達の置かれている状況に寄り添い、誠実にインタビュー、編集されていると感じた。海外でフェミニストからの反対で上映禁止となったのも納得である。
全編通して感じたのは、マスキュリスト(映画では「男権主義者」と訳されていた)の、落ち着いた、しかし悲壮感漂いながら話す姿である。
一方でフェミニストの口汚さ、都合の悪い言論に対して火災の非常ベルを鳴らして講演を中止に追い込んだりする暴力的な行動、女性こそが被害者であり男性が被害者であることなどあり得ない、と男性に対する理解を拒否する態度。
男性の権利を主張しているのがどんな人々か。女性の権利を主張しているのがどんな人々なのか。インターネット上の文章だけでは伝わらない、人間性。それがはっきりと描写されていた。
監督のキャシー・ジェイは、調査・インタビューの感想をビデオ日誌として記録しているが、男権主義者に対する(若干の敵愾心を含む)興味本位から、インタビューが進むにつれて価値観が揺れてゆき、「何が真実かわからなくなった」と頭を抱えてゆく。最後に「自分はフェミニズムを捨てた」という変遷していくまでの過程が非常に印象的であった。
女性のうち3人に1人、男性のうち4人に1人はパートナーからの暴力を受けた経験があるというのに、なぜ、アメリカに2000箇所あるDVシェルターのうち男性を受け入れているのは1つだけなのか。自殺者のうち78%は男性だが、自殺防止キャンペーンを男性に限定したら問題になるはず。『これって性差別なのでは?』と、反転可能性(逆だったらどうなるか)に触れていた。
拙ブログの共同著者のリョーマ氏は、女性は男女論になると反転可能性テストができなくなる(「ブーメランを投げ返せ!~反転可能性テスト~」)と語っていたが、そうではない女性もいる、という希望を持つことができた。
そして嬉しかったのは、イスラム過激派「ボコ・ハラム」による少女誘拐の裏側を取り扱ってくれたことである。
イスラム過激派が虐殺したニュースについて、メディアは殺害された犠牲者のことを「人々」とか「村人」などと言って、決してその男女別の内訳を語らない。もしくは強調しないということ。
各襲撃ごとに、何十人、何百人も殺され、累計で何千人にものぼる虐殺の犠牲者のうちほとんどが男性であり、彼らは女性ほど同情の対象にはならない。
そしてテロリストたちも気づく。男を何千人殺しても国際社会は何も動かない。少女を誘拐する方が世間にインパクトを与えることができる、と。男の命は女よりも軽いのだ、と。
事実、少女がボコ・ハラムによって200人誘拐されたというニュースは国際社会を揺り動かし、少女救出のために世界の世論を動かした。
ボコ・ハラムによって少女が無事に解放されたとき、同時に少年たちは生きながらに焼き殺されたことを、世界は知らない。いや、男の命に興味がないのだ。
以前からこの問題について、もっと広まって欲しいと思っていたが、この映画で取り上げてもらえて感動した。
その他、勉強になることが多々あったのが書ききれないため割愛するが、これはフェミニズムが作り出した、嘘だらけの男女観から目を覚まさせることのできる映画であると感じた。
同時に、アメリカではこれほど男性の人権に対する活動が活発に行われているのに、自分はほとんどその情報にアクセスできていなかったことを痛感した。
これだけインターネットが発達し、物理的な距離のハードルが下がったとはいえ、言語の壁は大きい。もし、言語による壁がなければ、日本でも男性の人権に関する運動ももっと活発だったであろう。
以前私は、久米氏の発言の批判をしたものの、この映画を久米氏が日本の団体(共同親権ネットワーク)に紹介したこときっかけに、日本で上映するための活動が始まったという功績は大きいと感じている。これは久米氏が英語で海外の男性の人権活動の情報にアクセスできるからこそ、なのである。
この「TheRed Pill」はあと2回上映機会があるので、是非、鑑賞して頂きたい。(2018/5/5時点)
上映スケジュール
【第2回】6月17日(日) 父の日
会場: 京都府立大学・稲森記念会館(京都市左京区下鴨半木町1-5)地下鉄烏丸線北山駅1番出口徒歩5分
【第3回】7月21日(土) 共同養育の日
会場: 全労連会館ホール(東京都文京区湯島2-4-4)JR御茶ノ水駅御茶ノ水橋口徒歩8分
最後に、個人的な感想として、この映画では主にマスキュリストとフェミニストの対比が描かれており、フェミニストが唱える男女平等がおかしいということには触れていたが、男女平等の概念そのものについての議論はされていないように感じた。
贅沢を言えば、もっと掘り下げて、「男女同等の賃金にしても、女性は家族を養わない」「だから経済的・社会的地位を男女平等にすると社会は衰退する」「女性の性的価値の高さ」など男女の生物的な本質までデータを提示し、そのうえで「男女平等とは」を語れるまで議論が深まるとよかったが。ただ、そこまで達してなくても十分に良い映画であることは間違いない。是非、ブログ、SNS等で拡散して頂きたい。