フェミニストが男性の権利を直視するドキュメンタリー映画「The Red Pill」を見て

海外でフェミニストの反対を受けて上映が困難となった話題のドキュメンタリー映画が日本で初公開となったので観てきました。期待通り、想像以上に素晴らしい映画。単に男性の権利を訴えるのではなく、フェミニズムの正しさを訴えるのでもなく。

映画と主催者について

以前、今回の映画を主催された方にインタビューをさせていただきました。コンセプトを見た瞬間「絶対に観たい! そしてこの企画を考えた方の話を聞きたい!」ということですぐさまお話を伺ったのでした。

映画の詳細や主催団体については上記の記事を確認いただければよいのですが、ここでもごく簡単にまとめておきましょう。

映画の内容:これまでフェミニズムやLGBTについて幾つもの映画を撮ってきたキャシージェイ監督のドキュメンタリー映画。彼女自身ハリウッドで受けたセクハラや女性に対する抑圧が行動の源泉であるフェミニスト。しかし、それらの活動をしている中で出会った「男性の権利を主張する人」達と対話をすることを通して徐々に自分の思想を問い直す必要に迫られていく…というもの。

主催団体:Kネットという、日本での共同親権実現のために活動されている団体。男女平等を訴えているわけではなく、メインコンセプトは共同親権実現。ただし、その前提として男性が子育てから排除されていることを問題視しているため、今回の映画のコンセプトと適合的であったことから公開を決定したとのこと。詳細はインタビュー記事を御覧ください。

映画を観ての感想

本当に素晴らしかったです。何が素晴らしかったか。それは、キャシージェイが感じる苦悩や葛藤がとてもリアルで、見ている人たちの多くが共感するものであったからです。その苦悩や葛藤はどこから来るのか? 彼女はドキュメンタリーを撮るために様々な人にインタビューを行います。

例えばフェミニズムを大学で研究している人。あるいは、男性の権利を守れ! と訴えるメディアを運営する人。女性向けシェルターを世界で初めて作った女性、自分の子供を「父親詐欺≒意図しない妊娠」によって作られた上に養育権も奪われた男性、世界でも有名な女性向け雑誌の編集長。

ここでは挙げなかった人も含め10人程でしょうか、様々な立場で様々な主張を行う人達と対話していきます。あるときには「もしかしたら男性の方がずっとこの世界で虐げられているのでは…」と思わされ、かと思うと次のシーンでは「女性が今も奪われ続けている多くの権利があること」を思い出し、と思うと次のシーンでは…。そんな繰り返しでした。

脱帽すべきは、キャシージェイ監督のバランス感。どちらかに肩入れすることなく、どちらかが正しくどちらかが間違っているという見せ方は一切せず、もはや彼女自身も「I don’t know what to believe(何を信じていいかわらない)」と涙ぐむ様子を見せます。

僕はこのように誠実に「わからないこと」に向きあう彼女の姿にとても感動しました。僕自身がやっている活動も、このような形で世に問うことができたらと思わされるものがありました。これは物凄くオススメの映画です。後は6月に京都で、7月に東京で1度ずつ上映されるようなので関心のある方は是非行かれることをおすすめします。スケジュールは以下記事より確認ください。

終わった後の懇親会

当日は150名以上の方が集まったそうです、その後も熱が冷めることはなく懇親会にも恐らく30-40名以上の方が参加されていました。

そこではKネットの代表の宗像さん、そしてアメリカの最先端の男性権利運動についての書籍を翻訳して日本に届けている久米さんがお話をされました。

特に面白かったのは日本におけるフェミニズム、ジェンダースタディー、メンズスタディーの関係。基本的にそれらの分野を構成する重鎮が皆同じメンバーであるため、装いこそ変えど本質的な主張は同じものになってしまうとのこと。

男性が、男性の権利を主張するということはそこでは基本的に受け入れられないものであって、そのような議論をしたければ新たに学会を作るか科学的な学問としての研究をするしかないとおっしゃられていました。

僕自身「男性の権利だとか女性の権利だとかで考える必要はなく、ジェンダー(性)による不当な抑圧が減ること」を祈っている立場として、現状の日本のアカデミズムには違和感を覚えました。

また、今後「男性の権利」を日本で主張しようとした時に大きな障壁になるのが「女性の権利をまた侵害しようとしているのか」と思われてしまったり、あるいは「女は家庭で子どもを生み育てれば良いのだ」といった主張と混合されてしまうことだと憂いていたのも印象的でした。

こういうイデオロギーについての主張対立にはよくあることでしょうが、その本質的なメッセージを適当に解釈して自分のものにしようとする「勘違いした人たち」が沢山出てくるのだろうと思います。

「そうだ、男性の権利を奪われないために女は仕事に就こうとするな!」など男性の権利論を物凄く曲解した発言をする人間が自分を男性権利論者だと名乗ることも予想されるわけですから。これはミソジニーとフェミニストが間違って理解されていることとにていると思います。

安易なラベリングは、対話の不可能性を生みます。ラベリングは、単純化への欲望から来ています。何事も単純に二分化して考えれば話は簡単です。「男性権利論者は全員性差別主義者である」と思うことは簡単です。でも、彼らの主張にちゃんと向き合ってみてからでないとそれは本当は言えないのです。でも、時間的な制限があることもあり、中々単純化せずに複雑な物事に向き合うことは難しいことですよね。

今回の映画は、だからこそ素晴らしいものなのだと思います。「男性の権利論者なんてただの男らしくない、弱っちい、男たちの怨嗟にすぎないのだ」と切って捨ててしまいたい欲望を抑え、様々なステークホルダーに話を聞き、それをドラマチックに編集してまとめあげた監督の手腕に本当に脱帽です。

本当に素晴らしい映画でした。今後もこれに関する様々な情報を発信することができたらと考えています。

フェミニストが男性の権利を直視するドキュメンタリー映画「The Red Pill」を見て

6年前