「子連れトイレは母親だけ」裁判所の男女平等感覚について

 

私は自身の主たる監護から、うつ病を悪化させていた妻に、私が保育園に預けた直後に子を連れ去られ断絶され、以降、「毎月連れ去りを行う家事事件国内トップクラス」を公言する弁護士らの言い掛かりに対応する日々が続いている父親です。

単独監護ができるような状況で無かった妻が現在どのように監護をしているのか心配でなりませんが、どうも裁判所は、監護者指定と引き渡し請求は、はなから男性を相手にしていない茶番のような印象を受けています。

「面会交流だけで機嫌をとりながら主張すれば」という「男性は諦めるべき」という空気を感じています。

調停は妻が出席せず、「母親の連れ去り勝率100%」を公言する弁護士らのマニュアル的な言い掛かりで進んでいます。

裁判所内でトイレを利用しようとして気付いたのですが、トイレのサインはどの階も子どもと一緒に入るのは女性の表記になっています。

私は、おむつ替えやトイレトレーニングを主体となってしていた父親ですが、親権や監護権を判断する裁判所において、子どものトイレは女性が同行するものであるかのようなサインは

法の下の平等を無視した性差別の温床になると感じました。

全ての男性が子を連れ去られれば監護権を失い天下り先の監視付でなければ再会出来ないような性差別はやめて欲しいと感じながら僅かな良心がある事を願い裁判所に通っております。

長く断絶が強要され、日々父子の関係は風化させられていますが、同居時に息子が「トイレはパパと!」と言っていた言葉が忘れられません。


現在は女性弁護士に性的不能者であったかのような意見書を提出され離婚請求もされていますが、子どもがその存在をもって意見書は虚偽である立証となりますので、低俗な男性ヘイト趣味だと感じています。

私は主たる監護者であったという立証だけでなく絶倫であったとか低俗な抗弁の対応をしなければならないのでしょうか?

下ネタ妄想の女性弁護士の雇用主は該当家裁の調停員でもあります。

拉致常習弁護士らと迎合する裁判所の男性ヘイトに呆れるばかりです。

 

7か月前