妻がDVをでっち上げ、子ども“連れ去り”… 残された夫がまずすべきこと〈AERA〉

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妻がDVをでっち上げ、子ども“連れ去り”… 残された夫がまずすべきこと〈AERA〉

1/25(木) 11:30配信

AERA dot.

 我が子への愛には、母親も父親も変わりがない。最近は子育てに積極的な男性も多い。だが、妻との関係が破綻したら──。いくら「イクメン」を自認しても、DVやモラハラに縁遠いと思っていても、司法の前に「元夫」の立場は弱い。

【図】面会交流調停の件数と父母からの申し立て件数の増加割合はこちら

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いまや、仕事よりも育児を最優先し、子どもが「生きがい」と語る男性は珍しくない。社会や女性もそれを推奨する。だが、どんなに子どもを愛していても、ひとたび離婚となれば、親権を取れる男性は1割しかいない。離婚後の「共同親権」が法制化されていない日本では、親権は圧倒的に母親が優位だ。父親は妻子に出て行かれた瞬間に、我が子と引き裂かれる。別居に至った理由は関係なく、妻に「子どもを連れて出て行かれた」という事実をもって父と子は断絶させられ、裁判で救済されることもほとんどない。

 離婚する夫婦が、子どもと会う回数を決めるために裁判所に調停を申し立てる「面会交流調停」の件数は、年々増加している。司法統計によると、2016年に全国の家庭裁判所で申し立てられた件数は1万2341件。04年に比べて約2.7倍となった。特に目立つのは、父親からの申し立てだ。16年の1年間に調停、審判の手続きが終わった1万1470件のうち、約7割が父親からの申し立てで、04年と比較すると3.2倍となった。母親の1.7倍よりも伸び率が高い。また、厚生労働省の「全国ひとり親世帯等調査報告」(16年度)によると、母子家庭で「現在も面会交流を行っている」と答えたのは、29.8%にとどまる。父親の3人に1人しか、子どもに会えていない。

昨夏、父親の親権と面会交流をめぐる重要な裁判、いわゆる「松戸裁判」が結審した。千葉家裁松戸支部が出した一審は、親権を争う母親に「年100日会わせる」と協力的な提案をした父親に親権を認める異例の判断をし、上級審にも注目が集まっていた。

 父親は、埼玉県に住む40代のキャリア官僚の男性。国際機関での勤務経験がある40代の女性と06年に結婚し、翌年に長女が生まれた。だが、キャリア形成や育児方針について意見が対立し、夫婦関係は悪化。長女が2歳のとき、女性は男性の不在中に、長女を連れて自宅を出た。男性は「不当な連れ去りであり、長女を返すべきだ」と主張。女性は「男性からはDVを受けており、子どもを連れて逃げたのはやむを得ない」と反論し、親権訴訟となった。

●民法が定める「子の利益」 一、二審で判断は全く逆に

焦点となったのは「寛容な親の原則(フレンドリーペアレントルール)」。欧米には、親権を決める際、面会などで元配偶者へ友好的な姿勢があるほうが親としての適格性が高いと判断する基準がある。男性の「年100日面会」という提案は、これに基づいたものだ。かたや、女性側は現在の養育環境に問題はないとして「月に1回は父親と子どもを会わせる」としていた。

12年に民法が改正され、766条では子どもの監護や面会交流について「子の利益を最も優先して考慮しなければならない」と明記された。裁判所は「子の利益」をどう判断したのか。

一審では男性側の主張を「長女は両親の愛情を多く受けられ、健全に成長できる」と評価して男性を親権者とした。男性によるDVも「なかった」と認定した。一方、東京高裁は「父母の面会交流の意向だけで親権者を決めるべきでなく、他の事情よりも重要だとも言えない」と述べ、「年100日」という男性の提案は「長女の体への負担のほか、学校や友達との交流にも支障が生じる」と指摘。「月に1回程度」という女性の提案は不十分ではないとし、「母親を親権者とすべきだ」と結論づけた。DVは一審同様、「なかった」と判断された。男性は最高裁に上告したが不受理となり、昨年7月に男性側の敗訴が確定した。

男性は裁判を振り返る。

「一審は766条の精神を忠実に守った法解釈だったが、高裁ではそれを180度転換して、条文のどこにも明記されていない『継続性の原則』を優先させた。高裁では新事実は何も出てきておらず、なぜ法解釈が変わったかの説明もしていない。改正した民法の精神よりも、裁判官たちの『現状維持』『保身』が優先された判決だ」

●身に覚えのないDV主張 「無実」でも親権は取れず

女性が「男性に無断で長女を連れ出した理由」の根拠とした「DV」は、一審、二審ともに認められなかった。だが、裁判で敗訴した以上、長女が男性のもとに戻されることはない。

ここに、ひとつの構造的な問題がある。女性側が「DV」などを理由に子どもを連れて別居、離婚調停を申し立てた場合、身に覚えがない男性ならば裁判で「無実」を証明するしかない。だが裁判が長期化するほど、同居する母子も新しい環境での生活が長くなり、父親不在の状態は日常化していく。加えて、子どもには同居親の意向が強く働くため、子どもがあえて「お父さんには会いたくない」と発言することもある。これらにより、裁判官が「母子の環境で問題ない」と判断すれば、親権者を父親とする積極的な理由はなく、「継続性の原則」が優先される。

「子どもを無理やり奪って独占し、それを正当化するため虚偽のDVまで主張する。そんな身勝手な者を親権者とする現状は明らかにおかしい。本当にDVの被害に遭っている方をもないがしろにしています。夫婦の間でどんなに関係が悪化しようと、子どもの幸せを第一に考え、相手への感情を抑制し、相手と子どもとの密接な関係を約束できる親こそ、親権が認められる社会になるべきです」(男性)

男性は、すでに7年以上、長女と会えていない。今後は、親権者変更の申し立てなどを続けていくという。

昨年1月に出版された『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)の著者で、ノンフィクション作家の西牟田靖さんは、苦悩する父親たちの現状をこう話す。

「私が取材した数十人の父親たちで、その後、裁判などで状況が好転した人はほとんどいません。『松戸裁判』の一審が覆された影響は大きく、それ以降は父親側にはより不利な判決が出るようになったと感じます。当事者の中には身に覚えのないDVを主張された人も多いですが、無実を証明しても裁判の結果が変わることはありません」

●面会させたくない母親たち 理詰めで失敗する父親たち

もちろん、婚姻中に深刻なDVや虐待などを行った父親の面会交流は制限される必要がある。しかし、モラハラなどの精神的DVや経済的DVは解釈の範囲が広く、一般的に女性と男性の主張には大きな隔たりがある。「会えない父親」からの依頼を多く受ける稲坂将成法律事務所の古賀礼子弁護士はこう指摘する。

「妻側の『連れ去り』とDVの主張はセットでなされることが多い。DVといっても深刻な暴力ではなく、単に主観的な嫌悪や恐れに過ぎない主張もある。裁判所は月1回程度の面会交流はさせようという姿勢ですが、面会させたくない母親はいます。それにDVが利用されているケースはある」

裁判となればお互いに親としての不適格性を主張し合って泥沼となる。結果、離婚して面会交流の取り決めがなされたとしても、夫婦に信頼関係がないために、面会が履行される保証もない。こうした「悪循環」が父親と子どもを遠ざけている側面もあるという。

「でっち上げDVは許されませんし、監護する親は、親の代表として責任を持って面会を実現すべきです。司法や社会はこれをもっと理解してほしい。ただ現状、父親の代理人としてできるのは、単に正論だけでなく、同じ事実でもなぜ妻は違う見方だったのか、対立しないで自分の思いを伝えるアプローチはないかなどを模索していくこと。父親の気持ちもほぐしていく弁護が必要だと思います」(古賀さん)

子どもに会える状態にすることを優先するなら、たとえ妻の行動が許せないと思っても、夫からの歩み寄りが必要となる。これは裁判に限ったことではない。共同養育コンサルタントで、子連れ離婚で悩む男女をサポートする「りむすび」を運営する、しばはし聡子さんは「初動が大事」と話す。

「妻子が出ていってしまったら、まず、なぜ出ていったのか同居中を振り返り、妻の気持ちを知ろうと歩み寄ることが大切です。夫の言動に悩み、追い詰められた末、家を出ざるを得なかったという妻も多い。それを『連れ去りだ』と責め立てれば、『やっぱりこの人は何も変わらない』となる。自身を内省し妻の気持ちを考えられる人と、争って権利を主張しようとする人では結果がまったく違います」

●「夫婦関係は勝敗ではない妻に寄り添うことが大切」

たとえ妻が弁護士を立てても、その弁護士を通して歩み寄る姿勢を示す、手紙を渡すなどするとよいという。夫側も負けじと同じ土俵で争う姿勢をみせれば、「二度と関わりたくない。子どもも会わせたくない」という気持ちになる妻も多い、としばはしさんは言う。

「社会的地位のある人ほど、理論武装し、権利を勝ち取ろうとしがち。でも、夫婦関係は勝敗ではありません。離婚後に親同士の関係を再構築させ、円滑な共同養育をスタートさせるには、妻は夫への感情と親子関係を切り離し、父子関係を継続させる心構えが必要。そして、夫は子どもだけではなく妻の気持ちに寄り添うことを大切にしてほしい」

子どもへの愛情の深さに、男女の性差はない。子育てにコミットしてきた父親でも、司法における立場は「弱者」のまま。父と子の在り方も変化しているなかで、離婚後の男性の親権、面会交流をめぐる「常識」もまた、問い直す必要がある。(編集部・作田裕史)

※AERA 2017年1月29日号

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