「子どもにとって離婚は、青天の霹靂(へきれき)。妻と夫の関係を終えたとしても、父と母という役割から、子どもの負担をどうしたら減らせるか、子どもをいちばんに考えてほしい」
児童心理学の専門家で東京国際大学の小田切紀子教授は言う。
夫婦は離婚すれば他人だが、子どもにとっては父親も母親も変わらぬ親。だからこそ「夫婦の問題と親子の問題は、切り離して考えて欲しい」と小田切教授。
とはいえ、お互いにいがみ合っている夫婦は、不寛容の感情が先走る。その結果、別居親が子どもに会えないケースが続出している。
娘は私の命です
佐藤良子さん(仮名)は、昨年10月に面会交流調停が和解し、12歳の娘と月に5時間だけ会うことが認められた。
職場で知り合った夫と’00年に結婚し、’05年に娘が誕生。
’12年、娘が小学生になり少し手が離れたタイミングで、保育士の資格を取るために学校に通いたい、と夫に打ち明けたところ、予想外の反応が返ってきたという。
「保育士なんて少子化で先がないし、給料が安い。そんな仕事はやるべきじゃない、と」
夫の反対を押し切って夜学に通い始めたことで、夫婦関係はぎくしゃくし始めた。
“お前はバカだ”“何もわかっていない”といった言葉の暴力が始まり、仕事中の夫が家に電話をかけてきて1時間以上の罵詈雑言を浴びせることも日常茶飯事。家事は完璧にこなしていた佐藤さんだが、徐々に夫の顔色をうかがいながら暮らすようになった。
「家を出ていく」。夫がそう宣言したのは、’15年6月。引っ越し業者が夫と娘の荷物を運び出していく様子を、
「ただ立ちすくんで何もできず見ていました。私が家庭を壊したんでしょうか。何を間違えたんでしょうか。私が悪かったのでしょうか」
今も原因がわからない。
夫とは今、離婚訴訟中だ。お金はすべて夫が管理していたので、佐藤さんは取得した保育士の資格を生かし、保育園に勤めている。
「娘は私の命です。でも娘は父親も大好きでした。その父子の関係は壊したくない。私のところにも夫のところにも子どもの意思で行ける、本当の自由が与えられる日が来ることを望んでいます」
昨年12月の面会時の、子どもの言葉が忘れられない。祖母のお見舞いに行った帰りの電車の中でのこと、
「私が“お父さんとも3人でご飯を食べることだってできるかもしれないよ”って話をしたら、びっくりした表情をみせた後、うつむいて“やっぱり家族は一緒がいい”ってつぶやいたんです」
娘が帰って来ることができる場所を作っておかなくちゃ。そんな思いだけが今、佐藤さんを支えている。
「2年間、月2回の面会交流を続けてきました。ファミレスで2人で会うんですが、1時間の面会中はほぼ無言で、私と一切目を合わせません」
そう静かに語るのは、吉田裕子さん(仮名)。息子は今年で17歳になる。
「つらかった。同居していたころの無邪気に笑う息子はどこにいったんだろうって。でも会わなくなると、息子にやっぱり見捨てたな、と思われるのだけは嫌だったんです」
’00年に授かり婚。直後に金銭感覚のズレが露見した。
「渡されるのは生活費の5万円だけ。給与明細を見せてと言っても、見せる必要がないの一点張り。ケンカを子どもに見せたくなかったので、ずっと我慢しました」
息子は小学校を卒業するころから頻繁に夫の実家に行くようになった。今にして思えば「すでに私からの引き離しが始まっていたんです」。夫とその両親が新興宗教に入信しており、小学校を卒業する息子に「俺か母さんかどっちを選ぶんだ。母さんにつくなら俺はお前と縁を切る」と迫っていたことを後日、涙ながらに語る息子の口から知った。
どっちも選べないよ
息子の中学入学後、夫が実家に戻り、引き止めたが息子もそのあとを追った。
夫が離婚調停を申し立て、対抗する形で吉田さんは面会交流調停を申し立てる。
周囲の友人などに“お父さんお母さんどっちも選べないよ”と漏らしていたという息子も、父親との暮らしが長くなるにつれ、面会で一切反応をしないように変わったという。片親疎外症候群が始まった、と吉田さんは見ていた。
小田切教授によれば、
「簡単にいえば洗脳ですね。同居親は別居親に絶対に渡したくないわけです。別居親がどんなに悪い人間か、子どもに毎日のように吹き込んで支配していきます」
今年3月、上告棄却で離婚が確定、親権は父親が得た。
4月11日に面会をした息子は、次回と次々回の面会を休みたいと吉田さんに伝えた。
「連絡用にメールアドレスを教えてくれました。ただ、連絡をしても返事はありません。このまま連絡がとれなければもう会うことはできなくなるかもしれません。いつか息子の目が覚めてくれたら……」
取材中、気丈に振る舞っていた吉田さんの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
高木勇樹さん(仮名)は、
’09年に結婚し、翌年2月に長男が誕生。だが同じころに妻が多重債務者であることが発覚。歯車が狂い始めたという。
2年かけて借金を整理したが、再び借金をしているのが発覚。’14年7月、妻の実家に相談に行ったが、「嘘をつくな」と義父が激怒。その後、長男と一緒に実家にいた妻とは一切連絡がとれなくなり、弁護士を立てた。
調停の場で知った長女の誕生
「なぜ自分の子どもなのに会えないんだ、という怒りと悲しみ……。今まで味わったことがない感情でした。街中で“パパ”って聞こえると、反射的に振り返っていました」
長男と会えたのは1年半後。第三者立ち会いのもとだったが、「パパ〜」と駆け寄る息子と抱き合うことができ、会えなかった時間を埋めるほど濃密な時間を過ごせたという。
別居前に妊娠していた妻が長女を出産していたことがわかったのも調停の場だった。戸籍謄本を取得し、名前を知った。その娘とも’16年3月に会うことができたという。
今年4月には面会交流調停が合意。2か月に1回、3時間だけ会えることになった。
「娘も少しずつ私になれてきているようです。やっぱり可愛いですよね」と喜ぶ一方、
「娘は今年で3歳になるのに、まだ20時間も会うことができていません。長男とももっと遊んであげたい。なにより今は一緒に生活することをしたいですね。ひとつ屋根の下で生活をする。親子なのにそのごく当たり前のことが、できないのがつらいです」
ただ、高木さんは次のような反省も口にする。
「夫婦でいざこざがあると子どもは置き去りになる。トラブルになったとき相手を思いやることを忘れないでほしい。私にもそれがあれば、今の状態にはならなかったかもしれません。子どもからしたら、両方の親が必要なんです」
離婚で試されているのは子どもの立場に立った愛情の注ぎ方なのかもしれない。