「子どもと会いたかったらFPICを利用しろ」弁護士の人質取引手口

kネットあてに以下のようなメールが来ました。
個別の相談については、kネットでは隔週金曜夜のホットラインか、おおしか家族相談におつなぎするか、各地の相談窓口を紹介していますので、ご利用下さい。

それで一般的なお話として、同居親側が、FPIC利用を条件に子どもを会せる、という人質取引を迫る事例が以前から当会には多数寄せられています。
月1回の面会交流しか請け負わないFPICの団体の性質を利用して、交流を制約する目的でなされるものです。もちろん、同居親側に弁護士がいる場合にのみ、このような手口がなされます。

どのような選択をなさるべきかについては、ここでは述べませんが、間接強制のかかる債務名義がなされていない場合であっても、損害賠償の請求をすることはできます。別居親側もFPICもFPICの利用を望んでいないのに、同居親の希望のみから家庭裁判所がFPICの利用を指示したために交流が絶え、強制執行はできなかったものの、その後同居親側が別居親側を損害賠償で訴え、交流が再開された事例があります。弁護士が関与している場合には、弁護士も損害賠償の対象になりますし、協議を引き離しの手段にしている場合には、誠実協議義務違反となり、地裁では不法行為が認定された事例があります。

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共同親権運動ネットーワーク様

いつもお世話になっております。

 

ご相談がございます。

私は,今から636日前に,保育園に息子を預けた直後に誘拐され声も聞かせぬ断絶を強要され続けて居ます。

拉致常習犯と悪名高い妻の弁護士らは,当初は私の代理人が交渉してこないから声も聞かせぬ断絶が続いていると主張していましたが

代理人を外しても声も聞かせぬ断絶を続けている理由は,債務名義が確定していないからだという堂々とした脱法宣言に供述を変遷しました。

しかし,債務名義確定後も会えていません。現在は裁判所天下り先と揶揄されているFPICと契約しないからという理由で会えていません。

 

私は1年前に,いかなる人質交渉にも応じるしかないので早く契約書を送るように伝え

相手方弁護士らの書面にサインをしましたが,結局,一度だけFPIC事務所で短時間会えただけで,その後断絶され

完全断絶をしていないという事実認定と双方合意した面会交流条件があるという事実認定に悪用されました。

 

今年9月に債務名義がFPICの基準である月イチ3時間で決定しましたが

FPICは11月まで支援出来ないと明言しているのに相手方弁護士らは10月の債務履行については一切返答せず

ただひたすら誓約書にサインをしろと脅してきています。

私は,再び双方合意契約書があると悪用されたく無いので不要な合意書にはサインをしたくないのですが

サインをすべきでしょうか?

裁判所の決定書にも無い更なる制限を課されることを合意させる内容もさることながら

拉致常習犯が堂々と被害者を泣き寝入りさせる合意書を要求する異常な事態に驚いています。

 

私は泣き寝入りをする合意書にサインをする為の条件を提示しましたが

やはり,無条件に不利な合意書にサインをしないと会わせない返答が来ました。四の五の言わずにサインしろ

恐らくこのやり取りは後日,子どもに会いたくない親という立証趣旨で悪用されるのだと感じています。

 

調査報告書で息子は父親に会いたがっていると報告されてからも既に一年以上声も聞かせぬ断絶が続いているので

一日も一秒も早く再会したい気持ちは当然あり,毎晩のように息子が「パパー」と叫んでいる声にうなされ続けて居ます。

しかし,一年前にFPICで再会した時の息子は変わり果て,徹底した会話制限を叩き込まれ,やっと再会できた私にどう接して良いかわからない痛々しい状況でした。

息子は自分の無力と父親の無力を思い知らされ,2度とおうちには一緒に帰れない絶望を与えられました。

私は,不要な監視付き事務所軟禁面会は,再会する親子への精神的暴力であり,児童虐待だと感じています。

 

出来ることなら利用したくはありません。しかし,そこでしか会わせないと言われれば従うしかありません。

該当の裁判所退官職員らで構成される公益法人には拉致断絶の人権蹂躙に悪用されない様に申し入れをしました。

 

そもそも親権濫用者による親子分離の強要において出される面会交流の債務名義とは

親権侵害被害者にそれ以外の親子分離強要するものでは無いと思うのですが

拉致常習弁護士らの強要する誓約書だと最小面会以外の親子分離の強要に合意する内容となるのでは無いかと感じています。

同じような境遇の方も多いと思いますので,このような状況でどうすべきか

ご助言いただけますと幸いです。

 

我が子と生きる権利を諦めない父

7年前