昨年1月のベッキー騒動から今年9月の山尾志桜里議員の疑惑まで、「不倫報道」が世間を賑(にぎ)わさない日はないといっても過言ではない。
なぜ、ここまで不倫報道が増えたのか? これは日本に特有の現象なのか? そしてその根底には日本人のどんな「不倫観」があるのか? 日独ハーフのコラムニストとして活躍するサンドラ・ヘフェリン氏、『はじめての不倫学』などの著書を持つ一般法人ホワイトハンズ代表理事・坂爪真吾氏と一緒に考えた。
前編記事(もはや“一線を越えた”不倫報道――「我慢は美徳」な日本人の潜在的な怒り?)では、「不倫叩き」の背景に我慢を美徳と考える日本の文化や、現状の結婚生活が破綻し不満を抱えている夫婦の“怒り”があるのでは?という論に至ったが、さらに考察が深まり――。
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─ドイツの夫婦は「我慢してまで結婚生活を維持しない」ということですが、セックスレスの夫婦も少ないのですか?
サンドラ そうですね。全てのドイツ人夫婦の寝室を覗いたわけではありませんが(笑)、例えば友人の夫婦と一緒にレストランに行った時などのアツアツぶりから、それは容易に想像できます。
─日本では90年代に「セックスレス」という言葉が流行語にもなりましたが、ドイツの夫婦にそんな事態は考えられない!?
サンドラ 本当にドイツでは中年の夫婦でも若いカップルのようにアツアツです。時には高校生の男女のように些細なことでケンカもする。個人的にはセックスレスの夫婦が悪いとは思っていないし、逆にドイツのように、夫婦であるならば常にアツアツであることが求められる社会はストレスが大きいとも思います。
また、私と同世代の日本の女性たちと話していると一種の「結婚信仰」を感じます。人によっては「結婚している私は偉い」といった考え方をしていることもあります。おそらく、そういったメンタリティも不倫報道で浮気した夫や妻を徹底的に叩くことに繋がっているのではないでしょうか。
それに対して、ドイツの社会には「離婚後に新しいパートナーを見つけた私はエラい」といえるような風潮があるようにも思います。事実、メディアの報道を見ても、そうやって新しい人生を踏み出した人たちを応援するような論調が存在します。
ドイツでは77年以降、離婚の際に発生する可能性のある慰謝料が一切認められないように法律が改正されました。現在のドイツ社会では、夫婦の一方が相手に魅力を感じなくなって新しい恋人を見つけて離婚するケースでも「魅力を感じさせず捨てられた人も悪い」といった自己責任の考え方があります。
日本のメディアの不倫報道を見ると、とにかく「浮気をした人が悪い」という考え方が支配的ですが、ドイツは「捨てられた人に厳しい社会」と言うこともできるでしょう。
坂爪 キリスト教の影響はどうですか?
サンドラ やはり、ドイツに限らず、ヨーロッパのこういった“カップル主義”の背景にキリスト教の影響があるのは確かだと思います。旧約聖書の創世記に、神が「人間がひとりでいるのはよくない」と言って、アダムの骨からエヴァを創った記述がありますが、それが欧米の“カップル主義”の背景に存在しているとも考えられます。
坂爪 しかし、一方でキリスト教はモーセの十戒にもあるように不倫を戒めていますよね?
サンドラ そうですね。モーセの十戒では、なんと2回も不倫を戒めています(カトリック教会およびルーテル教会)。第6の掟で「姦淫(かんいん)してはならない」と言った後、ご丁寧に第9の掟でも「他人の妻を欲してはならない」と言っています。
キリスト教の影響でドイツでは“カップル主義”が実践されている一方で、キリストの教えから離れることで不倫や離婚に対して寛容になったと言うこともできるでしょう。矛盾しているようにも思えますが、結婚している間は常にアツアツで、それが無理となったら我慢せずに離婚する。要は、割り切っているのだと思います。
─聖書には、姦通して石打ちの刑で殺されかけている女性をイエス・キリストが助ける話も出てきますね。
坂爪 「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」というやつですね。結局、誰も石を投げることができず、その場を立ち去ってしまった。この話は、過熱する不倫報道で悪者を仕立てて徹底的に叩きまくっている方々に聞かせてあげたいですね(笑)。
しかし、こうやって考えていくと、やはり日本とドイツの文化的背景の違いというか、そもそも結婚というものの捉え方に大きな差があるように感じます。ドイツでは、結婚というと、やはり個人と個人の関係なのでしょう。それに対して日本では、戦後の憲法で「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し…」と改められましたが、まだまだ“家”という概念に縛られる傾向が強く残っているのだと思います。
サンドラ 日本の夫婦が離婚したくても我慢する傾向の背後にも家制度の影響があるのではないでしょうか。
坂爪 先ほどサンドラさんが言った「結婚している私は偉い」というメンタリティも、日本人が結婚して家制度という枠組みの中に入ることが大事だと考えていることからくるものだと思います。
例えば、Facebookの投稿を見ても、既婚の男女がパートナーの写真をアップしているのはあまり見ませんよね。僕も結婚していますが、妻の写真はまずアップしませんし。一方で子供の写真は「これでもか!」というぐらいアップされている。これも夫婦の関係が家制度の中に呑み込まれて、その家の跡継ぎとなる子供のほうに重心が移ってしまった結果だと思います。
─セックスレスの夫の言い分として「結婚したら妻というより家族だ。家族とはセックスできない!」というのも定番です。
サンドラ その言い分にある「家族」のような、肩書きというか身分のようなものに固執するのも日本社会の傾向ではないでしょうか。
私が独身の頃、ドイツから幼なじみの男性が日本に遊びに来て、私の家に泊めてあげたことがあります。滞在中、あちこちを案内したり日本の友人に紹介したりしたのですが、彼を「お友達です」と言うと、みんな決まって疑いの眼を向けるんです。「本当に?」「若い男女が同じ屋根の下で寝泊まりしていて、何も起きないの?」と。でも実際にはロマンチックなことは何ひとつ起きないわけです。だって友達ですから。
日本人は“若い男女”という身分のようなものに固執しているのかもしれません。もちろん、それ以前にドイツでは、男女間の友情が日本よりも成立しやすいという事情もあるのですけど。
坂爪 僕は新潟在住ですが、東京に住んでいる独身の女性が、地域おこしへの協力などの理由で新潟の農村に移住してくると、大いに歓迎されます。地元の男性と結婚すれば、なおさらですね。一方で、東京から移住してきた男性が地元の独身女性と結婚するとなったら、同じ地元の男性たちの反応は一変するかもしれません。
―それは家制度よりもさらに深い、女性が地域のコミュニティや地元の男性たちの所有物であるかのような考え方ですね。ドイツにはそういう傾向はありませんか?
サンドラ あります。ドイツ国歌の歌詞は、実は1番から3番まであるのですが、戦後に歌われているのは3番だけです。1、2番は、戦後のドイツでは国歌として歌うことが禁止されていて、そこにはこういう歌詞が書かれています。
「ドイツの女性、ドイツの忠誠、ドイツのワイン、ドイツの歌は、古(いにしえ)からの美しき響きをこの世に保って…」。このように、女性とワインが同列に扱われていたわけです。
そして現在も、これは私個人の体験ですが、かつてドイツ人の恋人と一緒にいた時にはドイツの人たちも暖かく迎え入れてくれました。ところが日本人の恋人とドイツの人たちの前で一緒にいると、東京から来た男性が新潟の女性と結婚するケースと同じで、ドイツ人の特に男性から厳しい視線を向けられます。実際に「ドイツの男よりも東洋人の男ほうがいいのか!?」と質問されたこともあります(苦笑)。
─なるほど…。夫は、妻の不倫が発覚した時、相手の男性ではなく、怒りを自分の妻に向けるという傾向もあるのではないでしょうか。一方、夫の不倫が発覚した際の妻は、夫ではなく相手の女性に怒る。この傾向も世界共通ではありませんか?
サンドラ そうかもしれません。つまり、どちらのケースも女性が怒られるわけですね。男性の「縄張り意識」のようなものでしょうか。
坂爪 日本特有の“家制度の縛り”が残る一方で、やはり男女それぞれの本能のようなものは世界共通なのだと思います。そう考えると結婚や離婚、また不倫といった問題も、今後は日本でもドイツのような状況に近づいていく可能性もあると思いますね。戦後にあった「姦通罪」は刑法が改正されてなくなったわけですし。
ドイツでは77年以降、離婚の際の慰謝料が認められなくなったというお話がありましたが、現在の日本でも慰謝料はどんどん取れなくなってきているのが現実です。
サンドラ 私も、坂爪さんの『はじめて不倫学』を読んで、主張されている内容がヨーロッパ的だなと感じました。
坂爪 まあ、僕が本で書いた「不倫(を予防する)ワクチン」として婚外セックスを認めるべき…なんていうのは、今の日本ではトンデモナイ主張だと受け止められてしまうでしょうけれど(笑)。
サンドラ でも、結婚するのも離婚するのも当人が幸せになるためでしょう? 不倫も、あくまでも当事者の問題なのではないでしょうか。不倫報道も、それを見ている夫婦が幸せならば「あ、そう」で受け流せるはずで、今のように過熱することはないと思います。
(取材・文/田中茂朗)
●サンドラ・ヘフェリン
1975年生まれ。ドイツ・ミュンヘン出身。日本歴20年。日本語とドイツ語の両方が母国語。自身が日独ハーフであることから、「ハーフとバイリンガル問題」「ハーフといじめ問題」など、「多文化共生」をテーマに執筆活動をしている。著書に『ハーフが美人なんて妄想ですから!!』、共著に『ニッポン在住ハーフな私の切実で笑える100のモンダイ』、『爆笑! クールジャパン』、『満員電車は観光地!?』、『「小顔」ってニホンではホメ言葉なんだ!?』、『男の価値は年収より「お尻」!? ドイツ人のびっくり恋愛事情』など。
●坂爪真吾(さかつめ・しんご)
1981年生まれ、新潟市出身。一般社団法人ホワイトハンズ代表理事。東京大学文学部卒。新しい「性の公共」をつくる、という理念の下、重度身体障がい者に対する射精介助サービス、風俗産業で働く女性に対する無料の生活・法律相談事業「風テラス」など、社会的な切り口で現代の性問題の解決に取り組んでいる。著書に『はじめての不倫学 「社会問題」として考える』、『性風俗のいびつな現場』、『セックスと障害者』、『誰も教えてくれない 大人の性の作法(メソッド)』など。