“オーストラリアでは別居親側に虐待に関する悪魔の証明を求めている”という小川富之教授説は間違ってると思うのだけど・・・
千田有紀氏のインタビューで小川富之教授がこういうことを言っています。
オーストラリアの親子断絶防止法は失敗した―小川富之教授(福岡大法科大学院)に聞く
千田有紀 | 武蔵大学社会学部教授(社会学)
12/12(月) 6:36
(略)
ーそれでは2011年の法改正は何が変わったのですか?
2006年の法改正は、定期的で安定的な面会交流が子どもの福祉だという前提で法改正を進めました。このような観点に立つ法制のもとでは、親子の面会交流が好ましいにもかかわらず、同居親側の対応のために、面会交流ができていなかった親が子との交流を実現できるようになりました。これが利点の一つです。問題点は、子との面会交流を制限したり、禁止しなければいけないような親、子どもの生命、身体、健全な育成を脅かすような親が子と交流することを制限できない事態を生じさせたということです。
2011年の法改正は、子どもの福祉を優先することにしました。「子どもの福祉」に合致する場合には面会交流を認め、「子どもの福祉」に反する恐れがある場合には、制限するという考え方に変わりました。子どもとの面会交流を制限する必要がある場合の対応を優先し、仮に会うことが好ましいにもかかわらず子どもと会えない親が一人生じても、会わせてはいけない親が子どもと会ってしまうような事態を排除するという決断だといえるでしょう。
DV、子どもの虐待も含めた「ファミリーバイオレンス」という考え方に基づいて、同居親が子どもの虐待を主張したならば、子との面会交流を求める親の側が、子の福祉を害しないということを証明しなければなりません。http://bylines.news.yahoo.co.jp/sendayuki/20161212-00065383/
この通りだとすると、オーストラリアでは別居親に対して悪魔の証明を要求するような行為がまかり通っていることになります。さすがに、それはおかしくないかと思ったのでオーストラリアの家族法(FAMILY LAW ACT 1975)をオーストラリア家庭裁判所のサイトからのリンク(Australasian Legal Information Institute)で確認しました。
FAMILY LAW ACT 1975 – SECT 61DA
Presumption of equal shared parental responsibility when making parenting orders
(1) When making a parenting order in relation to a child, the court must apply a presumption that it is in the best interests of the child for the child’s parents to have equal shared parental responsibility for the child.
The presumption provided for in this subsection is a presumption that relates solely to the allocation of parental responsibility for a child as defined in section 61B. It does not provide for a presumption about the amount of time the child spends with each of the parents (this issue is dealt with in section 65DAA).
(2) The presumption does not apply if there are reasonable grounds to believe that a parent of the child (or a person who lives with a parent of the child) has engaged in:
(a) abuse of the child or another child who, at the time, was a member of the parent’s family (or that other person’s family); or
(b) family violence.
(3) When the court is making an interim order, the presumption applies unless the court considers that it would not be appropriate in the circumstances for the presumption to be applied when making that order.
(4) The presumption may be rebutted by evidence that satisfies the court that it would not be in the best interests of the child for the child’s parents to have equal shared parental responsibility for the child.http://www.austlii.edu.au/au/legis/cth/consol_act/fla1975114/s61da.html
しょっぱなから養育命令(parenting orders)を決める際には、同等の共同養育責任(equal shared parental responsibility)を前提*1とするように書かれています。(1)にも、はっきりと“the court must apply a presumption that it is in the best interests of the child for the child’s parents to have equal shared parental responsibility for the child.”(裁判所は、双方の親に等しい共同養育責任を負わすことが子どもの最善の利益に適うという前提を適用しなければならない)と書いてありますね。
ただし例外として、子どもに対する虐待や家庭内暴力が挙げられていて、この場合は同等の共同養育責任の前提を適用してはならない、と(2)に書かれています。
これだけだと、なるほど、「同居親が子どもの虐待を主張したならば、子との面会交流を求める親の側が、子の福祉を害しないということを証明しなければ」ならないのかな、とも思えますが、(2)をよく読むと、“if there are reasonable grounds to believe that”とありますね。
「子どもに対する虐待や家庭内暴力があることを信じるに足る合理的な根拠があれば」という条件文です。
また(4)にも同等の共同養育責任の前提が反証されるための条件として“evidence that satisfies the court that it would not be in the best interests of the child for the child’s parents to have equal shared parental responsibility for the child.”が求められることが書かれています。
「双方の親に等しく共同養育責任を負わすことが子どもの最善の利益にならないと裁判所を納得させるだけの証拠」が必要だということです。
改めて小川教授の発言を見てみます。
DV、子どもの虐待も含めた「ファミリーバイオレンス」という考え方に基づいて、同居親が子どもの虐待を主張したならば、子との面会交流を求める親の側が、子の福祉を害しないということを証明しなければなりません。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/sendayuki/20161212-00065383/
同居親が虐待を主張したら挙証責任は別居親にのみ課されるというのは、少なくともオーストラリア家庭裁判所の方針や家族法SECT 61DAの記載とは明確に異なっていますので、小川教授の発言は間違いと言う他ありません。
オーストラリアでは、面会交流を停止するなど共同養育責任を一方から奪う場合には、「信じるに足る合理的な根拠」や「裁判所を納得させるだけの証拠」がまず必要なのであって、それはつまり、面会交流を拒絶させようとする同居親側*2に挙証責任があるということです。
これはもう悪質な嘘と言う他ありません。
そもそも「信じるに足る合理的な根拠」も「裁判所を納得させるだけの証拠」もないような嫌疑を晴らすのに嫌疑をかけられた側が無罪を立証しなければいけないなんて、それこそ悪魔の証明としか言いようがありませんよ。
子どもをお風呂に入れている親はたくさんいると思いますが、“性的虐待をやってないことを証明せよ、出来なければ二度と子どもに会わさない”と言われて納得する人なんているんですか?
まあ、今の日本の離婚後の親子関係を巡る裁判・調停では、こういう悪魔の証明がまかり通ってるんですけどね。