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8月28日にヤフーニュースで配信された「弁護士ドットコム」のニュース(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170828-00006579-bengocom-soci)では、弁護士の斉藤秀樹が記者会見を開き、ようやく裁判で父子関係を極限的に制限させることに成功したことに凱歌を挙げた。斉藤は母親側の弁護士だが、この裁判では、父親が母親側に100日の面会交流をさせることを提起して親権を得ることを松戸家裁が認め、それを覆した東京高裁の判断を最高裁が追認していた。
記事によれば斉藤らは、「子どもを残して別居すれば『置き去り』になるとして、今回の子連れ別居は、違法な『連れ去り』ではないと強調」したという。また、「東京高裁判決は、別居の経緯について、『(母親が)幼い長女を放置せずに連れて行った』として、母親の主張を受け入れた」そうだ。
母親は「子どものことを協議できる状況ではないとして、母親が当時2歳の長女を連れて実家へ戻った」という。子どもに愛情をまったく感じていない親ならいざ知らず、父親は知らない間に子どもがいなくなっているわけだから、「誘拐された」と思うのが当然だ。母親側が「協議できる状態ではない」と認めているわけだから、それが同意を経ていないことは明白だ。
こういった母親とその弁護士たちの主張に賛同できる人はどの程度いるのだろうか。
たまたま実行者が母親というだけで、それを刑法上の誘拐と呼ぶべきではないなどと法律家が諭したところで、それが被害者側には無理筋の理屈であることはちょっと考えればすぐわかる。DVの加害者が夫だからと言って暴力ではないというようなものだからだ。協議ができないといっても、なぜ弁護士たちは相談を持ちかけられたときに、もう一方の親の存在も子どもにとって重要なのだからと、話し合いの具体的な手法を提示しなかったのであろうか。弁護士会はADRという民間調停の分野に乗り出しているにもかかわらずである。こういうもの言いは業界ぐるみの組織犯罪を隠ぺいする詭弁である。
斉藤らは「今回の子連れ別居は、違法な『連れ去り』ではない」と強調したというが、では「違法な『連れ去り』」とはどのようなものを指すのだろうか。ぼくは10年間拉致被害者の相談を受けてきたが、同意のない子の連れ去りが違法と認められた事例を一例も知らない。単に弁護士たちは、無断で子を連れ去っても、裁判所が違法性を認定しないから、実子誘拐の手法を来談者に教えているだけだ。それどころか直接手を下すことすらある。家に帰ったら妻子がいなくなっていて、「連絡するように」という書き置きとともに弁護士の名刺が残されているという、外国人が聞いたら仰天する事例が、いまだにこの国では通用しているのだ。
同意ない子の連れ去りは親の養育権の侵犯行為であり、結婚している夫婦であれば、民法上の親権侵害で違法にほかならない。しかしそれが裁判所で咎められないのは、子育ては女、という性別役割分業の社会的な慣行を壊さないために、現状「不法とまでは言えない」と裁判所が踏みとどまっているからにすぎない。男性の子育て分担がさらに進めば、今後も「合法」であり続ける保証などない。斉藤らが、男性の子育てを敵視する「働く女性の敵」であることは明らかである。
斉藤は、「思うように面会できないとしても、別居している子どもが経済的に困らないように今以上に精力的に働いて養育費を送金してあげられるような『かっこいいお父さん』であれば、成人になってからでも、必ず頼られる存在となるはず」(『子ども中心の面会交流』165ページ)と、ブラック企業が小躍りしそうな発言をしている。これが「女性の味方」だとでも言うとしたら、弁護士会の言う「両性の平等」は、「悪性」の平等と呼んだほうがいい。
もちろん子どもを残して別居すれば「置き去り」だが、子どもの処遇を夫婦で決めて父子と別居しても「置き去り」にはならない。裁判所で公平な判断がされるという前提があるなら、フェアではない連れ去りも置き去りも実行する人は各段に減るだろう。法律家に相談した段階で子どもを確保したほうに親権が行くということを知識として得るから、先に確保しないと一生子どもを会えなくなると実力行使するのだ(もちろんそのほうが有利という安易な発想で実行する人もいるだろう)。
実際、裁判所の決定は受け入れると同居中に調停をしていた父親が、調停中に母親から子どもを連れ去られて会えなくなったという事例を、これまで2回ほど聞いている。これなど弁護士の指示がなければできないことだ。もちろん、父親たちはその後子どもを会えなくなっている。こんなことは法律家なら誰でも知っているし、今やネットでもそんな常識は出回っている。
ちなみに「日弁連法務研究財団」が発行した『子どもの福祉と共同親権』という本の冒頭には、「実務家である弁護士にとって、親権をめぐる争いのある離婚事件で、常識といってよい認識がある。それは、親権者の指定を受けようとすれば、まず子どもを依頼者のもとに確保するということである」という書きだしで始まっている。
斉藤らが、「単に子を連れて別居すればそれだけで親権者として認められるというような単純な判断をしているわけではない」とまじめに言うとしたら、ただの素人である。また知っていて一般人に向けに記者会見まで開いて弁明するとしたら、悪質なデマゴーグである。もちろん、こんな常識を知っていて何の批判もせずに記事にする「弁護士ドットコム」も、業界の利益のための翼賛報道をしているにすぎない。斉藤が本気で裁判所で公正な判断がなされるべきだと強調するなら、日弁連に対して、実子誘拐を教唆する弁護士は、ことごとく弁護士資格をはく奪するように主張するのが筋なのだ。
なお、司法統計で、2015年度の「子の引渡しを命ずる仮処分(子の監護)」は、1119件中174件(15.5%)が認められているので、斉藤らは「子育て実績を裁判所がチェックしている証」だと解説する。ところが、本案で子の引き渡しが争われた場合、総数2753件に対して、認容は281件10.2%と下がっている。総数2753件のうち、この年の新受は1873件で、前年からの繰り越しは880件で32%にもなる。時間がかかればそれだけ引き渡しの可能性は低まるというのは、要するに時間が経てばそれだけ親権を得やすくなるということであり、したがって、弁護士たちは、結論を先延ばしするために、DVのでっち上げや調停欠席などあらゆる引き離しの手段をとる。親権の取得は裁判所では9割が女性となる。それは単に、男性は日中仕事があるので、なかなか連れ去りを実行できないという物理的な要因による。
この事件でも、母親側は父親側のDVを主張していたが、公正な判断がなされるというのなら、そんな認められもしない主張を高裁に来てまで、また弁護団を拡充して政治化してまで、さらに恥ずかしげもなく記者会見をしてまで、するべきでもなかったということだ。
いったいそうまでして弁護士たちは何を守りたいのだろうか。
彼ら自身は矛盾に無自覚かもしれないが、結果的に彼らは性別役割分業に基づく家制度の保持のために尽力している。男性をぼろぞうきんになるまで働かせ続ける企業社会の存続のための功労者でもある。もちろんその直接的な誘因は業界の権益の存続である。
アメリカでは離婚事件は成功報酬で受任できないようになっているが、もし彼らが裁判所の公正さを実現し、「自由と正義」を大っぴらに主張したいのであれば、子どもを人質にとって解決金を得る弁護士や、養育費をピンハネして当事者を食い物にする弁護士を、業界から追放するように主張しなければウソなのだ。(宗像 充)