「フレンドリーペアレント」の行方

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「フレンドリーペアレント」の行方
~最高裁決定で、実務の混乱が収拾されることはない

最高裁は門前払い

7月12日付で、最高裁判所は9歳になる娘の親権を両親が争った裁判の上告を受理せず、父親側の敗訴が確定したことが報じられている。

この裁判は、父親側が娘を引き取った場合、年間100日程度の母子交流をさせると提案したのに対し、母親側が月に1回2時間程度の交流を提案したものだ。一審の松戸家裁では、父親側の提案を採用して、現に子どもを見ている母親ではなく、父親を親権者に指定したため、海外で子の奪い合いの際の基準として用いられる「フレンドリーペアレントルール」を日本でも適用した事例として注目された。要するに心の広いほうが子どもを見たほうが子どもは幸せ、という考えだ。二審では一審を覆したため、最高裁の判断が注目されたが、最高裁の決定はいわゆる門前払いだ。

 最高裁での審理は、事実認定はせず、憲法違反か判例違反のものしか扱わないとなっているため、慣例通り子どもを現に確保しているほうを親権者として選定した高裁の決定が覆る可能性は高くなかったのかもしれない。しかしそれも結果論で、高裁決定が出たときに弁護士の中から意見が出たように、親権者指定の基準がぶれて「実務の混乱」が生じることを恐れた最高裁が、父親側の主張を水際で阻止するために門前払いをしたと見ることもできる。

「断絶性の原則」強し

 その親権者指定の基準は、「継続性の原則」と呼ばれる。現に子どもを確保している側の養育の一貫性を尊重するというものだ。 

 海外で言われる「継続性の原則」は、どの程度子どもの養育に関わってきたかが、養育時間を父母が分け合う際のスタートラインの基準になる、ということを指す。一方日本の場合、いくら子どもの養育にかかわっていても、子どもと離れた時点で親権を失い、この事件で母親側が提案したように、よくて月に1度程度2時間程度しか子どもとかかわれなくなる。子どもを引き離した側にご褒美で親権を与えるというもので、「断絶性の原則」と呼んだほうが実態に即している。

 ぼくは10年間子どもに会えない親の支援をしてきたが、子どもと離れた親が裁判所の決定で親権を得るという事例に直接接したことはない。そのくらい強力な最優先ルールなのだ。

 しかし「原則」というのは名ばかりで、要するに子どもを先に連れ去った実態を追認するということなのだから、もはや司法の役割などないに等しい。その司法の怠慢を最高裁も「門前払い」で追認しただけだ。考えられる中で一番「雑」な判決なのは間違いない。

合法誘拐の継続を願う弁護士たち

 この裁判では、二審の段階で母親側に専ら女性弁護士たちが複数ついて「フレンドリーペアレントなどとんでもない」とこの裁判を政治化した。母親側は父親に暴力があったと主張したようだけれど、高裁では暴力は認定されていない。
 
 そのことをもって、DVを証明するのは難しいということもできない。そもそも母親側が子どもを連れ去るにおいて、父親側のDVが審査認定される手続きも用意されていないからだ。したがって「言いっぱなし」の一方的な主張が、多くの父親たちの名誉を「合法的に」棄損してきた。そして実子誘拐という不法行為も、親権者の誘拐であるが故に免罪されてきたのだ。

 母親側は子どもを会せる提案をしているから正当、という批判もあたらない。「フレンドリーペアレント」が採用されようがされまいが、年353日は子と過ごすべきではない、などという提案を、子どもの養育に深くかかわってきた父親に提案すること自体常軌を逸しているからだ。
 
 最高裁の判決をもって女性の権利が守られた、というとするなら、そもそも男女平等などと母親の側の弁護士たちが言う資格はまずもってない。だいたい実子誘拐は犯罪を女性の権利ではないし、男性の側の養育の分担を規定する決定を覆す支援など、女性の社会進出という側面からすれば、マイナスにほかならないからだ。

子どもの家は二つ

 ただし、以上は親が別れれば、子どもはどちらかに住まなければならない、という前提での話だ。どちらかの親が望まない場合、海外では共同での養育を適用するかどうかの判断を裁判所がするという手順になる。子どもにとって離婚は家が二つになることなので、まずその事実から実態をどうするかを考えるのだ。日本の場合、「実効支配」という実態に、「一つの家」という事実が無理やり当てはまるまで裁判所が傍観する、つまり親のいない状態に子どもが慣れるまで待つ、という極めて悪質な放置プレーをしている。

 今回の事例でも、7年も引き離した末にそれを裁判所が「しかたがないだろう」と追認するくらいなら、暫定的にであれ、決定が出るまでの間養育時間を分け合う決定を裁判所が初期段階で示すべきだったし、離婚前は特に共同親権の状態なので、裁判所は子どもの福祉のために、それをする法的根拠を見出すことも難しくなかった。
 
 ドイツでは、2009年に家事手続きに関する法律が施行され、それまで6・8カ月かかっていた交流権の手続きは優先的、かつ迅速に進められるようになった。交流権争いの解決は、遅れれば遅れるほど、別居親子の関係は疎遠になる可能性が高まるからだ。

実務の混乱はむしろ拡大

 それで、最高裁の決定で実務の混乱は収拾するのだろうか。
 
 ぼくはそうは思わない。

 最高裁が門前払いしたとはいえ、この判決は、良くも悪くも、今回の父親に関する個別のケースに関するものであって、「フレンドリーペアレント」というルール自体を最高裁が否定したわけではないからである。むしろ松戸家裁が高裁で否定されたとはいえ、「フレンドリーペアレント」というルールを断絶性の原則以外に親権者指定において考慮するべき基準として、世の中に提示した意義こそ評価すべきだ。そして離婚を考えた親たちはやはり、相手に共同養育を請求する際の根拠として、「フレンドリーペアレント」とは何かを言葉とし、具体的な提案とともにもっと積極的にアピールすべきだろう。

 そういった親たちの努力こそが、個々の裁判官の認識を変え、無法な実子誘拐の放置という実務の混乱を収拾させ、拉致司法にピリオドを打つことにつながる。裁判所の役割はそれら基準が機能するために、実子誘拐や子の置き去りを防ぐために、「実効支配」を否定して法の支配を家庭に及ばせることだ。

 ところで、今回の事件の父親は、別居親の運動に支援を求め、ぼくも当初父親に呼ばれて松戸家裁まで応援に行ったりした。父親側はその後理由も示さず連絡を絶ったので、ぼくが所属する団体は、彼を直接支援していない。

 彼が他の別居親のために自身の裁判をがんばっているというのであれば、当然にして、他の親たちのために、次は単独親権の違憲性を問う、国家賠償請求を彼は提起することだろう。(宗像 充)

4か月前