宗像充:母子心中から父子心中へ

 この間「親子断絶防止法」をめぐる議論の中で、週刊金曜日をはじめ、別居親ヘイト、男性ヘイトがまき散らされた。こういったヘイトには、デマがセットである点で、民族差別や部落差別に基づくヘイトと同根である。

週刊金曜日の別居親ヘイトの企画で、冒頭に据えられた弁護士の斉藤秀樹は、民法766条に「面会交流」の文言が明文化された結果、「現在、家庭裁判所では、別居親から面会交流の申立があれば原則として面会交流させる方針をとっており、監護親からDV・虐待等の訴えが出ていても子の福祉に反することを立証していない限り面会を認めている」と言っている。こういった斉藤らの主張をベースにしたマスコミ報道も散見されるようになった。本当かなと思って、最近の2015年の司法統計を引いてみた。

面会交流の調停・審判の新受総数はこの年14,241件。そのうち、調停成立と審判での認容を合わせた数は7,653件。申し立てた内の53%が何らかの形で面会交流の決定を得ている。斉藤は「つまり面会が認められない親は子の福祉に反することが明らかな、相当問題がある親といっていい」と続けるのだけれど、「相当問題がある親」の割合は家裁に申し立てたうちの47%もの高率となる。また、面会交流の成立・認容7,654件のうち月1回以上の割合は4,459件で58%。宿泊ありは15,6%。申し立てた内、月1回以上の交流の合意ができるのは30,7%だ。

日弁連が2014年に公表したアンケート結果によれば、調停合意した人のうち、まったく面会ができていないという割合は44%。そうすると、申し立てた人のうち、継続的な交流が子と確保できている人の割合は23%で、家裁に行っても4人に3人は結局会えなくなっている。無惨なものだ。以前は申し立てても裁判所で何らかの取り決めができる人の割合は5割だった。せいぜい3%程度が斉藤が強調する民法766条改正の効果だということになる。実子誘拐を正当化するためのDV主張の濫用が多すぎて、裁判所がまともに受け取らなくなったことは十分考えられるけれど、それはむしろ斉藤ら弁護士にも責任がある。

10年別居親の支援をして、男親の場合、裁判所に行って親権を争い勝った人を見たことがない。弁護士のマニュアル本にも書いているけれど、親権選定の最優先ルールは「実効支配」である。だから、裁判所に面会交流を申し立てられる相手方は子どもを先に確保したほうで、その件数は事実上実子誘拐の件数と言ってもいい。連れ去られて引き離されなければ、面会交流を申し立てる必要もないからだ。

2000~2015の間に、面会交流を家庭裁判所の調停・審判で申し立てた件数は2,728件から14,241件へとなんと5・2倍(司法統計)にもなっている。この期間は、別居親の運動が始まった期間に一致している。子どもを先に取れば親権も取れると、ぼくたちが言って回ったおかげで、実子誘拐事件が激増しているのだ。

こういったデマは、親子の引き離しという人権侵害行為を軽微なものと印象付けるためには必要なものだ。そして一方での人権侵害の救済が、別の人権侵害行為の家庭内暴力についてその救済を損なうものとして天秤にかけられている。後者の被害者は女性や子どもという社会的弱者が中心であり、前者の被害者は、男性という社会構造の支配層を占める社会グループの構成員が中心だから、被害として甘受すべきだ、と本音では言いたいけど、そんな野蛮なことはさすがに人権を掲げている人たちは言えないので、一見もっともらしいデマが必要になるのだ。

例えば、アメリカで面会交流絡みでの殺人事件として、週刊金曜日は475件が2009年から2016年の間に生じていると具体的な事例とともに挙げている。中身を見ると、父親が親権をとったものや共同監護を得たものも含まれており、女性が加害者のものは含まれていない。「面会交流をさせたから事件が起きた」と主張しているように見えて、実際には、男に離婚後に子育てに関わらせるとやばいと印象付けようとしている点が悪質である。

日本でも、4月に兵庫県伊丹市で4歳になる子どもが面会交流中に殺害されている。しかし父親も同時に自殺したことを斉藤は伏せている。この事件について、毎日新聞、神戸新聞などが被害者遺族の母親にインタビューをとり、子どもは父親になついていたので、事件を起こすことは予測できなかったことを報じている。たしかに父親は月に1度の交流を子どもとしていたけれど、一方でその頻度の増加を望んだものの、家裁の手続きでは叶えられていない。日々、家裁の手続きで月に一度という交流頻度を押しつけられて不満や失望を口にする親たちに会っているので、なぜ事件が起きたかは想像に難くない。母親が子との交流を極限的に制限された父親の感情を想像できなかったとしたら、支援や離婚の手続き自体に問題があったと考えるのが妥当だ。

しかしメディアは、母子心中が起きれば、被害者遺族の父親の取材などまずせずに母親の苦境をなんとか記事にしようとするわりには、父子心中が起きれば、父親の苦境など一切想像しようとせず、モンスターのような男の犠牲になった母親の悲嘆を描こうとする。そしていっそう父親たちを子どもから引き離し、会せるにしても監視が必要だと主張する。離婚弁護士たちはもちろん、この事件の新聞記事を裁判所で、引き離しのための書証として活用している。女性の専売特許だった親子「心中」を男性がやるようになって、適切に解説する言葉をメディアはまだ獲得していない。でもその捉え方を男女平等だとはちっともぼくは思わない。

親子引き離しも、DVや虐待と同様人権の問題である。女性だからといって、引き離しという加害責任を免罪するということは、男性差別であるとともに、女性を社会的な責任の担い手として見ないという点で、女性差別だからだ。

(宗像 充 「ジェンダー・ウォー」第3回、「府中萬歩記」40号に掲載)

5か月前