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親子断絶防止法に関する木村草太氏のコメントに対する批判 [家事]
平成29年5月17日に、
「親子断絶防止法の課題」と題したYouTubeが
ネット上に拡散されていました。
NHKラジオの、社会の見方私の視点という番組の
音声データのようです。
時間も限られていたことは理解できるのですが、
おそらく法学者としてコメントを求められたのだと思います。
この意見が法律家の意見だとされてしまうことは、問題が大きすぎると思いました。
古くからの友人にも説明をすることを要請されましたので、
あまり気が進まなかったのですが、忘備録を記しておきます。
1 視点が大人の利益しかないこと
面会交流は、子どもの健全な成長のために行うものです。
確かに、子どもと別居している親が子どもに会いたいことは当然です。
しかし、法律は、子どもの健全な成長のために
面会交流を拡充しようとしているのです。
そして、これは、かけがえのない親だからという抽象的な俗論ではなく、
20世紀後半からの世界的な実証研究によって、
離婚の子どもに与える影響が深刻であり、
健全な成長を阻害するという研究結果に基づいた
科学的な結論なのです。
25年間以上にわたり60組の離婚家庭を調査した
ウォーラーシュタイン博士らの研究や
大規模統計調査のアメイトの研究結果の報告等
離婚後の子どもの心理的問題、
そして、面会交流がその負担を軽減するという
実証的研究結果が報告されました
その結果を踏まえて日本の民法も改正され、
子どもの健全な成長のために面会交流を促進する一つの方法として
離婚届に面会交流の方法を記載することを要求するようになったのです。
現在、裁判所も法務省も面会交流の促進をしているところです。
2 面会交流を危険視するのは科学的ではない
次に面会交流を危険視することに対して疑問があります。
木村氏は、今年1月に起きた長崎の事件と
4月に起きた兵庫県の事件を危険の裏付けだとしています。
これはきわめて乱暴なことでして、
例えば、夜の酒場の口論から殺人事件につながった事件が多くありますが、
そうだとすると、夜に酒場を営業することを禁止するような議論ではないでしょうか。
要するに、本当に危険なのは面会交流ではなく、
殺人に至る人間関係にあります。
これはついこの間書きましたので、繰り返しません。
「危険なのは面会交流ではなく、別居、離婚の仕方 先ず相互理解を試みることが円満離婚の早道」
刑事弁護を担当する法律実務家からすれば、
あまりにも当然のことです。
なお、木村氏の論法で法律実務家からすると驚いてしまうことは、
上記二つの事件について、新聞報道くらいしか知らないで発言しているということです。
長崎の事件については、犯人が特定されたとどうやって断定するのでしょうか。
要するに、仮にその報道が正しく、
離婚した夫が犯人だとしても、
面会交流の機会で起きたという情報しかないのです。
殺人を犯すまで、精神的に圧迫されている場合、
その精神圧迫に至る様々な要因があります。
犯人の性格や考え方もあるでしょうが、
被害者や第三者との関係、
別離に至った原因と、方法等
人が人を殺すということは簡単なことではありません。
それを面会交流の時人が殺されたからといって
面会交流が危険だというのは
学者としての意見というのはお粗末すぎます。
人間の営みに対しての敬虔な態度が欠けていると思います。
また、彼が、このようなことを言わなければ
面会交流が進んだのに
過度の警戒感を持ってしまって
子どもが親に会えない事態が生まれるのではないかという
心配もあります。
ちなみに、子どもに対する虐待死について
父親よりも母親の方が多いことについても
先ほど紹介したブログ記事の
一番後ろの方に政府統計を示しています。
また、面会交流中に暴力や虐待がしばしばある
という聞き捨てならないことも言っていましたが、
統計資料などがあるなら示すべきでしょう。
おそらく日本の統計資料もないままに
言っているのではないかと
私は疑っています。
3 同居親が自己の感情を抜きに行動しているとする点
聞いていて開いた口が塞がらなかったのは、
同居親は、子どものことを第1に考えてふるまっている。
同居親が別居親に会わせたくないと言っているならば、
面会交流をさせないまっとうな理由があるからだ
という発言です。
これはひどい。
さすがに、某私立大の教授だってここまでは言いません。
こういうのを法律用語で
畢竟独自(ひっきょうどくじ)の見解だというところです。
そういうケースもまれにあるのかもしれませんが、
大体は会わせることに抵抗がある
会わせなければならないのはわかっているが、
相手方と顔をあわせるのが嫌でどうしても具体的に約束できない
ということが多いと思います。
嫌がらせで会わせないというケースよりも
こういうケースが多いと私は理解しています。
そして、それも人間なのである程度やむを得ないところがあるから、
何とかそのような葛藤を鎮める方法を編み出しながら
具体的な面会交流を進めているのです。
木村氏が法律学者として発言しているならば
自説に対する根拠を述べるべきです。
何も根拠がなく、子どもたちが親に会う可能性を
阻害する発言を法学者として無邪気にすることは
許されることではないと思います。
家事実務を知らないなら発言を慎むべきですし、
根拠のないことは言うべきでもありません。
4 古典的な20世紀の議論にとどまっている点
木村氏は、面会交流の実施は
同居親に心理的負担をかける
同居親に心理的負担がかかると子どもにとってもよくない
だから面会交流を努力義務でもすることはできない
子どもに強要することもできない
という二つのことをいっぺんに話しているようです。
これは、20世紀のゴールドシュミットやアンナ・フロイトの主張で、
ああ、よく勉強しているなとは思います。
但し残念なことに子どもの発達心理学は長足の進歩を遂げており、
現代においては、
定年間際の家裁の調査官くらいしか支持していない学説です。
この理論は、既に心理学会でも家裁のまっとうな調査官の間でも
採用されてはいません。
採用されていない理由は、裏付けがないということです。
科学的ではないからだということになります。
彼らも確かに面会交流には賛成だが、
同居親の葛藤が鎮まったら面会交流をすればよい
と主張します。
しかし、その後の調査によると
離婚後の相手方に対する葛藤は
多くのケースでつきものであり、
25年を経ても続くことが多いことがわかっています。
人間ですから仕方のないこともあると思います。
葛藤が鎮まるころには、
どうしても、子どもは成人に達してしまっています。
実質的に面会交流を否定する議論であることは
理解できることだと思います。
このような根拠のない面会交流制限から
子どもたちの離婚の負の影響を軽減しようという
科学者たちの様々な調査によって、
現代では面会交流が進められるようになっている
というのが、
法律的見解として述べられなければならないのです。
実務に携わる法律家は、
調査官の方々のたゆまぬ調査研究を学んで
自分の主張をしているのでして、
ちょっと調べればわかることを調べないで
わかったふりをしているというのが
木村草太氏の発言だと感じるわけです。
もし、木村氏が、このような科学の発展を踏まえてもなお、
ゴールドシュミットらの見解を支持するというのであれば、
すでに誰も支持していない説であるけれど
特異な理由があって支持するということを
述べるべきです。
それが述べられていない以上
議論の経過について知らないで発言していると
評価するしかありません。
5 家庭裁判所に対する勝手な批判
木村氏は、わずかの時間の中で様々なことを言っています。
その中の一つとして、この時の木村氏の発言を
象徴するような見解が述べられています。
それは、
本来面会交流がなされるべきではないが
裁判所の人員不足で、
DVや虐待を見抜けないために
面会交流を認めてしまっている事例が多いようなことを
言っていることです。
人員不足が原因ということはどういうことでしょうか。
よくわかりません。
NHKで、民法のテレビ番組にも出ている学者が
そのようなことを言えばみんな信じてしまう危険があります。
よくわからない大学の教授が
インターネットでつぶやいているのとは
わけが違います。
法律家が裁判所批判をする場合は、
まさにそれが法律家の仕事ですから
それこそ豊富なエビデンスを示しながら行うものです。
何も資料がなく決めつけで裁判所を批判しているのであれば、
それは法学者を名乗るべきではないでしょう。
どのケースでDVや虐待があったのに
裁判所が面会交流を認めたのでしょうか。
それがどれくらいの頻度があるのでしょうか。
法学者として見解を述べるならば
それを明らかにするべきです。
どちらかというと、
DVや虐待が無いにもかかわらず
面会交流が認められず
手紙やメールのやり取りだけを強いられている
というケースが実務的な実感としては多いのです。
彼の議論の特徴はここにあります。
私人である父親と母親の権利の調整をする場合、
どちらかの意見に偏って判断することは大変危険です。
DVや虐待が「あった」ということは
大変難しいことですし、
それぞれの立場によって違うということも大いにあります。
そもそも日本の法律のDV概念が極めて曖昧かつ広範です。
そういう場合でも面会交流が有効であることは
ランディバンクラフトの引用で
何度かこのブログでも紹介しているところです。
要するに、複雑な人間の感情を一切捨象して
一方の見方だけを肯定し、
他方の見方を否定してしまっては、
私人間の紛争調整はできません。
6 同居親の児童虐待は国家権力の強制力によって解決するべきだという点
さすが見かねたアナウンサーがいろいろ突っ込みを入れるのですが、
他説を考慮しない彼の発言は意に介さないで続きます。
あるいは争点があることを理解しないのかもしれません。
アナウンサーが
同居親からの児童虐待があるケースを考慮した方が良いということに対して、
そのようなケースは虐待防止法や監護権の変更で対処するべきだ
と発言しています。
まさに国家権力万能論です。
面会交流が月に2回でもあれば、
子どもの様子が変わったことはすぐ気が付くでしょうし、
宿泊付きの面会交流があれば
痣やたばこのやけどなどにも気が付くでしょう。
そもそも、相手親に会わせることを考えれば
虐待などできない心理的な担保になると思います。
子どもも、いざとなれば別居親に逃げればよい
という逃げ道を意識することができれば
虐待を告発することもできるでしょう。
虐待は、世間からわからないようになされています。
法律的制度があったところで少なくならないということから
法律的制度があればそれでよい
ということは児童の権利に対する、あまりにも無理解ではないでしょうか。
また、そんなに簡単に保護を受けたり
ましてや親権変更にが実現できるというような実務的感覚はありません。
これに対して子どもの親が
定期的にわが子に接することの方が
まっとうな解決であるし、あるべき姿だと私は思います。
7 面会施設について
面会施設を作り、無償で提供するべきだということも言っています。
この結論自体は賛成です。
しかし、この人、
親を見張りながら面会をさせる施設が必要だとか
監視が必要だと
そういう言い方をラジオでしているのです。
一緒に暮らしていた自分の子どもが親と会うのですよ。
人間の感情を傷つけることを厭わない人が
法学者として語ることに抵抗を覚えます。
結局、全件原則DV虐待事案として扱え
という主張のように感じられます。
施設が必要であることは
家事調整センター企画書
で述べていますが、
万人が犯罪者で国家権力の強制力に服すべきだ
という観点からの議論ではなく
現実の人間の弱さを前提として
どうやって、大人の都合で子どもに与える負の影響を軽減するか
無駄な大人同士の対立を鎮めて
みんなが苦しみを少しでも和らげるという観点で述べています。
ああそうかとここまで書いて気が付きました。
彼の話は冷たいのです。
それは別居親に対してだけ冷たいのではなく
同居親に対しても
自分の感情を持つことが許されず、
子ども最善の利益で動かなければならない
という人間像を前提とした議論になっているような
冷酷さを感じます。
どうしてNHKは彼に発言をさせたのでしょうか。
それが一番の疑問かもしれません。
彼の議論が法学者としての一般的な見解だと
誤解を与えることはどうしても避けたいところです。
その次の週は、
家族問題に取り組んでいらっしゃる青木先生がお話しするようです。
問題点に対する研究の歴然とした差が
聞き比べると容易にわかることだと思います。