STORYS.JP :離婚、そして親権放棄。それでも、自分の人生と本気で向き合って生きていく。

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離婚、そして親権放棄。それでも、自分の人生と本気で向き合って生きていく。

STORYS.JP 4月23日(土)20時30分配信

離婚、そして親権放棄。それでも、自分の人生と本気で向き合って生きていく。

自分の人生と向き合って生きていく

日々の生活には、気付かないふりができる程度の
小さな不満がたくさんあります。
そのストレスとうまく付き合っていかないと、
身心を病んだり、大切なものを失ってしまうことにもなりまねかせん。

人生のストーリーを投稿するサイト「STORYS.JP」には、
恋愛、結婚、そして離婚に関するストーリーも数多く投稿されています。

平凡な毎日が幸せだと思っていた。
いや、無理やり思うようにしていた。
小さな不満や不安が積もりに積もって、堰を切ってしまった。

そんなストーリーをご紹介します。
何不自由ない、平凡な結婚生活

26歳、ごく普通の派遣社員だった私は、ごく普通のサラリーマンと結婚しました。
仕事を続けながら、長期休暇ごとに夫婦で温泉旅に行く生活。
29歳で「そろそろ子供でも」と妊活を始め、順調に妊娠。
30歳で出産し、夫の転勤で保育園も仕事もあまりない地域へ転居し、専業主婦となりました。

普通に暮らすには、何不自由ない生活。
日々の小さな不満や不安は、
「世の中の大変な人生を歩んでる人達から見たら、悩むことではない」
と、向き合わずにいました。

その小さな歪みが少しずつ重なり合って、大きな崩壊をもたらすとは知りもせず。
積もり積もった小さな不満や不安

何年もずっと、夫から名前を呼んでもらえずにいました。
人に相談しても「照れてるのよ」の一言で片づけられます。
確かにそういうタイプだし、
「まあ、そうなんだろうな」と、何とか納得しようとしていました。

でも、私は言葉が欲しかったんです。
「好きだよ」「ありがとう」「美味しいよ」「髪切ったんだね」
そんな愛情表現で安心を得たかったのかもしれません。

でも、『照れ屋』にそんな事が言えるわけないよね。
他の夫婦だって、きっとそんなこと言われてないよきっと。
食うに困らず生活させてくれる事だけが、彼の愛情表現なんだ。
愛してないとか、そういうんじゃないんだ。

そうやって、自分の中で無理やり解決していました。

周りの友人たちが次々と2人目を妊娠・出産していく中、
我が家には当然そんな可能性もありません。
1人目ですら、交わりなんて全然なかった状態から、タイミングだけ合わせて奇跡的に授かったのです。

女として、終わってるんだなあ。30歳前後にして。
もう誰にも求められないんだ、一生。
そんなことを考えていました。

キャパオーバーを迎えた心

そんな日々を送っていた、33歳のとき。
とある男性に一目惚れをしました。

普段は一目惚れなんてするタイプではありません。
見た目がいい人はむしろ避けていた程に。

それなのに、遠目から、横を向いている姿だけで、
こんなに“どストライク“な人が世の中にいるのか、と思うほどでした。

でも私は既婚の子持ち。
当然アプローチなんてできません。
離婚なんて微塵も考えていなかったし、何年も忘れていた恋心は、
このまま墓場まで持って行くしかないな、と。

でも、そう考える一方で、何かがプツッと切れてしまいました。

堰が切れて、夫に伝えました。
「家を出たい。家政婦生活はもう嫌だ」
結婚生活の破綻、家庭内別居

「君が出ていくにしても、子供は連れて行かないで」
夫からの返事はこうでした。

後で分かったことですが、夫は本当に言葉で伝えるのが苦手な人で、この言葉の行間には
「本当は出て行かれたら困る、辛い。でも君が考え抜いた末に決意が決まっているなら、しょうがない。」
という想いが入っていたそうです。そこが私には伝わっていなかったのです。
そんな裏の裏まで理解しようと努力できる程には、もう既に愛情は足りない状態でした。

そして一気に展開した、結婚生活の破綻、家庭内別居。

結婚して子供が生まれ、その時にはこんなことになるなんて、1ミリも思っていませんでした。
離婚なんて、ドラマの中だけの他人事だと思っていました。

これからどうしよう。
自分の人生を歩みたい。
でも、かわいい子供と離れたくない。

一度しかない自分の人生を築くための、長い戦いが始まりました。
離婚して分かった、子供と過ごす時間の貴重さ

結論、親権を放棄することになりました。

母親が親権を取らないなんてあり得ないと批難され、
当時はまだ友人で、一緒になるなんて夢にも思っていませんでしたが、
「子供を捨てて、男の所へ行った」とも思われます。

親権について話し合っていた頃は、当然のように私が子供を連れて出て行くものだと思っていました。
長い話し合いの末に、家系的な問題など様々な面から、親権は父親が持つことになりました。

それでも、母親である私は毎日子供の元へ通っています。

ご飯を作り、身支度をし、お風呂に入れ、遊んで、寝かしつけます。
子供がグッスリと寝付いたら、自分のアパートに帰ります。

幼稚園の友達と遊ばせたり、たくさん友達を呼んでクリスマス会を開催したり、
幼稚園の行事にも欠かさず参加し、行事の役員もします。

もちろん、1人で生きていくために仕事もしています。

こういう生活を送るようになり、
子供と過ごす時間は当たり前ではなく、すぐに終わってしまう貴重な時間だと痛感しました。
一緒に過ごせる時間は、思いっきり笑顔で過ごしています。

ママもパパも大好きと言ってくれる子供に、心から感謝しています。
寝る前には、「今日も一緒に居てくれて、ありがとう。」と息子に伝えます。
いつも「どういたしまして!今日もラッキーな1日だったね!」と答える子供は、親バカながら最高だと思ってます。

子供の素直な気づきや発想、好奇心ベースの行動力には尊敬すら感じ、子供も我が師とすら思えてきます。
子供は、親を選んでやってくる。そう思っています。本当にありがとう。

だから、真実は当人達だけ知っていて、
批難や中傷、お節介なんか気にするヒマもなく、今この瞬間を大事に大事に過ごすだけです。

先の事は、その時に考えよう。きっと乗り越えられる。
母親として、夕飯係として、家に通うことを許してくれた元夫にも、心から感謝しています。

自分の人生を歩くと決めた。

ごく普通の主婦で、神経質な位に子育て熱心な母親であった私。
今は、1人の息子の母であり、自分が心から愛する人の特別な存在でもあります。
そして、明日死んでも悔いのない人生を選択した、1人の人間です。

たくさん戦って、一生分泣いて、
親権を持っていないことも、考えると涙が止まらなくなるけど、
全てにおいて、後悔はしていません。

母であり、人間であり、女でもありたい。全てを諦めたくない。

安定した生活を捨て、世間の批難を全身に浴びる覚悟も決め、
本当の意味で、自分の人生を歩き始めました。
全てを諦めない生き方で。

毎日、愛する子供と思いっきり笑顔で過ごし、
自分の人生と本気で向き合うべく、生きています。

(STORYS.JPより転載)

離婚にはいろんな意見があると思います。
とくに子供が居る家庭では、自分たちだけの問題ではなくなってしまいます。
一定の年齢に達するまでは夫婦でいようという意見もあれば、
不仲の両親のもとで育てられるのは可哀想だという意見もあるでしょう。

1人の人間で居たい、父親で居たい、母親で居たい、男で居たい、女で居たい。
あなたはどんな生き方をしていきたいですか?

(ストーリー紹介=STORYS.JP編集部・阿部仁美)

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