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「DV」が「離婚原因」とされるとき
―「破綻させ主義」への転換
後藤 富士子
2014年12月
弁護士 ・ 後藤 富士子
1.「DV防止法」の異常な特性
「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」(以下「DV防止法」と略す。)は、何回か改正されていますが、条文を読んだことがありますか? 私の感じでは、「暴力の防止」については特段の対策が定められているわけではなく、「被害者の保護」一本やりといっても過言ではなさそうです。
「配偶者からの暴力の防止」について考えると、現行犯なら警察の介入によって一時的に制圧できるでしょうが、将来に向かって防止すること、つまり「予防」は、保安処分になるので、現行法体系の下では不可能です。したがって、「暴力の防止」といっても結局は、接近禁止などの保護命令、すなわち「被害者の保護」になるのです。
同法の第1章は総則で、第1条2項によれば、「被害者」とは、「配偶者からの暴力を受けた者」をいう、と定義されています。第2章は「配偶者暴力相談支援センター等」、第3章は「被害者の保護」で第6条~第9条の2、第4章は「保護命令」で第10条~第22条、第5章が雑則、第6章の罰則では第29条で保護命令に違反した者は1年以下の懲役又は100万円以下の罰金、第30条で虚偽の記載のある申立書により保護命令の申立てをした者は10万円以下の過料、とされています。
このように概観しただけでも、私たちに馴染みのある法律とは相当異なっていることが見て取れます。この法律の所轄は内閣府男女共同参画局で、行政・政策レベルで見ても、「ワーク・ライフ・バランス」を押しのけて、「性暴力撲滅運動」(?)の根拠にされているのです。
2. 「保護命令」について
私たち法曹が関与するのは「保護命令」ですから、これについて検討します。
まず、保護命令の要件ですが、第10条1項は、「被害者」が「配偶者からの更なる身体に対する暴力によりその生命又は身体に重大な危害を受けるおそれが大きいとき」に、裁判所は、次の2種類の命令を出せます。①被害者の住居その他の場所において身辺につきまとったり、付近を徘徊することを6か月間禁じる「接近禁止命令」。②2か月間、被害者と共に生活の本拠としている住居から配偶者が退去し、付近を徘徊しないことを命じる「退去命令」。
何とも不可思議なのが、被害者が配偶者と「生活の本拠」(つまり住所)を同一にしている場合です。この場合、配偶者に対して自宅への接近禁止を命じることはできませんから、①の「被害者の住居」について「当該配偶者と共に生活の本拠としている住居を除く」とされています。②の「退去命令」については、被害者が自宅から荷物を取り出すために配偶者に2か月間家を明渡させるものですから、申立て時に被害者と配偶者が生活の本拠を共にする場合に限られます。
ところが、「DV」が離婚原因とされるケースでは、妻は子どもを連れて「失踪」するのですから、夫は、「接近」のしようがありません。また、民法や地方自治法、住民基本台帳法等で「住所」とされるのは「生活の本拠」であり、失踪した妻は住民票を残したまま「居所秘匿」です。訴訟では代理人弁護士の事務所を送達場所としていますが、問題は、訴訟が終了した後のことです。私が経験したケースでは、判決で離婚が確定し、子どもを連れ去った妻が親権者になり、住所や本籍をどうするかと見ていたら、呆れたことに、本籍も住所も元夫と同じにしているのです。別のケースでは、本籍を代理人弁護士の事務所所在地にして、住民票は実際には住んでいない実親の住所に措くのです。夫は、突然いなくなった妻子を心配して警察に相談に行くと、そこで自分が「DV夫」にされていることを初めて知るのですから、こんな背信的な妻との離婚はいいのですが、子どもについて「連れ去り」「引き離し」が耐え難いのです。
このようにみてくると、「保護命令」の要件を欠く「被害者」ばかりで、それでも期間限定の命令ですから、裁判官の心理としては保護命令を発令する方に傾きがちです。罰則でも、保護命令違反の配偶者の刑罰と、虚偽申立ての過料と、極端です。
3.「DV被害者」― 自己申告主義と特典
「保護命令」は、一応、司法の裁判ですから、頑張れば申立が却下されることもあります。そこで、妻たちは、保護命令などで司法の救済を求めず、専ら行政の保護を貪るのです。私が経験した例では、保護命令申立てが却下されたにもかかわらず、行政の保護を受け、ついに離婚判決確定、面会交流認容審判も確定しながら、居所秘匿のため面会さえできません。「連れ去り」時に3歳になっていなかった子が9歳になった今も「生き別れ」で、このまま永遠の別れになるのでしょうか。
「DV被害者」として保護を受けるには、「二次被害の防止」という名目で法律が改悪されましたから、警察や女性センターに相談するだけでいいのです。つまり、自己申告主義。一方、「DV被害者」の特典は、凄まじい利権です。「昔、解同(部落解放同盟)、今、DV」と言われるほどです。「DV被害者」であれば、生活保護受給について扶養義務者の調査をしないで夫が知らないうちに支給決定がされ、別途、婚姻費用分担審判も「私的扶養優先」ということで生活保護の関係を無視して決定されます。健康保険についても、被扶養者を抜かないまま手続ができる。さらに、離婚後に支給される児童扶養手当も前倒しで支給される。低家賃の公共住宅に優先的に入居できる、等々。つまり、夫が知らないところで、妻は「DV被害者」として、行政の「上げ膳、据え膳」の待遇を受けるのです。行政にとっては「政策顧客」というべき存在ですから、「対物暴力」「言葉の暴力」「経済的暴力」などと、ことごとく「DV被害者」に誘導するようです。
この辺の実情を知りたい方は、平成17年4月に発行された、内閣府男女共同参画局編『配偶者からの暴力/相談の手引【改訂版】』をお勧めします。
4.単独親権制の害毒の極大化
ところで、民法770条は、離婚訴訟を提起できる場合を定めています。これは、夫婦の合意によって離婚できない場合に、裁判所が離婚判決によって離婚を強制するので、「離婚事由」を法律で定めているのです。問題は、「破綻主義」を定めたとされる「その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき」(1項5号)です。
これを、「DV」が「離婚原因」とされる多くのケースで見ると、ある日突然に妻子が失踪するのですから、別居時に婚姻が破綻などしていません。朝仕事に出かけるのを妻子が見送り、帰宅したら「もぬけの殻」なのです。「連れ去り」「引き離し」「財産持ち出し」等々、残された夫は、経済的にも精神的にも追いつめられます。ちなみに、失踪5か月後に1回だけ接近禁止命令が出された事例では、失踪時に夫名義の預金を全部持ち出しているのですが、前記『相談の手引き』では、居所の手掛かりになるので夫名義の預金を持ち出してはいけないとしています。要するに、妻たちは、「DV防止法」の「被害者保護」とは別次元で、同法を悪用しているのです。しかし、居所も秘匿しているので、「修復の可能性」もなく、裁判所は、「破綻」を認定して離婚判決をします。
すなわち、「破綻主義」ではなく、「破綻させ主義」になってしまっているのです。そのうえ、「破綻させた責任」として、慰謝料まで夫に命じます。これでは、全く無限定な「有責主義」ではありませんか!
ところで、「DV夫」から逃げることが至上命題のはずの妻が、なぜ子どもを連れ去るのか、です。子どもがいれば、「子育て支援」の福祉給付を受けられますし、離婚後も養育費を父親から取れます。婚姻費用や養育費の強制執行は、一度申立てれば毎月取立ができますが、恐ろしいことに、差押えの範囲が拡大されているのです。実際の例では、賃金に強制執行されて、住宅ローンの返済もできず、夫は生活保護ラインを下回る生活を強いられます。こういう事情も審判で主張しますが、「ローンは財産分与の問題だから、婚姻費用について考慮しない」というのです。財産分与として妻がローンの半分を負担するわけでもなく、オーバーローンだというのに。つくづく裁判官って「霞を食べて生きてる人」と思います。
そこで、もし離婚後も共同親権だったら・・と考えるのです。「DV」を「離婚原因」とする妻たちのしていることが、共同親権でもメリットがあるのか、疑問です。むしろ、居所も明らかにして、離婚後の新たな生活を堂々と築けばいい。そのほうが、双方に利益です。
5.法曹の責任
民法818条3項は、「親権は、父母の婚姻中は、父母が共同して行う。」と定め、親権の効力として、監護および教育の権利義務(820条)、居所の指定(821条)を定めています。
しかるに、妻が子どもを連れ去り、居所を秘匿して引き離しを強行すると、夫は、未だ親権者でありながら、親権の行使どころか面会さえできない状況が何年も続きます。このような事態は、弁護士の関与なしに起きません。普通の市民である夫を「DV加害者」と、あたかも犯罪者のように指弾する妻の弁護士は、何様のつもりでしょうか?
さらに問題なのは、連れ去り後ほどなくして面会交流調停を申し立てても、埒が明きません。つまり、日本は、法治国家というより「放置国家」の様相を示しているのです。その点では、憲法で身分保障された裁判官の責任が厳しく問われるべきでしょう。こういう目に遇っている父親は枚挙にいとまがなく、それは偏に裁判所が「連れ去り」「引き離し」を援護するからです。したがって、力が残っているうちに不正義が行われる裁判所と「縁を切る」ことによって、人生の立て直しを図らざるを得ないのも理解できます。「家裁に破防法を適用できないのか」と本気で問うた父親がいましたが、家庭裁判所がしていることは、家庭破壊にほかならないのです。
いずれにせよ、日本の法曹は、法律の解釈適用についてあまりにもいい加減にすぎますし、紛争解決を創造するという点では殆ど無能といわれても仕方ありません。法曹なら、「プロフェッショナリズム」を発揮して、当事者の幸福に役立ちたいものです。