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family:面会交流の妨害行為で親権者を変更した事例
議論を呼びそうな事例である。
父親に親権変更 「面会交流」合意守られず 福岡家裁
発端は関東に住んでいた30代夫婦の離婚調停。双方が長男(現在は小学生)の親権を望んだ。母親は協議中に長男を連れて福岡県へ転居。最終的には、離れて暮らす父親と長男の面会交流を月1回実施するのを前提に、母親を親権者とすることで2011年7月に合意した。
もともと父親と長男の関係は良好だったが、面会交流は長男が拒否する態度をみせうまくいかなかった。父親側は「母親が拒絶するよう仕向けている」と12年9月に親権者変更などを福岡家裁に申し立てていた。
家裁は家裁内のプレイルームで「試行的面会交流」を2回実施。長男は1回目は父親と2人で遊べたが、2回目は拒否。家裁は、長男が「(マジックミラーで)ママ見てたよ」といった母親の言動を受け、1回目の交流に強い罪悪感を抱き、母親に対する忠誠心を示すために父親に対する拒否感を強めたと推認するのが合理的と指摘。面会を実施できない主な原因は母親にあるとした。
その上で、家裁は親権を父親、監護権を母親へ分けるべきだと判断。「双方が長男の養育のために協力すべき枠組みを設定することが有益。子を葛藤状態から解放する必要がある」とも指摘した。
このケースについて論評するような情報を持たないので、あくまで一般論ということになるが、面会交流については積極論と消極論とが鋭く対立している。
家庭裁判所は面会交流について積極的に実施させるべきとの立場であり、民法のミニ改正によって条文にも取り入れられたことがその後押しとなっている。
対して、DV被害者を支援することの多い弁護士たちを中心に、面会交流の「強制」に対して反対する消極論がある。
そうした中で、面会交流について一定限度ながら間接強制の余地を認めた最高裁決定は、積極論を背景としているということができる。→arret:子の面会交流と間接強制
この対立の消極論の立場からは、上記記事に見られる試行的面会交流についてもネガティブな評価がある。一、二回の「試行」で面会交流に問題がないという結論に結び付けられやすいということによるものだが、上記の裁判例はそのような試行的面会交流に監護親の方が抵抗した結果とも見ることができそうだ。
しかし、その結果として、父親に親権を付与し、母親に監護権を付与するという。
つまり母親が引き続き養育しながら親権は父親により行使させるという環境になったわけだが、これは子育てにとって、特に面会交流の実施についてすら厳しく対立している元夫婦の間での子育てにとって、望ましいものなのであろうか?
ともあれ、未成熟子がいる夫婦の離婚について条件を定める家事事件は、未来を形成していく試みであり、状況変化があれば常に設定した条件を見直すという柔軟さが必要である一方で、安定した生活という観点からはころころと条件が変えられても困るという二律背反がある。
さらに、人の感情に深く関わり、強制には最も不向きな領域ながら、他方で法的な強制力を適切に発揮しないと力の支配という最悪な状況に陥ってしまうという、これまた二律背反がある。子の国際的奪取に関するハーグ条約はその二律背反に一つの解を得ようとする試みということができるが、それが妥当なのかどうかは、大いに議論の余地があるところだ。