東京BREAKING NEWS: 「報道ステーション」名物ディレクター自殺の真相に迫る

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「報道ステーション」名物ディレクター自殺の真相に迫る

2014年09月09日 原発取材 名物ディレクター 報道ステーション 自殺の真相

 テレビ朝日の報道番組で活躍するディレクターが8月30日朝、遺体となって発見された。岩路真樹さん。享年49。生前、現場にこだわり、弱者からのまなざしにこだわっていた彼は福島県で急増した甲状腺ガン問題に継続して目を向けたり、除染問題の欠陥について追及したりと、なかなか日の当たらない問題にも粘り強く取り組んでいた。その姿勢は休日になっても同様で、自費でイラク戦争を取材したり、冤罪被害者に話を聞きに行ったりもしていた。

 彼が甲状腺ガン問題といった原発の闇に食い入るような報道をしていたからなのか。警察権力にひるまず取材をしていたからなのか。亡くなったことがネット上で拡散されはじめた9月2日以後、根拠のない憶測やイメージ操作、果ては暗殺と決めつけるコメントがネット上に飛び交うようになった。新聞や雑誌での報道が一切ないため、憶測が憶測を呼んだのだ。

 そんなはずはないのに――。

 生前の彼のことをよく知っているだけに、赤の他人が彼の死を弄ぶように書き連ねることが辛かった。とはいえプライベートな事柄なので詳しくは書けない。そんなジレンマの中、筆者はじっとしていられなくなり、ついには都内の南部にある岩路さんの自宅へと足を運んだ。彼の死が本当なのか確かめたかったし、もしそれが本当なら花を手向けてみたかった。そしてわかったことをひとつひとつ記していくことで陰謀説の火消し役になりたい。そう強く思った。

 以前も来たことがある岩路さんの一軒家の前に立った。玄関ドアが固く閉じられていて、人気はなかった。死亡を知った知人たちが置いていったのか、玄関ドアの前には花束や封の開いたビール、つまみなどが置かれていた。ドアの手前にはポストがあり、「岩ジンさんが『なくなりましたので』先方におかえし下さい。 8月30日」と記され、ガムテープで封がしてあった。

 それを見て、彼の死を突きつけられた。胸が締め付けられる思いがした。

 呆然としながら花を手向け、その後、自宅の前でポストの貼り紙を見ながら、故人との思い出を思い浮かべ、ぼんやりと佇んだ。

 すると、隣に住む年配の男性が家から出てきた。

「そのポストね、荷物が来ても困るので亡くなったのがわかった日に私が封をしたんです」

 その男性は岩路さんの古くからの知り合いだという。恐る恐るその男性に亡くなったときのことを聞いた。

「第一発見者は奥さん。30日の朝、別居先からやってきて合い鍵で開けて、亡くなってるのを確認したんです。岩ジンくんは3階の部屋のドアを目張りして練炭自殺。そこは別居前に彼が子供たちと彼が一緒に寝泊まりしてた部屋だったの。岩ジンくんは亡くなる直前まで広島にいて災害現場を取材してたんだけど、東京に戻ってから会った人は『(言動に)おかしい様子はなかった』って言ってたそうだね。だけどね、私が見るに8月に入ってからおかしくなってた」

 淡々と話してくれただけに死という現実が深刻に感じられた。

 それにしても、いったい彼が亡くなった本当の理由は何なのだろうか――。

後日、岩路真樹さんの関係者が集まる場があり、そこで亡くなる前後の様子のことについて話を聞いた。

「私、岩路さんと8月27日の夜に打ち合わせたんです。そのときはいつもの元気な岩路さんでした。『9月からまた福島の取材を再開するから』って。ところが、その翌28日に、ろれつの回らないしゃべり方で『体調が悪いので行けません』と会社に電話したそうです。その後は連絡が途絶えました。調べた結果、亡くなったのは28日だという話でした」(警察関係者が「29日死亡」だと話していることが某雑誌の記事にてわかった。おそらくそちらの方が正しいのだろう)

 岩路さんは睡眠薬を飲んだ後、練炭の燃えている部屋でそのまま絶命したのではないだろうか。会社に電話をしたとき、ろれつが回らなくなっていたのは、そのときすでに睡眠薬を飲んだあとだったからかもしれない。

実は、筆者は岩路さんと今年の春以降、家族の問題について、やりとりを交わしていた。妻子と別れた者同士、意見交換し励まし合っていた。またその問題に関する記事を雑誌で書くために、体験を語ってもらおうと7月に取材を依頼していた。

 ところがその依頼は断られている。

「先日もお話ししたように取材に応じるのは難しいと思います。今、まさに調停が進んでいるところであり、親権を争っています。微妙な時期であるということをご理解ください。日程的にも非常に厳しく僕はレギュラーで平日、仕事が終わるのは24時過ぎです」というメッセージが7月の半ば、岩路さんから届いたのだ。

 調停とは裁判所が仲介して話し合い解決を目指すもの。このような離婚に関する調停は精神に深いダメージを与える。かつては愛し合った相手に対し、失点を追及するようなやりとりに終始し、罵り合いに発展することが珍しくない。また、相手方からやってもいないDVを主張されそれがそのまま認定されてしまったりする。そうしたことが続き、おそらく彼はかなり消耗したはずだ。

 また平日の激務に加え、休日は取材に出かけたり、子どもたちに会ったりしていたからかなり疲れがたまっていたはずだ。さらには原発の闇を追及することで東電やその下請けのやくざまがいの建設会社などからプレッシャーを受けていたとしても不思議ではない。こうした重圧が彼にのしかかったことで、彼の心は折れ、衝動的に自殺してしまったのではないか。とはいえ、死に至ったとするにはどれも決定的な証拠に欠けている。

 他殺の線はどうなのだろうか。ある週刊誌記者は言う。

「事件性はないですね。自殺です。しかも彼は一般人。事件性がないのにわざわざ一般人の死を報道する公益性はないと思います。だから、どの媒体も報じないわけです」

 このコメントに加え、遺書を残しているという事実が他殺説を強く否定している。

 だからこそ記事にならないということなのに、記事にならないということが憶測を呼び、一人歩きしてしまったのだ。

 言い換えれば、他殺を疑われるほど岩路さんは食い込んで取材していたということだ。真摯な生き方を貫き通した岩路さんのことを筆者は知人として誇りに思っている。ご冥福をお祈りします。(了)

※「追記:「遺体発見は8月31日朝、検査医の見解によると死亡推定日は8月29日」だということがこの記事発表後に判明した」

Written Photo by 西牟田靖

10年前