町村泰貴:いわゆるハーグ条約初適用事例

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町村泰貴
2014年08月31日 08:07

いわゆるハーグ条約初適用事例

日本人として「国際的な子の奪取の民事面に関する条約」、いわゆるハーグ条約の適用を初めて受けた事例について、その後の経緯が報じられている。

「ハーグ条約」初適用の日本人の子、英滞在認められる

要するに、日本在住の子についてイギリスに赴任した妻が日本からイギリスに子どもを連れ出したところ、イギリスの裁判所は日本に戻す決定をして、これに従って日本に子どもが連れだされたところ、今度は日本の家庭裁判所がイギリスでの滞在を適法と認めて、再びイギリスに行くことになったというわけである。

どうも記事のトーンは妻側の言い分に基づいて作成されているようで、ハーグ条約に翻弄されたとか、結局元の当事者同士の取り決めのままになったのだからハーグ条約は不要だったなどと評価されている。

しかし、当事者が法制度に翻弄されたのではなくて、当事者が法制度を活用した結果、司法判断が振り回されたようにも感じられる。

にも関わらず、制度論としては、国際的な民事紛争について各国それぞれの裁判所で裁判をするということの混乱というか、国際的二重起訴の可能性に起因する問題性が現れており、興味深い。

一般的にどこかの裁判所がきちんと決めてほしい、国によって判断が分かれるようなことがあっては、当事者が迷惑するという人は多いと思うが、例えばこのケースで、イギリスの裁判所が「きちんと決めた」以上、その判断が他国の裁判所を拘束するとなると、妻側は不満だっただろう。

たまたまこのケースでは、イギリスの裁判所が日本人夫の言い分を認め、日本の家裁がイギリスに赴任した妻の言い分を認めたケースだったが、結論が逆であれば、それはそれで不当に自国民保護に傾斜しているなどという批判も予想されるところである。

EUやアメリカ連邦裁判所のような、主権を超えた裁判所の存在を条約で認めるなら、問題は解決だが、アメリカのように連邦国家となってしまえばともかく、EUレベルではまだ各国の意思とEUレベルの司法判断とが摩擦を起こしてしまう。

こういった領域は研究者にとっては知的刺激の宝庫ということができるが、実務にとっては割り切れない思いの充満する領域である。

10年前