女性セブン:岩崎宏美 一時「死にたい」と思ったが17年経て2人の子奪還 (1/2ページ)

岩崎宏美 一時「死にたい」と思ったが17年経て2人の子奪還 (1/2ページ)

http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20130901/enn1309011032003-n2.htm
2013.09.01
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 それはよく晴れた7月のこと。東京下町のベイエリアにそびえる超高層マンションの入り口の脇を背に、母と息子は交互に写真を撮り合っていた。大きな声で笑い合いながら、ひと目を気にすることなく2人は何度も何度もシャッターを押した。それは岩崎宏美(54才)と息子だった。

 またある日は、その長男(23才)と次男(21才)を連れて、岩崎が近くのスーパーで夕飯の買い物をするシーンも目撃されていた。

 近所の住民がこう話す。

 「岩崎さんがあのマンションに引っ越してきたのは4年ぐらい前かしら。旦那さんと再婚する少し前だったと思います。これまではご夫婦で暮らしていたみたいですが、この7月以降、息子さんたちの姿もよく見かけるようになったんです。宏美さんの旦那さんとも仲がいいみたいで、愛犬のミニチュアダックスフンドを息子さんたちと散歩させることもありますよ」(近所の住民)

 近所の住民が当たり前のように目にするようになった一家の姿。しかし、岩崎にとって、子供と一緒の日常生活を営むことは17年にも及ぶ悲願だった。

 岩崎が2人の息子の父親であるAさんと結婚したのは1988年のこと。有名財閥創始者の子孫でエリート商社マンでもあったAさんは、岩崎に家庭に入ることを望み、彼女は歌手を休業して、2人の子供の育児と家事に励んだ。

 しかし、結婚生活は長くは続かず、1995年に離婚となった。

 2人の子供の親権はAさんが、養育権は岩崎が持つことに。だが翌1996年、Aさんが再婚すると、妻と2人の子供たちは養子縁組し、彼女が新しい母親になってしまう。

「2人の息子は新しい母親と暮らすことになり、岩崎さんは養育権を奪われてしまう形になってしまいました。彼女は裁判を起こそうとも考えましたが、Aさんから“裁判を起こしている間は子供たちに会わせない”と告げられ、主張を取り下げたんです」(岩崎の知人)

 最愛の子供たちを手放さざるを得なかった岩崎は心療内科に通うほど追い詰められていった。子供たちが暮らすマンションの前を車で訪れては、灯りが消えるまでその前から動けない。そんな日が3日に1度はあったという。

 「彼女は“もう私には何もない。死んだほうがいい”と真剣に思い詰めていました。当時、宏美さんの部屋は3階にあったのですが、カーテンを開けてしまうと発作的に窓から飛び降りてしまうかもしれないからと、カーテンを閉め切って生活をしていたそうです」(前出・知人)

 その後、Aさんは再婚相手と2人の子供を連れてメキシコに転勤。岩崎は子供たちの顔を見ることさえほとんど叶わなくなってしまう。

 そんな彼女を支えたのが、1998年に舞台『レ・ミゼラブル』で共演した現在の夫・今拓哉(44才)だった。今とつきあい始めてから、子供たちと会うときも今は同席した。

 2008年秋、岩崎は初めて自分のコンサートに子供たちを誘った。客席の2人の姿を見た岩崎は「夢ってかなうものだ」と幸せをかみしめながら歌ったという。

 2009年に今と再婚した岩崎。そして今年に入ると、2人の子供たちとの関係は大きく変わる。

 「2人とも20才を過ぎて、ひとり暮らしをするようになり、自分で自分の生き方を決められるようになりました。これまで実の母親である岩崎さんにあまり会えなかったから寂しかったんでしょうね。今年に入ってからは、息子さんたちは岩崎さんのもとを頻繁に訪れてるみたいですよ。特に次男は夏頃からほとんど一緒に暮らしているみたいですね」(前出・知人)

 ※女性セブン2013年9月5日号

10年前