堀尾の保険学:今週の共同養育

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(1)「親権、面会交流、子の養育」(Child Custody, Access and Parental Responsibility)を読みました。

これは、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学のKrukによる文章です(2008年)。この研究には、カナダ政府部局が、一部分の資金援助を行っています。

この文章のサマリー(要約)は、以下のような内容です。
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最近の実証的な研究から明らかであるのは、裁判所が単独親権を命じると、両親の間の争いは増すことである。また、共同養育の設定は、両親の間の争いを減らすということである。共同養育なら、いずれの親も、子どもを失うことを恐れなくて済む。

最近の研究の多くは、勝者が全てを取るような単独親権から、両方の親が協力して育てる共同養育へ移行することを強く支持している。

①母親に単独親権を与えると、多くの場合、父親を疎外し、父親不在を招く。父親不在では、子どもの精神的予後は悪化する(刑務所の若者の85%は父親不在である。高校からドロップアウトする生徒の71%は父親不在である。家出した子どもの90%は父親不在である)。
②親が離婚した子どもの70%は、両方の親と同じ時間を過ごすことを望んでいる。
③共同養育の子どもと、単独親権の子どもを比較すると、適応の全ての指標において、共同養育の子どもが優れている。
④単独親権では、両親の間の争いは、時が経つにつれて増加するが、共同養育では、減少する。子どもを失う恐れが減るほど、その後に暴力が起きる可能性は減る。

カナダの家族法改正は、次のようなことを目的としている。「別居や離婚の後でも、子どもが両方の親と、親子としての意義深い関係を維持すること。両親の間の協力を促すこと。両親の間の争いを減らし、裁判を減らすこと」

共同養育では、両方の親と子の関係が維持され、両親の間の協力は最大となり、争いは減り、深刻な家庭内暴力や児童虐待が減る。子どもの養育をめぐって、法廷で両方の親が、破壊的な戦いを行うことがほとんど無くなる。
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この文章のうち、「子どもの親権が問題となる状況における家庭内暴力の研究」(p19-22)の部分は、以下のような内容です。
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一般的に信じられているのは、大多数の深刻な家庭内暴力は、男性が加害者で、女性が被害者ということである。そして、このことは、子どもの親権を決定する際に、大きな影響を与えている。

子どもの親権が問題となる場合において、争いの多いカップルでも、たいていの場合には、暴力は無い。また暴力が実際に存在する場合でも、ほとんどは双方向性の暴力である。女性による単独の暴力のケースもある(Dutton, 2005; Johnston and Campbell, 1993)。

多くのメタ解析は、家庭内暴力を行う頻度は、男性も女性もほぼ同じであり、その影響もほぼ同じであることを示している(Laroche, 2005; Pimlott-Kubiak and Cortina, 2003; Serbin et al.,2004)。激しい家庭内暴力はまれであり、それを行うのは、男性の3%、女性の2%ほどである(Laroche, 2005; Dutton, 2005)。女性による暴力は、信じられているより、はるかに多く、一般的であり、暴力の深刻さも同等である(Stets and Straus, 1992)。家庭内暴力の最も一般的な形態は、双方向性のものである(同書)。

共同養育では、両親の間の争いのレベルは、単独親権の場合より低下する。裁判所が命じた共同養育の場合でも、争いのレベルは低下する(Bauserman, 2002)。それまで暴力は無かったが、争い自体は激しかったケースでは、親権を失って子どもを失う恐れが生じると、暴力が行われる可能性は、ずっと高くなる。

別居や離婚に際して、子どもとの関係を維持しようとして苦闘する父親の自殺率は、平均より高い(Kposowa, 2000)。非同居の父親が自殺したケースでは、「法律を利用した虐待」が認められるケースがある。

ブリティッシュ・コロンビア州最高裁の判事Konigsbergは、「子どもの生活から、片親を根こそぎに排除することは、それ自体が児童虐待である」と述べている。
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(2)ワレン・ファレルWarren Farrel も、女性の暴力について論じています。「父と子の再会」という本の中で、次のような問いを出しています(p75)。
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子どもを虐待する者のうち、最も多いのは、次のうちの誰か

①郊外の中流階級の父親
②教育の無い父親
③離婚した父親
④上記のいずれでもない
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最も多いのは、同居の母親です。だから、答えは「上記のいずれでもない」です。
(Wikipedia「児童虐待」を参照して下さい)

(3)米国の「全国親組織」の記事「法務省は家庭裁判所を改革している」も、Krukと同様のことを述べています。またKrukの文章への言及もあります。

(4)私がそれらの文章を読んで理解したのは、以下のようなことです。

・男と女の凶暴性、暴力度は同じであるが、表現形式が異なる
・女性は、単純な力比べをしない
・親、教師、経営者、裁判所、世論など、強い者を利用する
・連れ去りにより、父親を子どもから排除する
・連れ去りにより、子どもを内的に支配し、道具として使う
・男性は、暴力被害を受けてもあまり気にしない
・男の大前提は、「公明正大な戦い」である。
・「公明正大な戦いに参加して、正面から正直に努力すること」を男の子どもに教えることは、

  父親の重要な役割である
・男性は陽性であるが、女性は陰性である
・世の中の偏見・暴力について、その責任の半分は女性にある
・女性の暴力を軽視または無視せずに、直視して冷静に対応する必要がある

この小文の目的は、女性を虐待者として非難することではありません。「暴力から利益を得ようとする行為は、女性でも男性でも大差が無い」という意見に賛成しているということです。

過去、数十億年の進化の歴史の中で、法律も無く、文化も無く、科学もなく、力関係だけがあったような状況で、「どうすれば、最も生き残りやすいか」の答えとして、一定の暴力を使用してきたと考えられます。それには、女性か男性かという生殖様式とは、あまり関係ないようです。

しかし、今はそういう弱肉強食の時代ではありません。法律もあり、文化もあり、科学もあります。また、相互に人権を認めて、相手の人格を最大限に尊重しなければなりません。そして相互の利益を最大にしなければなりません。

「男性は暴力的であるので、母と子の家庭から男性を隔離すれば、うまく行く」というのは、おとぎ話です。

共同養育は、両性の戦いを減らし、協力を促進します。そして、子どもの精神的予後を改善させます。母親の児童虐待も減ります。何よりも、子どもが心から喜びます。

(H25.12.28、追記)

今回の、無理心中事件は、究極の連れ去りです。母親が裁判所と共謀して子どもを連れ去ろうとしたのに対抗して、死後の世界を信じる男が、子どもを死後の世界へ連れ去ろうとしたのだと、私は考えます。双方向的な、暴力的な連れ去りです。ハーグ条約の代わりに、現代医学の力で、子どもをこの世へ連れ戻すべきです。

子どもから見れば、母親に連れ去られるのも、父親に連れ去られるのも、連れ去られるという点では、同じです。子どもは、健全に成長したいのです。自分の人生をまっとうしたいのです。そのために、父親と母親の両方から、多くを学びたいのです。両方から、多くを受け取りたいのです。幸福な家庭を作って、自分の子どもと楽しく暮らしたいのです。それが、「子どもの利益」です。

子どもの権利条約は「子どもの意見を聞け」と述べているけれど、それは単に聞くだけです。子どもが主役であることを確認することが目的です。子どもの表面的な意見の通りにするわけではありません。

また、子どもの本心を聞くのは、そんなに簡単なことではありません。あの世の存在を信じている男が、子どもに「おとうちゃんと、あの世で、サッカーしよう」と子どもに言って、子どもが「うん。ぼく、おとうちゃんとあの世で、サッカーする」と答えたとしても、子どもは「あの世」を遊園地の一種だと思っているだけかもしれません。

植民地支配をしている最中のイギリス人が、あるインド人に「イギリスのインド支配をどう思うか」と聞けば、「イギリスのおかげで、インドは文明化しました」と答えるかもしれません。よど号の乗っ取り犯人は、「乗客は、我々の行動を理解してくれている」と考えていたでしょう。家庭裁判所の調査官は、「連れ去りは、子どもに悪影響を与えている。外国では重罪である」という報告書を書く代わりに、「子どもは母親と暮らすことを望んでいる」という報告書を書くでしょう。同様に、子どもを連れ去った親は、内的支配を完成させた後では、「子どもは自分と暮らすことを望んでいる」と信じているかもしれません。

連れ去られた子どもが、父親と会いたくないと言ったとしても、それを真に受ける必要はありません。子どもが置かれた困難な状況を理解した上で、子どもへの支援を維持・強化すべきです。

今回の無理心中事件は、子どもの権利条約を基に、子どもの利益を第一に考えれば、完全に誤ったものであることが理解できます今回の事件は、凶悪な連れ去り事件であると私は考えます。2、3年前に、弁護士2名が、相次いで、非同居の父親に殺害されましたが、それと同様の暴力事件であり、共同養育制度であれば起こり得なかった悲劇です。

10年前