日経新聞社説: 『準備はいいか ハーグ条約』=国民に求められる覚悟=

日経新聞 2013年11月17日(日) P.10 日曜に考える面
社説『中外時報』=論説委員 小林省太=

http://blog.goo.ne.jp/pineapplehank/e/a04158eca4b59a7ca7422e731887c529

『準備はいいか ハーグ条約』=国民に求められる覚悟=
 日本にとって全く新しい仕組みだし、われわれにも経験がない仕事だーー。

 国際結婚が破綻(はたん)し親の片方が一方的に子を外国に連れ去ったとき、紛争をどう解決するか。

その国際的なルールを定めたハーグ条約に、日本は来年4月にも正式加盟する。
それに向けて準備が進んでいるが、大きな役割を担う外務省と裁判所で、同じような意見を聞いた。

 それは、国の体制だけでなく一人ひとりの意識も変えねばならないことを意味している。

 子どもが16歳未満で、これまで住んでいたA国からB国に(裁判所の許可なく)不法に連れ去られたとき、子はA国に戻りA国で問題を解決する(=裁判する)、というのが条約の原則だ。

その原則が子の利益を守ることにつながるという考え方が、(ハーグ条約の)根底にあるからである。

 国際結婚が当たり前になれば、外国人同士の男女に離婚や子供の扱いをめぐるトラブルも増える。

紛争を裁くルールが必要であり、日本がそのラチ外に居られないのは当然だろう。

 しかし、正式加盟を控えて裁判所や弁護士から懸念を聞くようになった。

条約の原則がまだ十分理解されていないのではないか、という懸念である。

 例えば米国人と結婚していた日本人女性が子を米国から日本に連れ帰ったケース。

男性が米側の機関に訴え、女性の行為が不法と認められれば、(まず第1に)子を米国に返還することを前提に、以後の手続きは日本で進んでいく。

 米側から連絡を受けた外務省が、必要なら母子がどこにいるか自治体などを通じて探す。
その後、間に入る弁護士や仲裁機関を紹介して話し合いを促(うなが)す。

それでも解決できないと東京、大阪の家裁で子どもを返還すべきかどうか(=母親が不法に子を連れ帰ったかどうか)を審理する・・・。

 その(日本での)審理は「父と母のどちらかが親としてふさわしいか」を判断するものではない。
それは子が戻った先の米国で行う、というのが条約の決まりだからだ。

 条約は、(米国に返すことで)子に重大な危険があれば返還を拒める、という例外を定めている(例外規定のみが拒めるということは、大半が子を米国にいったん返すことが原則となる)。

日本の法律は、子に悪影響を与える親同士の家庭内暴力(DV)があるかどうかも考慮するよう求めている。

この例外が原則に比べて関心を集めすぎていないか、というのが関係者の懸念である。

 「家裁は子を母親から引き離すことの是非ではなく、条約の趣旨を踏まえた判断(=母親が子を連れ帰ったことが合法であったか否かの判断)をする立場だ。

そのことを理解してほしい」と最高裁家庭局は言う。

 「子を抱えた母親が『返さないで!』と叫んだとき、それを見て引いてしまう感情を超えないと、条約は成り立たない」と語るのは、ハーグ条約に詳しい大谷美紀子弁護士である(=母親に子を託すか、父親に子を託すかは、子を米国に返還した後で、米国の裁判所で父母が相争うべき問題となる)。

 ハーグ条約への加盟の背景には、日本人による連れ去りを避難する欧米諸国の強い要求があった。

条約事務局の統計にみると、加盟国で裁判になった場合に例外(=子に重大な危険及ぶ恐れ)を認めて返還を拒否する決定はざっと3分の1。

国によって大きなばらつきがある。
この数字が日本でどうなろうとも、注目はされるだろう。

 返還拒否が多ければ外国が問題にし、少なければ国内から批判が出ると考えられるからだ。

もし家裁が子の返還を命じ、それでも母親が子を手放すこともともに外国に行くことも拒めば、裁判所が強制的に子を母親から引き離すことになる。

その難しさは容易に想像できる。

 最高裁は子の心理やプライバシーに配慮した方法についてなお詰めている。
外務省が採用する児童心理の専門家が現場に立ち会うことも検討している。

しかし、そこまで親同士の対立が深刻になると、裁判所の命令が宙に浮くこともあるだろう。

 そして返還後は。
言語、習慣(、高額の訴訟費用)など「アウェー」の地で、子どもに対する権利を巡る争いに臨まなければならない。

 もちろん、日本から外国に子が連れ去られたときは、裏返しの手続きが進む。

 条約が適用されるのは正式加盟後に起きる事案だ。
いま件数を予測することは難しい。

日本人に子を連れ去られた外国人の訴えが年間100~200、うち裁判になるのが数十ともいわれるが、あくまで推計である。

 今後、未体験の制度に直面する外務省や裁判所には手探りの部分もあろう。

ただ、条約が定める手続きが始まり、まして裁判になれば、親も子も大きな負担を強いられるのは間違いない。

だからこそ、「条約の原則が教える国際結婚のリスクを理解し、連れ去りが起こる前にトラブルを解決する手立てが大切」(太谷弁護士)なのである。

10年前