弁護士小倉京子のブログ:子どもとの面会交流

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子どもとの面会交流

 家庭裁判所の調停や審判で扱われる事件の1つに面会交流というのがある。子どもの両親が分かれて住んでいる場合に、子どもと離れて住んでいる親が、子どもと一緒に住んでいる親に対して、子どもと会わせてくれるよう求める事件のことだ。昔は面接交渉と呼んでいたが、最近は面会交流と呼ぶことが多い。
 両親が結婚している場合は、2人とも子どもの親権者で、これを共同親権という。子どものことは2人で話し合って決め、一緒に面倒をみなさいということだ。
 子どものいる夫婦の仲が悪くなって、片方の親が子どもを連れて出ていってしまうことはよくある。あるいは、妻が夫と子どもおいて、または夫が妻と子どもをおいて出ていってしまうこともある。そうして、子どもと別れて暮らすようになって、子どもの顔を見なくても平気な親もいるかもしれないが、たいていは妻や夫の顔は見たくなくても、子どもの顔が無性に見たくなってくる。自分の子どもがかわいいという気持ちは、理屈ではなく、本能的なもののような気がする。たぶん何らかのホルモンが関係していしているのではないかと思う。
 子どもに会いたくなった親は、別れた夫または妻の家に電話をかけて、子どもと会わせてくれと頼んでみるが、相手は嫌だと言って会わせてくれない。2人がまだ法的に婚姻関係にある(籍が抜けていない)場合、お互い子どもの親権を持っているのだから、子どもと暮らしている親が、もう一方の親に対して子ども会ってはいけないという権利はない。だから、離れて暮らしている親は、堂々と子どもに会いにいけばよい。しかし、子どもが小さい場合は一緒に暮らしている大人の協力なしに会うことは難しいし、子どもが小学校高学年とか中学生であっても、一緒に暮らしている親の意向に逆らって離れて暮らす親に会うのをためらうこともある。
 子どもと会えない親から相談を受けた時、私は家庭裁判所に行って、面会交流の調停を起こしたらどうですかと助言する。調停を起こせば問題が解決するとは限らないが、法律がそれを正当な解決手段として定めているからだ。少なくとも私が調停官として関与した調停では、調停委員にはできるだけ親子がスムーズに面会交流できるような話し合いができるよう配慮したつもりだし、当事者の代理人として調停に出席する場合は、そういう話し合いになるよう調停委員や調査官をリードしようと努力している。
 申立人と相手方の双方に弁護士がつくケースでは、子どもと一緒に住んでいる親の代理人は、子どもと離れている親の欠点やその他の理由を挙げて、子どもを会わせるわけにはいかないと主張してくるのがふつうだ。私が実際に経験した事案でよく出てくる理由を紹介しよう。
● 離婚した後なら会わせる。
 早く離婚したいという自分の欲求と、子どもともう一方の親が互いに交流する権利を混同し、利用していると思われるケースだ。子どもは親の所有物ではない。両親が仲良く揃っているのに越したことはないと思うが、訳あって別々に暮らしていても、子どもはできるかぎり両親から愛情を受けるのが望ましいのではないか。自然が人間の子どもに2人の親を与えたのには、それなりの理由があるはずだ。
● 一緒に暮らしていたときに子どもの面倒をみていなかったから、安心して子どもを任せられない。
 日本では、同居している夫婦が役割分担をしていることが多い。一方は外でお金を稼ぐことに生活の重点をおき、他方は家事や育児に重点をおく。しかし、それはあくまで一緒に生活しているときのことであって、別居または離婚した場合に子どもに会えなくなることを想定してそうしていたわけではない。たしかに、子どもが幼い場合、おむつをかえたり、始終監視していなければならなかったりするが、それらは特別な才能がなければできない作業ではない。誰でも、初めの子どもができたときは新米のパパ・ママで、子どもと接することで世話の仕方を学んでいく。これまで育児にかかわる時間が少なかった親が、別居を機に子どもの世話を学んでいくのもよいではないか。
● 子どもが疲れる。
 遠くに住んでいる親の所まで行くと、子どもが疲れてしまうからダメだというのだ。毎週、飛行機で太平洋を横断するなら分かるが、2週間に1回程度、1時間か2時間離れている親の家に行って週末を過ごしたところで、どうということはないだろう。子どもが幼い場合、離れている親と久しぶりに会って、嬉しくなって興奮し、1日中一緒に遊べば疲れるだろう。しかし、子どもが疲れるのは面会交流だけではない。外で思い切り遊べば疲れるし、運動会や遠足に行っても疲れる。そんな日は、夕飯の前に寝てしまうかもしれない。しかし1回くらいご飯を食べなくても子どもは平気だ。翌日、朝ご飯をたくさん食べればいい。子どもに疲れることはさせないという育児方針は正しいのだろうか? 
● 離れている親は、性格が悪い。子どもにそんな親を見倣ってほしくない。
 厳しすぎる、口うるさい、だらしない、頑固だ・・・たいていは、こんなことを大げさに言う。別居中や離婚したばかりの夫婦は、互いに相手を嫌いになってそうなったのだから、容易に相手の欠点を挙げることができるし、それらの欠点は真実であることも多い。しかし、人間だれしも欠点がある。欠点が1つもない完璧な人間でなければ子どもと会えないとしたら、どんな親も子どもに会うことはできないだろう。厳しく、口うるさい人は、しばしば勤勉で自分にも厳しい人であるし、片づけるのが苦手な人は、他人に優しく、小さいことを気にしない人であることも多い。頑固とは、言い換えれば信念を持っているということでもある。
 子どもは、異なる欠点と長所を持つ2人の親の姿を見ながら、成長していくものではないか。夫婦は、互いの長所をほめ、欠点を補いながら暮らしていければよいが、そうできなくて離婚した場合も、子どもの前では長所をほめることが難しくとも、互いの欠点をあげつらうことだけは止めたほうがよいと思う。
● 子どもが離れて暮らす親を嫌っている。
 両親がけんかしたとき、子どもはしばしば一方の味方をする。他方の親が嫌いだというわけではないが、行きがかり上、そうなってしまうことがある。よくあるのが、夫婦げんかで形勢不利になったほうの親を子どもがかばうケースだ。子どもは、弱い方の親の味方をして、バランスを保とうとする。だからといって、もう一方の親が嫌いというわけではなく、両親が互いに傷つけ合うのを止めようとしているのだと思う。
 また、両親が別れて住んでいる場合、子どもは、一緒に住んでいる親の顔色をうかがって、離れている親に会うのをためらったりすることがある。離れている親のことを話したり、会いたいと言ったりすると、一緒に住んでいる親がいい顔をしないからだ。幼い子どもにとって、日常的に自分の面倒を見ている親の機嫌は死活問題だ。子どもがかわいければ、そんな思いをさせてはいけない。
● 離れて暮らす親には、1か月か2か月に1回会えば十分だ。
 こんなことを言う弁護士が実際にいる。何を尺度にそういうことを言うのかわからない。私は、「あなたにもお子さんがいますか?」と尋ねて、いると答えたら、「あなたもお子さんに1か月か2か月に1度会えば十分だと思いますか?」と聞いてみる。相手はたいてい言葉に詰まる。自分は別だと思っているのかもしれないし、あるいは、本心は自分も1か月か2か月に1回しか子どもに会いたくないのかもしれないが、そう言ってしまったら自分の人間性が疑われると思って言えないのかもしれない。自分ができないことや、自分の人間性が疑われるようなことを、他人に求めるのはどうかと思う。
 調停は、申立人側と相手方が交互に調停室に入って調停員と話をするから、調停委員はこんな理不尽な言い分をいちいち聞いて、伝言ゲームさながらに、相手に伝える。1か月から1か月半に1度しか開かれない調停の時間は、このようなやりとりに費やされてしまい、子どもと離れている親は、数か月間、ひどいときには1年以上も子どもと会えないままになる。これが、家庭裁判所の調停で実際に起きていることだ。
 私は、面会交流の調停では、子どもに対する虐待の危険性があるなど、深刻な弊害がある場合を除いて、普段は離れて暮らしている親子の親密な面会ができるよう実質的な方法論が話し合われるべきであり、このような茶番劇に費やされるべきではないと考えている。
 では、なぜこのようなことが起きてしまうのか。それは、離れて暮らす親子が交流する権利が法律で具体的に定められておらず、子どもと一緒に暮らしているほうの親や調停員や弁護士の親子の交流の重要性に対する理解が不十分であるからである。
 家庭裁判所の調停は、平日の午前10時から午後5時の間にだけ行われるから、出席する当事者は少なくとも仕事を半日休まなければならない。仕事を休んだ挙句、調停がカタツムリの歩みのようにしか進まないのではたまらない。調停は、家庭裁判所の庁舎を使い、調停委員には報酬が支払われるから、無駄に時間を費やすことは税金の無駄使いでもある。
 親子の面会交流が重要な意味を持つ期間は案外、短いものかもしれない。中学生や高校生になれば、親と会うより、週末は勉強やクラブ活動や友人と過ごすほうを優先したいと思うだろう。小学生くらいまでのうちに、しっかり親子のコミュニケーションをとって、子どもが親に会いたいと思ったときには、自発的に離れている親と連絡をとって、会えるようにしておくのがよいと思う。
 私は、インターネットで海外の番組を見るのが趣味の一つだが、最近、Inside the Actor’s Studioというインタビュー番組で、アメリカの人気コメディアン兼俳優であるEddlie MurphyとChris Rockのインタビューを見た。2人とも、貧困な境遇に育ち、ショービジネスの世界で成功したのだが、話の端々に両親のことを話していたのが印象的だった(※)。両親の愛情は、子ども時代の幸せな思い出を作るだけではなく、成人してからの仕事の成功や異性との交際、そして幸せな結婚の礎となるものだと思う。

※ Eddlie Murphyの場合は、実の両親は離婚し、母親の再婚相手がよい人だったと言っていた。

11年前