ヌエック 8月例会報告 離婚・離別後の男女共同子育て

8月例会報告

[男女共同参画のための研究と実践の交流推進フオーラム]
離婚・離別後の男女共同子育て

2009年8月30日(日)ヌエック(独立行政法人 国立女性教育会館)
協力:Kネット(共同親権運動ネットワーク)

参加者 29人(日本女性学研究会会員 4人含む)

1.はじめに
「離婚後の共同子育て」例会は、Kネット(共同親権運動ネットワーク)に協力を得て、埼玉のヌエックでの開催が実現しました。宗像充氏に基調講演をしていただき、その後、当事者としてのお話と、フロアーからの発言を基に、ディスカッションしました。

2.宗像さんのおはなし

○民法の規定について
日本には面接交渉について明文化された法律というのがない。民法の中には、養育費についても規定がなく、面接交渉についても規定がない。養育費については、法制備不十分だとは言われているが、一応、強制執行するという手続きがある。面接交渉についてはそういう手続きもなくて強制力がないが、家裁の調停で面接交渉調停というのを申立てることが出来る。

民法の766条の、離婚した後の子どもの養育については協議して定める、その協議が整わない場合は裁判所で定める、というたったそれだけの簡単な規定を根拠にして面接交渉調停とういうのが成り立っている。調停を申立てることが出来るけれども強制力がないから、たとえ約束しても、守ってくれるとは限らない。だから、基本的には裁判所は強制力がないことについて、守ってくれないような約束というのをなかなかさせたがらない。簡単に言うと、相手方がどうしても会わせたくないって言うと、裁判所が、子どもを持ってる側の意向に逆らうようなかたちで取り決めさせるということはまずほとんどないっていうような形になっている。

○裁判所のいう「子どもの福祉」
裁判所の中で、「子どもの福祉」っていうことについての、統一見解がない。裁判所は、「子どもの福祉」を尊重して決定をすることができるとなっているが、「子どもの福祉」というものが、例えば、子どもを見ている側の「家庭の安定」であるとか、あるいは離婚したあとに子どもと行きかいすることが「子どもの福祉」であるのか、ということについて裁判所の中で統一見解がない。だから、例えば、「子どもの福祉」にしても、いろんなことを行政訴訟しても、最後の水戸黄門の印籠のように、「公共の福祉」という形で全部訴えが棄却されるのと似たとこがある。最終的に、「子どもの福祉」という言葉で、子どもに会いたいと言ってる側が、子どものために我慢しなさいっていわれる変な話になっていることがたくさんある。

○親権について
日本では離婚した後に、親権というのがどっちかの親に行くことによって離婚は成立する。多くは、離婚したときに親権をなくしてしまうと、結局のところ、会う保障がない。親権が一方にいってしまうということは、片方の親が何も権利がなくなってしまって、0か100なわけで、そういうような状態というのが良くないということでぼくたちは運動を始めてきた。
○当事者の状態
集会をやってみると、40人か50人の当事者がわさっとでてきた。「離婚したら子どもに会えなくなってもしょうがないのよ」と周りの人はみんなが言うし、手だてもなく、当事者は大体孤立している。ぼくも子どもと引き離されて、自分の家の掃除ができるようになるまで3ヶ月間くらいかかったし、自炊するまで、3ヶ月間かかったけれど、当事者の状況はかなりひどいものがある。この運動を始めて、電話相談を受けることが多いが、「うちの息子が子どもと引き離されて、もう6年も失業している」とか、「うちの娘が子どもと引き離されて、もう5年も家の中に引きこもっている」とか、当事者の親から電話がかかってくることも多い。

○女性のほうが会えない場合が多い
数からいえば、離婚したあと、8割が女性の方に親権がいく。裁判を経由すると9割が女性のほうにいくわけだから、圧倒的に男性の方が会えなくなるのが多いけれども、当事者のグループのなかに出てくると、結構女性の割合が高い。3割か4割女性かなと思う。それはどうしてなのかなと考えると、これはデータから実証されていて、1973年に相原さんという人が調査したときに、別居親と子どもの交流状況で、交流できている場合、父親と子どもの場合21.1%、母親の場合8.7%、しかない。母親は父親の半分くらいしか会えていない。もう一つ、1987年の円よりこさんが主催しているニコニコ離婚講座の調査では、父親が別れて住む子どもと会っている割合が29%、母親の場合が15%になっている。父親が引き離された時よりも、母親が引きはなされた時のほうがより会い難くなっているという実態があって、それが当事者のグループの構成比率にも反映しているのかなと思う。家制度がまだまだ尾を引いている。
やっぱり女性の置かれた地位というのは、ぼくよりも、当事者本人たちが考えるべきことなのかもしれないけれど、よくない状況にあるのだろうなと思う。
大体女性の側というのは、「子どもを捨てただめな母親」と言われがちである。「私だったら絶対子ども捨てないわよ。」という人もいる。養育費を払わない悪い父親がいるとか、会えないけど、養育費払い続けているりっぱな父親というのが逆にいて、そういう会えない父親というのは、昔からいるということは一応認知をされてきた。だけど会えない母親というのがいるっていうこと事態が、あまり認知されてこなかったところがあるんだろうなと思う。

○会えなかった子どもたちと話す機会
会えなかった子どもの方たちと話す機会って、あまり多くはないけれど、たまにある。一つ印象深かったエピソードがある。昨年、町の中に、子どもにも親と会う権利があるでしょ、という集会の発足のチラシを配ったりポスターを貼ったりしたことがある。その時に、ある女性の方から、「私はもうすぐ30になるんですけども、お父さんと会えてないんです。お父さんがいることがわかったので会いに行こうと思っています。どうしたらいいんでしょうか。」というメールが入ってきた。そのチラシ、ポスターの文面を見て「私はお父さんに会っていいと思った」と。そういうような感覚というのが、ずっと子どもの中でも、積み重なってきたということはあるんだろうなと思う。簡単にいうと日本の中では、やっぱり離婚したら会わせない方がいいんじゃないのかというふうな風潮というのは、ずっとあったと思う。
○フエミニズムについて
男女共同参画で、家庭の中でも、子育てというものについて、男性もやるべきであると言われてきた。ぼくも1人暮らし長かったし普通に日常の習慣として家事育児をやってきた。そういう中で、育児も、子どもできたんだから、自分の子どもなんだから、面倒見るの当たり前だと思ってやってた。離婚したとたんに「もうあなたは子育てしなくていいんですよ、子どもと関わらなくていいですよ」と言われても、納得する人はいない。だから離婚後の子育てという視点は、欠けていたと思う。

○家裁の実態
法律は766条で一応あるが、方や裁判所にいくと、週に一回会いなさいという審判結果が出て、方や年に3回写真だけを送りなさいという結果が出て、同じ法律なのに、何でこんなに違うんだと、そこはやっぱり納得できないところで、個々の状況に応じて裁判所はきめ細かな対応をしているんだという言い方をするけれども、法治国家なんだから、いくらなんでも、この開きはない。

○親権のない親
例えば、戦前、女性の参政権がなかったのと似たようなもので、親だけれど、親としての法的な権利というものが何も保障されてないわけで、親としては半人前以下という扱いが大体今の実態かなあと思う。協議離婚で、親権はどっちにいっても、子どもの面倒はお互い協力してみている夫婦でも、そのことについて法律が何らかの保障を与えてくれるとかいうわけでもないし、子ども見ている側がある日突然、気が変わりましたっていってしまえば、会えなくなるということは当然ありうるというようなことになっている。日本では、親権だけ決めれば、それでいいって形になっていて。それは親権があるほうが子ども面倒見たらいいでしょ、かた方の親はいらないでしょ、という考えでそうなってると思う。

○海外
子育ての問題と養育費の問題の両方決めて、それを裁判所に提出することによって離婚が成立する。裁判所を経た離婚だからそれに違反すると、法廷侮辱罪になって収監される。それが一種の強制力である。海外では、平日はお母さんが子どもを見て、休日はお父さんが見て、長期休暇の間は分け合うみたいな子育てのあり方というのが一般的にあるといわれている。法律がそうなっているというのがある。社会の認識がそうなっているというのもある。もう一つはやっぱり、それだけの強制力が背景にある。そこまでやって、海外の共同子育てというのが成り立っていくのは、子どもにとって、それがいいという共通認識が出来ているということ。会わしたほうがいいのか、会わせない方がいいのかという議論は、海外では終わった議論であり、会わせたほうがいいというのが原則であって、その中でも、いろいろ例外はあるので、きめ細かく応じていくという形をとって共同親権とか共同子育てというのが出来ていった。

○共同子育てのための共同親権
会えればいいだけでなくて、子どもの成長に関わりたいわけだから、そのことについてしっかり保障してほしいと思っている。
もう一つは、単独親権だと、どこまで行っても会わせてもらうという立場が変わらない。共同親権でも、実質上は離れて暮らしているわけだから、共同子育てといっても、どちらかが制約されたり、金銭状の問題もあるし限界はあるが、法的な立場が不平等であるということについては、最低限平等性というものを保障してくれるような法体系というものができていかない限りは、問題は根本から変わっていかない。

○子どもにとって
子どもにとって離婚は、自分が立ってる地面が揺らぐくらいの大事件だと言われているが、片方の親がいなくなってしまうということは、その事件を乗り越えるにおいて、普通に考えればもっと障害になる。

○ビジテーションセンターが必要
「共同子育て」と言ったところで、当事者同士でやりとりするってことは難しい。法律があったとしても難しい。その為に第3者の支援が必要。海外では、面会交流の仲介をすることについて、様々な行政のサポートがある。僕たちも地域の中で、ビジテーションセンターをつくって行きたいと思っている。子どもにとって、両方の親と行き来できることが利益であるというふうに考えるのであれば、そのようなことを求めていく必要が、行政もそのようなサポートをしていく必要があるんだろう。子ども持ってる側がDVの加害者の場合もある。この場合、会いに行くことができない。

○養育費と人質取引
子どもを使った取り引きというのが、割とされている。これだけの額の養育費を払うまで会わせないとか。
母子がその後安定した生活を送っていくにおいてはきちんとした経済的基盤というものがあった方がいいので、その為にお金をちゃんと取っていくということは、普通に弁護士も考えることであって、こどもを引き離すことは人権侵害だって頭がなければ普通にやってしまう。まじめな弁護士であればあるほどやってしまう。
相手が会わせてくれないのに、養育費払って下さいっていわれる。法律も変え、やり方を変えればたぶん養育費を払う率も変わっていくだろうと思う。

○差別の問題
いろんな構造の問題がある中で、「あなたに原因があるんでしょう」というふうに言われること自体が差別の問題。

⇒ 報告のPDFはこちら NWEC200908

15年前