Listening:ハーグ条約、米でも困惑 子供の「拉致」か 虐待から避難か
http://mainichi.jp/journalism/listening/news/20130805org00m030004000c.html
2013年08月05日
◇DV被害女性「私が悪者…ぞっとした」
【ワシントン及川正也】国際結婚が破綻し、一方が子供を海外に連れ去った場合に適用されるハーグ条約に加盟するための関連法が日本で6月に成立した。だが、最大の焦点となる子供の「拉致」か、家庭内暴力からの「逃避」かを巡る判断で、裁判所などが苦しむこともありそうだ。日本に条約加盟を迫った米国だが、国内では同じようなジレンマを抱えている。
◇連れ去り、9割が母親 家庭内暴力立証は重荷
「ハーグ条約では私が悪者だとわかってゾッとした。国は虐待者のもとに子供を連れ戻そうとした」。6月19日、米下院で開かれた会合で、南部アラバマ州出身のスーザン・ベイティさんは涙ながらに打ち明けた。
米国人のベイティさんはオーストラリア人と結婚し豪州で生活していたが、夫が交通事故で働けなくなり、暴力をふるうようになった。2006年8月に長男と一緒に出国し米国に戻ったが、夫が9月にハーグ条約に基づく申請を豪州当局に行い、07年2月に米連邦地裁に子供の返還を求めて提訴した。暴力から自分と子供の「安全」を守るための逃避行のはずが、子供を「拉致」した犯罪者扱いをされたことにショックを隠せなかった。
「夫は(米豪の)2カ国から自分が被害者だという確認を得ていたのに、私には政府などの公的な助けが何もなく、私が示した家庭内暴力の証拠をちゃんと調べようとしなかった」と唇をかんだ。
実家などの支援を得て臨んだ裁判では、夫の過去の家庭内暴力も明らかにされ、連れ戻せば子供に「深刻な危険」が及ぶと判断。返還を拒否するベイティさんの主張が認められた。08年の控訴裁判決でも地裁判決が支持され決着した。だが、ベイティさんはこの間、いつ連れ戻しを命令されるかと「恐怖におびえていた」という。
1983年に発効したハーグ条約は配偶者の了解なしに海外に勝手に連れ去られた子供(16歳未満)を元の場所に戻すのが原則。子供の養育方法を話し合いで決めるなど家族の「和解」を目指すのが目的だった。
しかし、そうした理念に反し、近年の連れ去りは家庭内暴力からの避難という事例が多くなった。
条約では、連れ去った方が家庭内暴力の被害者で、連れ戻せば子供が「深刻な危険」にさらされることを証明できる場合、例外的に連れ戻しを拒否できる。ただ立証責任は連れ去った方にあり、原告に有利な制度と指摘されている。
会合で司会のオレゴン大学のメルル・ワイナー教授は「子供の連れ去りと家庭内暴力という大きな社会問題をそれぞれ取り締まる法律はきちんとしているが、この二つが同時に起きたときの対応は不十分だ」と語る。
ワイナー教授によると、連れ去る側の9割は養育権のない母親で、家庭内暴力からの逃避というが、「家庭内暴力の子供に対する影響を裁判所が学術的に検証しようとしないため、母親が家庭内暴力を証明するのは過大な重荷になっている」と指摘する。敗訴すれば相手の訴訟費用を負担しなければならないリスクもある。
「日本は世界の中の『連れ去り天国』になっている。これは不公平で、全く助けにならない」。会合を他の議員と共催した共和党のスミス下院議員は具体的な事例を引用しながら日本政府の対応を批判した。
国務省によると、過去20年近くで日本人を相手とするハーグ条約に基づく申し立ては320件を超える。一方、「米国男性が力ずくで子供を連れ去るケースもあるとみられる」(日本政府関係者)という。
ワイナー教授は毎日新聞の取材に、日本の手続き法成立を「大きな前進」と評価したうえで、返還すれば子供が暴力を受けるおそれがあるという「証明を(被告側に)どこまで負担させるか」と指摘。裁判で被告側に過大な負担がかからないよう期待を示した。
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■ことば
◇ハーグ条約
正式名称は「国際的な子の奪取の民事面に関する条約」。1983年発効。了解なしに子供を国外に連れ出した場合、もう一方の親の返還要求に基づき子供を元の国に戻す義務を規定している。2013年5月現在、90カ国が加盟。主要8カ国では日本だけが加盟していない。日本は今年5月に加盟を承認、6月に手続き法が成立し今年度内にも正式加盟する。手続き法では外国にいる親が日本で裁判を起こすことができることや、子や親が外国の親から暴力を振るわれるおそれがある場合は、裁判所が返還を拒否できる規定を盛り込んだ。