奪われる子 国際離婚の陰で(上) 異なる親権制…ハーグ条約未加盟の壁 連れ帰ると誘拐犯

2010年1月10日 朝刊

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2010011002000049.html
二〇〇六年夏、米国東南部ノースカロライナ州の空港。見送りに来た十四歳の長女は別れる間際、「一緒に日本に帰る」と泣き叫びながら渡辺美穂さん(49)に駆け寄ろうとした。だが、米国人の元夫に腕ずくで阻まれた。それ以来、渡辺さんは長女に会えないままでいる。

米兵だった元夫とは神奈川県座間市で知り合い、一九八九年に国際結婚した。元夫はすぐに渡辺さんに暴力を振るうようになった。結婚生活をやり直すため米国で暮らし始めたが、暴力はやまず、元夫は渡辺さんへの傷害容疑で逮捕された。渡辺さんと長女は避難施設に一時身を寄せ、九五年に日本に戻った。

帰国後に離婚。しばらくして、元夫は長女との面会を求めるようになった。熱意に負けて〇五年夏、中学生になった長女に往復航空券を持たせ、米国に一人で送り出した。

元夫は長女を空港で出迎え、そのまま消息を絶った。家を引っ越し、居場所すら分からなくなった。外務省を通じて捜索を頼んでも手掛かりすら得られなかった。

「今、お父さんといるの」。長女から突然電話があったのは一年を過ぎたころ。長女は元夫と暮らし、地元の中学に通っていた。「お父さんから電話したらダメだって言われていたの」

連れ戻すために大急ぎで渡米した渡辺さんは、元夫から驚くべきことを聞かされた。「娘を日本に連れて帰ると誘拐犯になるよ」

渡辺さんは、離婚時には一方の親が親権を持つ単独親権制の日本で離婚届を出し、自分が親権者だと思っていた。だが、離婚後も双方に親権がある共同親権制の米国で、元夫は離婚手続きの時か、どこかの時点で自分だけを親権者と指定していた。

国際結婚が破局した場合、子どもの争奪トラブルを防ぐためのルールとして「ハーグ条約」がある。米国は加盟しているが、日本はしておらず、加盟国同士で行われる離婚手続きの相互承認ができない。

元夫に無断で長女とともに帰れば、米当局から誘拐犯として指名手配される身になる。そうなれば米国にも行けなくなる。「長女を米国に行かせたのが間違いだった」。渡辺さんは悔やみながら、一人で日本に戻るしかなかった。

日本人の元妻が連れ帰った長男(8つ)に会いたくて来日し、「犯罪者」になったスペイン人の男性がいる。

マドリード在住の会社員ホセ・カルチョさん(51)は昨年六月、埼玉県に住む元妻の家を訪ねた。面会はかなわず、思い余った末、向いの家の塀に「パパは来たよ。パパを忘れないで」と赤いペンキのスプレーで書いてしまった。

器物損壊容疑で警察に逮捕され、罰金十二万円を払って釈放された。警察では「二度と日本には来ません」という念書への署名も迫られた。元妻が「彼を家に近づけないで」と届けていたからだ。

スペインに戻り、昨年十一月に再来日したが、元妻の家の近くまで行くのが精いっぱいだった。「家の近くを歩いているだけでも、捕まるかも…。もう息子には会えないのか」。ホセさんの目が潤んだ。

国際結婚の破綻(はたん)と同時に、国境をまたいで始まる子の争奪。ハーグ条約に加盟する欧米各国から今、日本に加盟を求める声が高まっている。子と引き離された親たちの苦悩を通じ、条約加盟の是非を考える。 (この企画は佐藤直子が担当します)

<ハーグ条約> 国際結婚が破綻した場合、子の帰属の民事的解決のために結ばれた条約。離婚した親の双方が共同で親権を持ち、子と同居しない場合は面会権がある。一方の親が面会権を確定させないまま居住国から子を母国に連れ帰った場合、子を連れ出された親が返還を申し立てると、相手方の国の政府は元の居住国に帰す協力義務を負う。欧米など約80カ国が加盟。主要8カ国のうち未加盟は日本とロシア。条約には離婚後も双方が共同養育するという考え方があり、単独親権となる日本は批准が難しい。国連子どもの権利委員会は日本に批准を勧告している。

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