「並木道」114号より(並木道の会、2012年12月22日)
おかしいぞ! 宇都宮けんじ
宗像 充
前回並木道で都知事選候補宇都宮けんじさんが弁連会長だったときの日弁連意見書について紹介しました。その後別居親団体の「共同親権運動ネットワーク」で都知事選各候補者にアンケートを送付し、宇都宮さんからも回答をいただきました。
宇都宮氏の回答は、別居親子への差別に基づいたものです。解説とともに紹介します。
宇都宮氏は【問い1 「離婚・未婚にかかわらず、原則双方の親から十分な養育の機会を 保障することが子どもの利益である」との考えに賛成ですか。】の設問に賛成と答え、【問い2 離婚後の相当な面会交流の基準として、国際的水準である年100日の ガイドラインを行政が示すことに賛成ですか。】にはdとして、「一般論としては国際水準が正しいが、日本の場合は子どもの連れ去りやDV加害親からの二次加害を生みやすい。」と答えています。
このような回答は、あえて意図的に、別居親からみれば「奪還」にあたる行為を「連れ去り」と呼ぶことで、「連れ去り」というのが一般に一方の親の同意のない子の奪取のことを指し、別居時に主になされる「連れ去り」行為が放置されていることに対する国内外の批判をそらす意図が背景にあります。
特にその後、「日本の場合は……DV加害親からの二次加害を生みやすい」とすることで、子どもに会いたい親は、危険であると印象づけを狙っています。ネガティブキャンペーンです。なぜならその根拠を示さないからです。
「日本の別居親はとりわけ凶暴なので、日本の子どもは親と会えないかほんのちょっと(月に1度2時間=年24時間程度)しか会えなくてもしかたない」と言っているのと同じです。結果的に、子への差別も肯定します。
【問い3 同居親側からの申告によって、運動会や授業参観などの 学校・園行事から別居親が排除されることについて、どのように考えますか。】についてもdとし、「別居している親に問題がない場合排除は好ましくないと思います。特に子どもが排除を望まない場合、その意思も尊重されるべきです。もちろんDVのように排除すべきケースがあることは言うまでもなく、ケースごとに判断が必要だと思います。」と答えています。
設問は、学校現場の主観的な判断で、別居親が排除されることの是非を問うているものです。行政の裁量だけで子どもに会いにきた親の権利を制約することは問題があるのではないか、と候補者の意見を求めています。なぜなら、たとえ裁判所の判断が面会交流に否定的な傾向があるにしても、行政は司法ではないからです。DVへの対応も、あらかじめ司法の判断があってはじめて本来であれば現場での対応が正当化されます。
アンケートの案内文ではDVや虐待の場合に面会交流が制約されることも指摘しています。宇都宮氏の回答では結局、現場の裁量で、排除すべきかどうかを決めてよく、親どうしの意見が割れた場合は、子どもに決めさせるということになります。親どうしの意見対立があるときに、その判断を求められ子どもは別居親に「来て欲しい」と言うでしょうか。「別居している親に問題がない場合排除は好ましくないと思います。」という宇都宮氏の回答では、現場は別居親に問題があるかないかの判断を自由にすることができます。結局このような回答では、別居親とは本来危険なものということを前提に恣意的な排除を正当化することにしかなりません。宇都宮氏は、この回答でも問題の解決ではなく、別居親への否定的な印象づけを行っています。
なお「ケース毎の判断」はもちろん必要ですが、片親疎外について対処する制度的な担保がなければ、結局、最終的には同居親の意向に左右される面会交流のあり方を肯定しているだけです。DVや虐待の対応についても、行政による対応の根拠が必要であるから法整備がなされてきました。本来であれば刑事的な介入と刑事罰の適用がなされなければならないのは、連れ去り案件と同様です。対処する法や制度がない状態で、「ケース毎の判断」と言われてまともな対処が現場でできますか。不当に排除された別居親がそのことで怒れば、果たして「暴力の防止」となるでしょうか。むしろ本来であれば防げた暴力を作り出すことにもなりかねません。