読売新聞:子が出自知る権利確保を …慶応大小児科専任講師・渡辺久子氏

論点(3)子が出自知る権利確保を …慶応大小児科専任講師・渡辺久子氏

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慶大医学部卒。1995年より現職。小児精神科医。FOUR WINDS乳幼児精神保健学会会長。64歳

精子提供や卵子提供などの第三者が関わる不妊治療は、子どもを持てない夫婦に福音をもたらす医療とされているが、反面、生まれてくる子どもの幸せが後回しにされている。

最大の問題は、子どもへの告知だ。精子提供で子どもを授かった事実について、医師は親に秘密を強いてきた。その方が幸せな家庭を築けると考えるためだ。

しかし、実はそれが、親子関係の基本である信頼作りを妨げている。子どもが親のウソを偶然知ったとき、「なぜ両親は私に黙っていたのか」という不信感が生まれる。生まれた子どもの苦悩の本質がそこにある。

精子や卵子の提供者は、匿名のケースがほとんどだ。この匿名性の医療は、何が真実なのかわからない世界を作り出す。

現実的な危険もつきまとう。同じ提供者から生まれた異母きょうだいと偶然、近親婚をしたり、提供者が遺伝病を持っていたりする可能性もある。医師が安全な提供者を選んだと言っても匿名では後で検証することは不可能だ。

障害を持つ子が生まれても、夫婦が離婚しても、親子が不幸になっても、否定的なことは闇に葬られる。医師はそれを振り返ることも、傷つくこともない。

子どもは誰もが、本当の(遺伝上の)親が誰なのかを知る「出自を知る権利」を持っている。国連が定めた「子どもの権利条約」には、「子はできる限 りその父母を知る権利を有する」と明記され、日本も1994年に批准している。数万円程度の金額で遺伝子検査ができる時代に、そもそも匿名性の医療が成り 立つわけがない。

私は10年近く、精子提供を受けた親や、当事者の子どもの相談を受けている。家庭に秘密を抱え、みな苦しんでいる。治療の後で夫婦仲が悪くなったり、家庭が冷たくなったりするケースもある。そういう親たちは「治療を受けなければよかった」と後悔している。

偶然、事実を知った子どもが心身症になったり、不登校になったりした夫婦も少なくない。自分は親の世間体を満たすために生まれたと感じ、自分の存在そのものがおぞましいと悩む当事者もいる。

精子提供で生まれた子どもは1万人以上いるとされる。卵子提供でも数多く生まれているだろう。これらを進めるのならば、生まれた子たちが幸せな人 生を歩んでいるか調べる必要がある。だが、親のほとんどは子どもに事実を伝えていないため、確認ができない。日本の医療は、絶対に真実にたどりつけない闇 を作ってしまった。

どんなに隠しても、いつか子どもは秘密に気づく。親は、子どもに対し早いうちに事実をしっかりと伝えるべきだ。父親が亡くなる時、母親から事実を 告げられた人もいる。その人は子を持つ親で、真実だと信じてきたことがウソだったと知り、自分がどういう人間かわからなくなった。アイデンティティー(自 己同一性)を喪失し、子育てができなくなってしまった。

生殖医療の問題を考える時、まず当事者の声に耳を傾けるべきだ。不妊に悩む夫婦と医師だけのものではなく、生まれてくる子どもが納得できるものにしなければいけない。国民レベルの議論が求められる。出自を知る権利を定めた法整備は絶対に必要だ。

(2012年6月21日 読売新聞)

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