Tokyo Families / Bruce Gherbetti story [Nov.8, 2011]
http://blog.livedoor.jp/taketaku102/archives/580895.html
記事翻訳「ブルース・ガーベッティの物語」
人間の記憶は私たちがそうあって欲しいと望むよりも曖昧なものだ。しかし、決して忘れられないものもある。例えば父親の愛情のように。
ブルース・ガーベッティの8つの娘リオンちゃんが父親と最後に会って話してから、2年と2週間になる、しかし彼女が、家の裏庭に立つ父親と突然再会したとき、彼女は涙をたたえた瞳で微笑んだ。
「リオンは僕をみて4秒で誰かを認識し、『パパ』と言ったんだ。僕は腕を広げ、彼女は僕の腕に向かって駆けてきた。僕はそうはならない事を恐れていたけれど、心に静かな自信をとりもどすことができたんだ。
僕がこの2年間毎日夢見ていたシナリオが現実になったんだ。これは僕の宝物だ。完璧な宝物なんだ。」ガーベッティは語った。
彼の家のあるカナダのバンクーバーからいわき(福島第一原発から45Km南にある福島県の小さな街)までの道のりは彼にとってつらく長いものだった。
2009年の9月、夫婦関係が悪化する中、ブルースの妻は、彼らの3人の娘、リオン(8歳)、ローレン(6歳)とジュリア(4歳)を連れて日本に帰ってしまった。
彼は語った。「僕は完全に途方に暮れてしまったんだ。家に帰ると、家の中はすっかり空っぽで、僕の家族、子ども達の姿は跡形もなかった。 僕は心に穴があいたようで混乱していた。 でも、それと同時に私の子ども達が、~海の向こうの日本へ~ 連れ去られてしまった、という現実をつきつけられたんだ。」
子ども達が連れ去られて以後、ガーベッティは意気消沈し、心因的ストレスにさいなまれるようになり、カナダでカウンセリングを受けていた。
そして、ネット上にあるいくつもの、子に取り残された親のための支援グループに参加することで徐々に、日本へ行って子ども達を探し出す勇気を得るようになった。
今年の9月21日、彼が日本に到着してからまだ2日目のこと、行方不明の子どもを探す支援グループに同行されて福島に入った。それまでのブルースが彼の子ども達に接触しようとした試みは、全て彼の妻によって妨害されていた。彼がカナダから一度だけ電話した彼女の番号は、次に電話した時には繋がらなくなっていた。 ブルースをそこへ向かわせたのは、唯一の手がかりである、いわき市にあるはずの妻の家の住所と、彼の信念だけだった。
子ども達との再会が叶うまで、ブルースこの突然の訪問に、ただただ希望を託していた。
彼は言う。「僕はただ、僕が生きているという現実を子どもたちに知らせたかったんだ。子ども達のところに行って、『僕がここにいる』ということを子ども達が知る機会を与えたかっただけなんだ。」
日本においては、置き去りにされた別居親と子ども達を再会させようとする試みは成功する場合もあるが、時として連れ去った側の同居親に阻止されてしまう。ブルースのケースでは、スムースに事が進み、彼の三人の娘たちと、いわきの家の裏庭で感動的な再開を果たすことができた。
ブルースの身に、この先何が起こるかはわからない。しかし彼は、彼の子ども達を決してあきらめようとはしない。
彼は言う。「僕は子ども達とまた会うためには全て、何だってするつもりだよ。」
(終わり)
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