「共同親権」制の溶融――「民法766条類推適用」のベクトル
1 家庭裁判所の創設―裁判所法第3章
裁判所法は昭和22年4月16日に制定されたが、家庭裁判所は、翌23年12月21日の裁判所法一部改正(昭和24年1月1日施行)により第3章に加えられ、これに基づいて発足した異色の裁判所である。
戦後、日本国憲法の制定に伴い、家庭生活等に関してこれに掲げる理念を民法の規定上あらわすため、その親族編・相続編の規定を全面的に改正する必要が生じた。内閣の臨時法制調査会、司法省の司法法制審議会が議決答申した「民法改正要綱」では「親族相続に関する事件を適切に処理せしむる為速に家事審判制度を設くること」とされ、家事審判所に関する法律調査委員会は「家事審判法案要綱」を議決答申した。
こうして家事審判法が昭和22年12月6日制定され(昭和23年1月10日から施行)、これに基づき、家庭に関する事件につき審判または調停を行うための機関として家事審判所が発足することとなったが、家事審判所は、独立の裁判所ではなく、地方裁判所の支部として設けられたにすぎない。
一方、少年については、大正11年に少年法が制定され、少年に対する保護処分の手続を行う機関として少年審判所が創設されたが、日本国憲法制定時に裁判所が司法省から分離独立したため、法務庁の所管に係る行政官庁となった。しかし、基本的人権、なかんずく人身の自由に対する保障を極めて強く打ち出している日本国憲法に照
らし、少年に対する保護処分を行政官庁たる少年審判所の権限に属させておくことはできなくなった。かくして、少年審判所を裁判所に改組することとなり、少年裁判所設置の構想が進められたが、その立案過程で、少年審判所および家事審判所の運営の実績に鑑み、家庭の平和や健全な親族共同生活の維持と少年の健全な育成・保護との間には密接な関連があるとして、家事事件と少年事件とを総合的に運営・処理する必要から、両審判所を統合して新たに家庭裁判所を設置することになり、裁判所法の一部改正が行われたのである。
家庭裁判所は、憲法第76条1項の規定に基づき裁判所法により設けられた下級裁判所で、その権限は、家庭および少年に関する事件にのみ限られている。これらの事件の多くは、その背景に複雑な人間関係その他の環境的資質的要因が存在し、問題を真に解決するためには、人間行動ならびに人間関係に関する諸科学の力をかりて、これらの要因を十分に調査し、事案に則した措置を講じることが必要であることから、家庭裁判所は、司法的機能とともにケースワーク的機能を十分に発揮させるために設置され、そのための機構として家庭裁判所調査官や医務室が設けられている点において、他の第1審裁判所と異なる。
また、家庭裁判所は、家庭および少年に関する事件のうち、概ね訴訟事件を除くすべての審判・調停事件について裁判権を有する第1審裁判所である。審判事件の審理は、非公開で職権的な手続により行われ、その審判は、具体的妥当性を主眼とし、厳格な法規の適用を受けず、科学的調査に基づく裁判官の裁量的判断によってなされる。この点、公開の法廷で対審を行い、法規を適用して判決する訴訟事件(憲法82条1項参照)と著しく異なる。
このように、家庭裁判所は、訴訟事件を扱わずに審判という民事行政処分を行うのみとした、いわば官製ADRとして創設されたものである。このことは、協議離婚を原則とする民法の体系ともマッチする。
2 「単独親権」制がもたらす離婚紛争の倒錯
離婚の際、父母のどちらを単独親権者と定めるかは、協議離婚届の必要的記載事項であるし、裁判離婚でも附帯処分として判決で指定される。裁判離婚では、親権者指定のほかにも附帯処分として財産分与や養育費について判決されるのが一般的である が、いずれも家事審判であることに変わりはない。財産分与のように夫婦間の問題なら離婚により一回的に決着できるが、親権者指定や監護問題は、離婚の前後長期に亘 って深刻な紛争を反復ないし拡大再生産している。この傾向は、平成15年の法改正により人事訴訟の管轄が家庭裁判所に移管されて顕著になったように思われる。 民法第766条1項は、父母の協議離婚の際、離婚後の子の監護に関する事項について父母の協議により定めることができないときには家庭裁判所が審判により決定す ると規定し、これを裁判上の離婚の場合に準用している(民法771条)。「監護に関する事項」として最もポピュラーなのは「養育費」であるが、これは「監護費用の分 担」ということで、共同監護の経済的側面である。「親子の交流」としては、実務上「面接交渉」とか「面会交流」といわれるものがあるが、これも共同監護の一形態で あろう。したがって、離婚訴訟では、親権者指定だけでなく、面会交流等の監護に関する事項についても附帯処分として判決することができる。しかし、離婚後は「単独 親権」制であるために、離婚訴訟では専ら親権者指定が熾烈に争われ、面会交流などの附帯処分の申立がされることは稀である。 実際にも、「単独親権」制のために、離婚後の監護問題を含めて夫婦が協議する過程を経ないで、離婚を仕掛ける配偶者が一方的に子の「身柄」を拉致し、他方配偶者 と子の交流を遮断することから離婚紛争が勃発する。すなわち、協議を拒絶し、単独親権者となるために離婚訴訟を利用するのである。しかし、親権者指定はあくまで附 帯処分としてされる審判であるから、家裁の理念に照らすと倒錯している。また、協議離婚を原則とする法制度とも矛盾する。さらに、裁判上の離婚原因が捏造され、 「破綻主義」ならぬ「破綻させ主義」が横行し、子どもと財産の略奪が露骨で、離婚訴訟はモラルハザードを露呈している。 一方、離婚判決が確定する前の「家庭破壊」にさらされた配偶者こそ悲惨である。 人事訴訟の管轄が家裁に移管される前の時期には、離婚前の別居段階における子の監護に関する事項について、民法第766条を類推適用し、家事審判法第9条乙類審判 により相当な処分を行うことができるとされていた(面会交流について最決平成12年5月1日)。すなわち、未だ共同親権でありながら一方の親権行使が全的に妨げられて いる違法な状態を、面会交流等の審判によって救済するために民法第766条の類推適用という方法がとられたのである。しかるに、人事訴訟の移管問題は、民法や家事 審判手続について何の変化も及ぼさない形でなされたため、離婚後の監護に関する事項を定める審判を離婚前に類推適用することと、離婚訴訟において附帯処分としてさ れる単独親権者指定が交錯し、あたかも離婚前も単独親権制が前倒しされるような法状態が生じている。すなわち、共同親権者の一方が子どもを連れ去ると、他方は、子 どもに会うことさえままならないのである。 皮肉なことに、人事訴訟の管轄が家裁に移管されたことによって明らかになったのは、離婚前の共同親権の下における監護問題について、実体的にも手続的にも、無法 地帯に放置されていることである。しかも、家事審判は、裁判官の独裁的行政処分であり、判決のような既判力をもたないことも、紛争の解決を妨げているだけでなく、 深刻化させている。
3 結語―家事事件に「法の支配」を
憲法第76条は、「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。」「特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行うことができない。」と定めている。しかるに、家事審判は、裁判官という司法機関が行う行政処分であり、その上訴手続も司法審査では ない点で憲法に違反する。また、ケースワーク機能を有するのは調査官制度や医務室技官制度であって、審判官自身はケースワーク機能をもたないから無用の長物と化し ている。したがって、家事審判は、廃止すべきである。そして、実体法的にも手続法的にも、紛争当事者の権利主体性を認める改革が必要であり(たとえば、「共同親権 制 」と「子どもの代理人制度 」)、その見地からも訴訟に一元化すべきである。 すなわち、家事審判が廃止されて訴訟と調停の二本立てになれば、調停による解決が飛躍的に高まるはずである。それは、当事者にとって必要なことであるだけでな く、司法の合理化・民主化に資するはずである。そして、当事者と接する弁護士こそ、離婚紛争の平和的解決を目指し、調停により依頼者の自力解決を援助すべきである。
(2011.9.11 後藤富士子)