日弁連要望書
昨日、日弁連宛に要望書を持っていった。
今回も要望をいろいろ書いたのだけれど、
まあ好きにさせてもらえる団体ってkネットだから
今回はkネットだけでいいかなって。
要望書は回覧していたので、
校正後に時間が余ったので持って行った。
日弁連に行くと、
いつも対応していただく家事法制委員会の事務の方と違って、
両性の平等委員会の事務の人が出てきた。
どちらにしても弁護士ではない。
前回は複数で持って行って、いろいろ不満を言うという形式だけれど、今回は一人で行った。
最近は、人を調整していくというより、一人で行って
その方とじっくり話すほうが相手の印象に残ると思ってきた。
「いつもちゃんと回答してくれなくって、悲しいんですよね。
誰か責任ある方が出てきてくれたらいいのに」
とか、いろいろ雑談と笑い交じりに会話した。
「1月後に電話しますから、ちゃんと誰か出てきてくださいよ」
って言い置いてきた。
1回で成果が出るとは思っていなかったが、
だれかと会うのにそれでも3年もかかるとも思っていなかった。
相手が変わるには、こちらがそれだけのことをしなければならない、
とはわかっていても、ちょっと力量不足という感はする。
法制化は時間がかかる
最近、ハーグ条約の問題で、議論が各論に入っていって、
あまりその経過が見えない。
DVの問題とかで相変わらず議論になるなあって思う。
でっちあげされるのは許し難いよなあって思う。
一方で、じゃあDVの被害者支援がうまくいっているかという話もあまり聞かない。
共同親権の問題でも民法改正の議論はなかなか進まない。
そもそも別姓や婚外子差別の問題もすごく時間がかかっている。
それぞれの問題に取り組む人たちがそれぞれの問題が重要って言っていて、
ときどき利害がぶつかるところがあって、そこで対立したりする。
それで足の引っ張り合いになって、どの問題もなかなか前に進まない。
ぼくは思うのだけれど、
別姓や婚外子差別の問題やDVの被害者支援とかでも、
やり方がどうとかいう議論ももちろんあるのだけれど、
もっと、ぼくらがそのことについて理解していて解決に主体的に取り組んでいたら、
もうちょっと現状はいいほうに変わっていたという気がしもする。
そのときに引き離しの問題はもうちょっと理解されていたのかなあという気もする。
あるいは、もっと早く手が打たれていたり、解決が進んでいたりしたのかなあと。
家庭の問題は女子どもの問題っていう考え方は男の人には多くって、
ぼくもそういう部分があったというのは今振り返れば思いもして反省もする。
他の家族の問題について、まったく理解してこなかった人たちが
急に子どもに会えなくなってつらいんです、ってそれが理不尽だって言っても、
じゃあ私たちが言っていた問題って、どうなのっていう反応はぼくだったらする気がする。
反対に筋が通らなかったり構造の部分があるにしても、
そういうふうに言いたくもなる気持ちってなんだろうねって
聞いてみたいという気もするのだ。
だって反対している人たちがいるにして
その人たちが消えてしまうわけでもなく、
変わってくれるということであれば、
こちらがそれだけのことをしなければならない。
その人たちがちょっと変わってみようかなって
ぼくらの側が思われるだけの力量や魅力が
まだまだぼくらには欠けているということだ。