言葉にどういう意味を込めるかは人それぞれですが、
議論としてはおもしろいですよね。
共同親権という言葉は、すでにキーワード化されており、多くの人が使う言葉になっています。しかし、あまり適切な言葉ではありません。皆が使うので私も使うだけです。
この言葉は、親権(親の権利)に注目していて、子どもの権利を等閑視しています。「子どものために頑張る」という視点が強調されていません。
現状では交渉において、子どもは、同居親を有利にするための道具として使われています。子どもは傷つきやすい大切な存在として保護されていません。それに より、子どもの精神は傷つき、精神的予後が悪化します。父親は、父親としての大切な役割を果たすことができません。こうした点が問題なのです。
親権というのは親としての権利ということです。権利とは、例えば所有権がその例です。「権利を共有する」という発想は、共産党を思い出します。実際、共産 党は、所有権などの財産権の共有を主張をしています。子どもを守るために働きたいのに、共産党運動にすりかえられているようなニュアンスがあります。
また「共同親権」は最終目標ではありません。それは、次のことを考えても分かります。仮に、明日1日で共同親権が実現したとします。「婚姻中も離婚後も、 共同親権とする」という民法改正案が、明日の午前中に衆院の委員会と本会議を通過し、午後から参院の委員会と本会議を通過したとます。それでどのような変 化が生じるでしょうか。単独親権では、父親と母親で意見が異なるときは単独親権者が決めますが、共同親権の場合は、意見が異なる場合は裁判所が決めるとい うことです。(以下略)
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