読売「離れていても一生父」

記事本文はこちら

生まれた時からそばにいる。ずっとそばにいられなくても、思いやり、支え合う。
親子ほど当たり前で、ありがたい関係はないはずだ。
児童虐待事件や高齢者の所在不明問題が相次ぐ。
こんな時代だからこそ、強い絆で結ばれた親子の歩みを見つめたい。

 雨は明け方に上がった。昨年11月下旬の日曜日、
関東地方のある駅前のロータリー。
堺市から始発の新幹線で来た佐藤充亮(44)の腕時計の針が
約束の午前10時を指した頃、前妻の車が着いた。
降りてきたのは小学5、6年生の息子2人。
「また大きくなったなあ」。
2か月半ぶりの再会。照れくさそうに笑う2人をレンタカーに乗せ、
遊園地へ向かった。こんな面会を続けてもう7年以上になる。

 9年前、会社から茨木市内の自宅に帰宅すると、
妻と当時3歳と1歳半の息子の姿がなかった。
少し前にささいなことで妻と言い争ったからだろうか。
程なく弁護士事務所から離婚調停申し立ての内容証明が届いた。
目の前が真っ暗になった。

 居間には、息子が好きな「機関車トーマス」の
おもちゃの線路が敷かれたままだった。
思い出の詰まった自宅に足が向かず、カプセルホテルに2週間居続けた。
街で同じ年頃の子ども連れが来ると、道を変えた。
寝付けず、飲めない酒をあおった。

 以前から妻に自分の考えを押しつけようとしてけんかになった。
仕事の忙しさにかまけて家族と過ごす時間も十分ではなかった。
もっと妻の話に耳を傾けてやればよかった。

 子どもと離れたくないから離婚はかたくなに拒んだ。
妻の意志も固く、調停は難航した。

 1年後、裁判所の仲介で、東京・池袋駅の改札口で
息子に面会できることになった。

 次男が妻の手を離して、よちよち歩きで向かってくる。
しゃべれなかったのに何か言っている。

 「パパ、パパ」――。

 両腕で受け止め、人目もはばからず泣いた。
長男も近づいてきて、きょとんとして言った。

 「パパ、どこ行ってたの? トーマスの自転車、いつ買ってくれるの?」

 離婚に同意すれば、面会する権利が与えられる。
妻と争い続けても、もう気持ちは引き戻せないし、何より子どもたちが傷つく。
離婚して前に進もう。2人に会える時に楽しい思い出をいっぱいつくってやろう。

 面会は2か月に1回、午前9時から午後3時まで。
息子には互いの悪口を言わないことも、前妻と約束した。

 面会日は夜行バスで東京入りし、24時間営業の漫画喫茶で時間をつぶす。
2人が来ると、公園でサッカーをし、浜辺で波を追いかけた。
遊園地や水族館では、はぐれないように、
小さくて柔らかい手をしっかり握って歩いた。
「3時」はいつもあっという間にやってきた。

 1年で6日しか会えないから、気持ちは素直に伝えた。
「ママとは一緒に暮らせないけど、パパはずっと君たちを守る。
だからママのことも大切にして」。
2人は笑顔を見せてくれた。

 ある時、小学校低学年だった長男が、手作りの首飾りをプレゼントしてくれた。
添えられた手紙には「パパへ。いつも遊びにきてくれてありがとう」。
持つ手が震えた。首飾りの似顔絵の裏にも「ありがとう」の文字。
前妻の筆跡だった。その頃から時間制限が緩くなった。

 父母の離婚というかわいそうな目に遭わせたのに、
2人は精いっぱい今を強く生きている。それに比べ、
自分は子どものことばかり考え、仕事も手に着かなかった。
依存しすぎては重荷に感じるだろう。
自分の人生もしっかり歩もうと思い直し、
広告会社の起業に踏み切ったのが4年前。
息子との面会に理解してくれる女性と再婚もした。
2人には全部話してきた。

 この日、長男が遊園地のスタッフに
「すみません。地図を下さい」と敬語を使った。
成長ぶりに驚いた。
最近はサッカーの試合や友達との約束があって会えないこともある。
「サッカーを休んで来ることもあるんだよ。
だって、俺たちがいないとパパ寂しいだろうから」
と大人びた気遣いも口にした。

 次男は、「今度は北海道に連れて行ってほしいな」とまだ無邪気だが、
歩きながら「手をつなごう」と手を取ろうとすると、
2人から「もう高学年だよ」と笑われ、断られた。

 寂しさがつのるが、自分も高校生の頃、父と一言も話さなかった。
その父がラグビーの試合をこっそり毎回見に来ていたと、
卒業後に母から聞いた。

 「息子たちも離婚した父に反発する時が来るかもしれない。
それでも見守り続けよう。離れていても、一生、父なのだから」

 青空を背に、2人の息子を乗せて坂を上るジェットコースターを、
父が見つめる。(敬称略、宮原洋)

 連載のご意見や、親子の思い出の写真をお寄せください。
あて先は〒530・8551(住所不要)読売新聞大阪本社社会部、
ファクス06・6361・3001、メールo‐naniwa@yomiuri.comへ。
(2011年1月1日 読売新聞)

13年前