選択的共同親権の制度導入で忘れてはいけない「子どもの利益」

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10/24(木) 13:23配信
Meiji.net

選択的共同親権の制度導入で忘れてはいけない「子どもの利益」

平田 厚(明治大学 専門職大学院 法務研究科 教授)

2024年5月、夫婦の離婚後も父と母の双方が親権を持つ「共同親権」を新たに導入するなどの民法改正案が国会で成立しました。養育費の未払いや子どもとの面会拒絶などが社会問題になるなか、一定のニーズにこたえた改正となりましたが、この間の議論からは「子どもの利益」という重要な視点が抜け落ちているといった指摘があります。

◇「共同親権制度」ですべてが解決するわけではない

日本では長年、夫婦が結婚している間は共同親権ですが、離婚した場合はどちらか一方の親が子どもの親権をもつ単独親権の制度でやってきました。しかし、離婚後も共同親権制度を取り入れるのが世界的なトレンドとなるにつれて、日本でも導入の議論が進んでいきました。

ところが、日本での共同親権制度をめぐる議論をみていますと、もっぱら「親の権利」の話として語られる場合が多いように思われます。

諸外国ではむしろ、共同親権は「子どもの権利」として議論されてきました。日本のように親権=parental rights(親の権利)という言い方はあまりせずに、子どもが監護される権利=custody(監護権)、あるいは親の責任や義務=parental responsibility(親責任)の面から共同化の話が進められてきたのです。

つまり、日本では親の権利として「親権」が、諸外国では子どもの立場からの「親権」が語られており、この辺りの議論の噛み合わなさが、日本の共同親権制度をめぐる法整備の議論にも表れているように思います。

さて、2024年5月17日に成立した家族法改正法では、共同親権は選択式になっています。夫婦が離婚するときに、話し合いによって単独親権か共同親権かを選択することができ、話し合いがまとまらなければ家庭裁判所が判断するという建て付けです。

もちろん前提として、両親が離婚しても子どものために共同で義務を果たすべきだという理念自体は正しく、離婚後も共同親権制度によって父と母が協力し合えたら、それは子どもにとって望ましいに違いないと思います。

しかし、この制度が本当に子どもの利益にかなっているのかという点では、いくつか疑問を感じざるをえません。

たとえば今回の改正法では、裁判所の判断で共同親権を選択できない、つまり父母の一方を親権者と定めなければならないケースとして、たとえば児童虐待やドメスティック・バイオレンス(DV)のおそれがある場合としています。

法文ではいちおう「その他の父母の双方を親権者と定めることにより子の利益を害すると認められるとき」との一般的な条項も置かれてはいますが、見方によっては虐待やDVがない場合は原則として共同親権になるというふうに受け取られかねません。

私は弁護士として夫婦の離婚や親権をめぐる係争にも携わってきましたが、その経験から言っても、今回の制度上で家庭裁判所の審判に委ねる場合というのは、父と母が親権について合意できていない場合、とりわけお互いに顔も見たくないようなケースが想定されます。

当然ですが、必ずしも共同親権制度を導入したからといって、高葛藤の親どうしの激しい対立関係が解消されるというふうには思えません。そして、共同親権の状態で両親の意見が割れて話し合いが行き詰まったとき、もっとも皺寄せがくるのは子どもなのです。

◇必要なのは「親の満足」ではなく「子どものため」の制度

とくに子の監護や養育費に関する事柄は、離婚をする夫婦間の利害の対立が大きく、協議や面会の駆け引き材料にされてきたという実情があります。そのことを鑑みると、共同親権制度を選んだとしても、結局は子どものためではなく「親の自己満足」のために利用されてしまうのではないかと私は危惧しています。

そもそも「親権」というのは、親が子どもの利益のために監護・教育に関して権限を持ち義務を負うものです。親権者の権限のひとつとして、子どもの養育状態についての広範な裁量権があります。

たとえば、小学生の子どもが進学する際に、地元の公立中学校へ行くのか、それとも中高一貫の私立学校に行くのか、そうした進路志望も含めて、親権者は決定権限を持つことになります。親からすると、子どもが未成年の間は、重要なライフステージにおいて決定を左右する権限を持ちたい。そういう気持ちは、ある意味で自然なものとして理解できるでしょう。

しかし、夫婦の関係がこじれて、離婚協議がまとまらず裁判離婚まで行った場合、通常はお互いに(あるいは他方が他方を)物理的にも感情的にも距離を置きたいという状態になっていることが想像されます。そのとき、子どものためだったら顔を突き合わせて冷静に話し合いができる親がどれほどいるでしょうか。

つまり、父と母が共に子どもを育てることができる状況にない以上、実際に一緒に暮らして子どもを監護している親に親権をあたえて、子どものために責任と権限を持ってもらおうというのが、従来の単独親権制度のおおまかな趣旨であったと考えられます。

したがって、たとえ共同親権制度のもとにあっても、現実に親同士が子どものためにどこまで冷静に話をできるかが重要になります。別の言い方をすれば、離婚後は単独親権でも子どものためにお互いうまくやっている元夫婦にとっては、共同親権制度はさほど必要とされていないのです。

いずれにしても、選択的共同親権制度に関する法改正も「子どものため」を第一に考えなければ、制度として本末転倒になるのではないでしょうか。

先ほど、親権者の権限の例として進学に関する決定をあげましたが、実務的な立場から言わせていただくと、受験や習い事といった子どもの成長の過程のことごとくを親同士の対立構造に持ち込んでしまう紛争は案外多いです。

離婚した家族間で問題が発生したとき、これまでの民法では個々の自律性に委ねて裁判所は介入しないというスタンスでした。しかし、この度の法改正で離婚後の選択的共同親権制度に伴い、家庭裁判所が介入するという方向に変わりました。

私はもともと両親が合意できている場合は共同親権を選択すべきだという立場ですが、今後は、両親が合意できてない場合つまり紛争性が残った状態で、裁判所が共同親権か単独親権かを審判しなければいけません。これは非常に難しい問題を内包しているということを理解してほしいと思います。

共同親権を選ぶことは「子どもため」ではなく「自分のため」になっていないか、当事者はよくよく考えていただきたいところです。

◇法定養育費制度は障害のある子どもを考慮すべき

また、今回の法改正で養育費についての規律に変更があった点も、今後重要な論点になるべきだと思います。

もともと養育費については、父と母の双方が話し合いの上で金額等を決定し、子どもを監護している方へ他方が支払う流れになっていました。しかし、そもそも話し合いに応じなかったり、取り決めた後で養育費の支払いを拒否するという実態があり、これまではその場合、家庭裁判所への家事調停や強制執行の手続きをとるといった手段がありました。

この度の法改正では、養育費の取り決めをせずに離婚した場合も、法務省の省令で定められた一定の額の養育費を請求できる「法定養育費制度」が設けられました。また、養育費の不払いについては、他の債務よりも優先して弁済を受けられる「先取特権」が認められました。これによって、たとえば養育費不払いの親の給料を早期に差し押さえることができるようになります。

法定養育制度も先取特権もある意味では子どもの権利性を強化する法制度ですから、それ自体は私も賛成ではあります。しかし、私は障害者福祉にも携わっていますが、障害を持っているお子さんは法定養育費では足りない場合が生じるおそれがあります。

これから省令で法定するに際しては柔軟に幅を持たせることが必要で、特段の事情が認められれば容易に増額できるようなシステムにすべきです。逆に法定養育費制度が「最低額を法定しているのだから、とりあえずは我慢しなさい」という態度になってしまうと、制度の反作用のほうが強くなってしまいます。今後どうなっていくかは現時点では未知数ですが、民法だけではなく社会福祉も拡充させて広くカバーすることが期待されます。

◇第三者交流が子どもの負担にならないか考えてほしい

さらに、法改正による第三者の子との交流に関する変更点についても、十分に子の利益が考えられているか注意する必要があります。

法改正前は、離婚した後の子どもとの面会交流について、当事者間の話し合いで了解が得られずに裁判所に判断を仰ぐ場合、家庭裁判所が審判できるのは子の父と母に関してのみでした。他方で、親権者ではない方の祖父母などが子(孫)に会いたいという一定のニーズもありました。

改正法では、「過去に当該子を監護していた者に限る」という条件つきで、「子の利益のために特に必要があると認めるとき」に限って、家庭裁判所が父母以外の親族にも交流を実施する旨を定めることができるようになりました。

この第三者交流を認めたことについては法律がニーズに応えたわけですが、場合によっては、子どもにとって負担になる可能性があることを考慮するべきではないかと私は思います。

この場合もやはり、純粋に子どもの方が会いたいというよりかは、家同士の競争に利用されるような可能性がないとは言えません。実際、私は弁護士として経験があるのですが、「親権者の祖父母は孫に毎日のように会っているのに、われわれが会えないのはおかしいから面会したい」というような相談をしばしば受けます。ですが、はたしてそれは「子どものため」の要求なのでしょうか。

今回の法改正では、子の監護に要する費用負担や面会交流などについても、「子の利益を最も優先して考慮しなければならない」との理念が明記されるようになりました。それ自体はよい、というか当たり前のことなのですが、やはり実際の法律の建て付けを見ると、離婚後の共同親権や第三者交流などには、十分に子どもの目線が入っていないように私には感じられます。

法改正にまつわる一般の議論にしても、子どもの利益の話がほとんど優先されていない現状も含めて、子どもの権利の理解に関して、日本社会はより成熟する必要があるように思われます。

平田 厚(明治大学 専門職大学院 法務研究科 教授)

4週間前