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9/23(月) 9:11配信
デイリー新潮
ロックバンド「The 虎舞竜」を率いる
2013年の元妻・三船美佳との別居以来、1人娘から“疎外”状態に置かれた高橋ジョージ。父娘の交流は、2014年に会った後は、2019年に2時間の面会が許されただけだった。しかしこの3月、突然、20歳を前にした娘から連絡が来て、2週間ほど一緒に過ごすことに。10年ぶりの交流のきっかけと出来事については前編で詳述した。後編では、その後の娘との関係と、高橋の「親権」についての思いを記す。
【西牟田靖/ノンフィクション作家】
【写真を見る】“24歳差”のカップル…元妻・三船美佳とは「パートナー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれたこともあった
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娘の変化、自分の変化
10年前に別れ、5年前にひととき面会して以来、ようやく親子の時間を取り戻した高橋と娘。高橋は当時と今の変化をどう捉えているのか。
「5年前に娘と会ったときは呼び方も“あんた”だったし、私がTwitterで娘のことを時々書いているのを指して“Twitterで同情誘うのやめてよ”とか、“あなたのことは父親とは思っていないから”と言ったりして、打ち解ける気なんてさらさらない様子だった。写真も一緒に撮ってくれなかった。でもね、昔の話をしているうちに、“15になったらこっちから会いに行こうと思ってたんだよ”って言ってくれるようになったのを憶えています。あのときは、何かの勢いで、ばつが悪くてそう言っていた。だけど今回は自分から来た。子供なりにいろいろずっと考えていたんだなっていうのは強く感じましたよね」
「パパをいつでも頼ってきてもいいんだよ」と当時、高橋は伝えていた。そうした気持ちが通じ、娘は5年経って父の元に戻ってきたのかもしれない。
一方、自身のこれまでについてはどう振り返るのか。
「この10年間の暗闇を抜け出ました。抜け出たからこそわかるんだけど、離れ離れになった後、すごく女々しかったって。2年ぐらいはスタジオで毎日、潰れてたからね。じゃ今、何が変わったのかといえば、自分の女々しさに気づいたってことが一つ。もう一つは『やっぱり強くあらねば』と思ったこと。強くいれば、子どもは必ず戻って来る。親の資格なんてそれしかないよ。強さが優しさを産むんだなって」
共に過ごした2週間の中で、高橋は娘に己の欠点を指摘されたこともあったという。
「“パパは言っていることは正しいことが多い”“でもやっぱり自分が優位に立とうとして、人を傷つけることも多いよ”と。すごく具体的に欠点を言ってもらえました。私は言葉もはっきりしているし、声も大きいから、どうしても相手に正論を押し付けるような、怒鳴っているような印象を与えてしまっていたんでしょう。それ以来、私は人への接し方を変えましたよ。娘に教育されるのも、親の醍醐味だと思いました」
「親権」について考えたこと
今年5月に民法改正案が成立した。従来の日本の民法の規定では、離婚後、子どもの親権は片親に限定されていた(単独親権)。しかし、これによって親権を持たない側の親が子どもと全く交流させてもらえないなどの「疎外」を受けたり、逆に養育費の支払いを拒否したりするなどの問題が表面化した。この改正では、夫婦が離婚後、子どもの親権を共同して持つことが可能になった。離婚後も、元夫婦は協力して子育てに当たるという道が大きく開けたのだ。
こうした動きを高橋はどう思っているのか。
「共同親権の道がスタートしたってことは、前よりはいいかなと思う。だけど施行まで2年もかかるのはおかしいと思いますよ。今日この日にも子どもと会えなくなっている人たちがたくさんいるはず。施行するまでの間に離婚を強いられ、子供と引き離される人も出てくるよね」
一方で、
「日本人は法律やルールを守る人たち。今回の法改正によって、日本人も共同親権の流れに向かって行くんじゃないですか。俺の体験を通じて、親権について本気で考えてくれる人が増えればよいなと思います」
実は高橋自身も、幼い頃に両親が離婚したという。
「相当きつかったですよ。俺は父親に引き取られたけど、友達に家に泊まるとか嘘ついて、時々母親のところへ行ったりしていました。家に帰ると、親父にバレたかなと思って1人でピリピリしたりして。逆に“会ってきたのか?”“元気そうだったか?”なんて言われていたら良かったな、と。たとえ夫婦が離婚したって、親子は親子だから。そういう親子の交流が出来ればいいなと思いますよ」
子どもに会えない別居親へのメッセージ
世の中には高橋のように、離婚後、子どもと会えない状態が長く続き、苦しむ人も数多くいる。10年待って交流が叶った高橋は、そうした親に対し、どんなメッセージを送るのか。
「毎日子どもに会いたいと思っていること。これが重要ですよね。そういう思いは、いつかどこかで子どもがキャッチするから。それから、会えた時のために常に準備をしておくことが大事だと思います。別居親が子どものことを思い出して感情的になるのはわかりますよ。残像を思い浮かべて泣いたり、配偶者を恨んだり。それもわかるけど、それだけでは駄目で、いざ、会った時のための準備をすれば、そうしたマイナスのエネルギーがそちらに向きますから」
高橋の場合は、どんな準備をしていたのか。
「いつ帰ってきてもいいように残された娘の服や持ち物をそのまま置いておきました。もし帰ってきたら見せようと思って。実際、娘はうちに来た時に、昔の服を見て懐かしがったりして。学校の制服を見て、“これは捨てられない”なんて言っていました。昔、3人で撮った写真があるのを見て、それをLINEで母親に送ってたりもしていましたよ。写真には俺も入っているのにね……。母親は“それでも送って”と言っていたみたいだけどね。また、毎年、誕生日の時に書いてパソコンに保存していた手紙を、印刷して渡しましたよ。“渡せなかったけど、これ10年分の手紙ね”と言ったらびっくりしてたね。“10年間も忘れた日はないよ”と言うのは簡単だけど、準備をしていたからこそ、“本当なんだ。私のことをずっと思い続けてくれたんだ”って信用してもらえたんだと思います。とにかく私はこの10年間、娘にもう会えないんじゃないかと思ったことは一度もありませんでした。きっと会えると思って準備を続けてきました」
今後の娘との交流
2週間の同居の後、娘は住み込みのバイトを見つけ、再び旅立っていった。その後の親子はどのような関係になっているのか。
「今もLINEでやり取りをしていますよ。2週間一緒に住んで、娘がもう連絡を取ってこないならそれでもいいと思っていたんです。俺が見切られたとしら、それは俺の責任ですからね。でも、幸い、交流は続いています」
娘にはこう伝えているという。
「私は父子家庭だったんだけど父と母どちらとも頼っていた。実家が2つあるようなもの。私がそうだったけど、いつでも帰ることが出来る場所があるってことで安心するんだよ。子供って。娘も同じようにしてくれたらいいって思っている。それで娘には、“いつでも扉を開けてるから帰っておいで”って言ってる。将来のことでいろいろと悩んでるみたいだから、いろいろ世話をしたくなるけど、あまり過干渉にならないように気を付けている。そうは言ってもやっぱり心配なんで、LINEしてさ。“ごめんね鬱陶しい父親で。こんなLINEする父親いないよね”って書いて送ってる。“でも俺、一緒にいない分、すごい心配なんだよね”って」
娘は高橋の家を去る前、ハイビスカスとレモンの木を買ってきて、これを私だと思って育ててねと言い残していった。
「だから毎日のように写真を送っていますよ。“花が咲いたよ”とか言って。部屋の中には、まだ娘の荷物が残っています。ここは、必要な時に、いつでも彼女が帰ってこられる場所だからね」
前編では、高橋が娘と会うことになったきっかけや父娘の交流の中身について記している。
西牟田靖(にしむたやすし)
ノンフィクション作家。1970年大阪府生まれ。日本の国境、共同親権などのテーマを取材する。著書に『僕の見た「大日本帝国」』、『わが子に会えない』、『子どもを連れて、逃げました。』など。
デイリー新潮編集部
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