ダンの子育て日記47「人権後進国ニッポン」

「人権後進国ニッポン」

この言葉は世界に恥じるキーワードになっていませんか。

裁判所調停委員、弁護士の方々から、今の裁判では「どうすることもできない」と何度も聞かされました。裁判自体を変えるしかない、裁判の考え方を変えるにはどうしたら良いのか自分と息子のことを「ダンの子育て日記」で伝えることにしました。ここ最近になり世間の風潮も見方してか共同親権を受け入れていただけることとなり喜んでいます。

息子が小学校1年の時に連れ去られ、3年後和解、それから7年が経ち、息子は高校2になりました。

約10年、息子も今年で17歳。

【裁判所の判断】

真実は小説より奇なり

連れ去られた息子が判断ができる年齢になりました。

今更ではありますが、連れ去りから今までの経緯を知りどの様に感じ思うか。裁判所は和解する時、将来を見据え、連れ去り後のことを考慮し判断を下さなくてはならないとつくづく思いました。

責任の重さを知るべきです。

今までの裁判所は連れ去られた側が何かしら悪い事をしたから連れ去られたんだと判断します。

連れ去り前にどの様に父母子が暮らし接していたか、母親が父子に対してどの様な事をしていたか、正確な事実確認もなく裁判は進みます。連れ去りは見え方見せ方次第で正義になる。正義になるか悪になるか法律を上手く利用し正義を勝ち取るのが今の裁判のやり方です。その一つには偏った弁護士報酬料があげられます。連れ去りをすれば連れ去られた側から有無を言わさず多額の金額(慰謝料・和解金)を受けとる事ができます。弁護士に支払われる報酬、着手金も高額となる。弁護士にすれば連れ去られた側よりも連れ去り側の依頼の方が力が入るのも仕方ない(レポート3)。

お互い悪いところがあるにも関わらず、連れ去られた側を悪人にしたてるやり方が日本の歪んだ司法の常識だとしたら日本の法律に公平はなく不条理でならない。

連れ去り側有利

何人もの弁護士を訪ね、同じことを言われました。「横綱相撲」勝ち目はない、お金と時間をかけるだけ「無駄です」と忠告を受ける。

諸外国では事実確認してから離婚をする。全ての事〔財産分与、子の親権など〕を裁判所で決めてからでなくては離婚できません。

私たち親子は調停、裁判〔係争中〕において毎月会う事を許され、毎月の子どもの様子を裁判所、母親に『面会交流報告書』として提出することができました。

会えたから思い出が残る。

会えているからいつ会っても会話ができる。

会っているから成長を楽しめる。

会えていたから成長の過程での不備を感じとれ、母親/裁判所に『面会交流報告書』を通じてお願いできた。

これからの裁判では血の繋がった親子が何故会えないかをもっと追求するべきではないでしょうか?

レポート40の息子の自転車の不備、レポート42の音楽会にあるように、余りにも息子の気持ちを蔑ろにしている母親の姿が浮き彫りになり、裁判所も重い腰を上げてくれました。

しかし、今更の様に思えました。

父親が連れ去り後に裁判所に提出した大量の子育てに係る資料と子育て行動記録を、裁判所、裁判官にきちんと見てくれ評価していただけていれば、この様な一方的な連れ去り側優位な進行は起こらなかったはずです。連れ戻しの可能性もありました。

偏った日本の裁判の考え方、「連れ去り有利」「連れ去られた側の主張はどこへ?」は諸外国でも非難を浴びているのが現状です。

小学校1年 

7/xx 連れ去られる

8月 連れ戻し裁判棄却

9月 初調停の時に私は連れ戻したいと調停委員に訴えるが今の裁判制度では難しいと棄却。

調停委員に「直ぐに会いたい、元気か確かめたい」とお願いしました。

相手方〔母親〕「環境〔住居〕が変わり学校〔転校〕に慣れてからにしてください」

調停委員「子とお父さんは2人で何年も毎週末お出かけをして楽しく遊んでいました。そんな親子を会わさない方が子供にとって精神的に不安定で可哀想です」「非人道的」と母親に話しておきました。」(レポート6)。私達も長く調停委員をしてますがこんなに父親が子どもの成長に関与した資料を多く出し何年も毎週末、父子2人でお出かけをしているお父さんはいません。逆〔お父さんが連れ去る〕ならわかりますと言ってくれました(レポート24)。

その後、翌月より毎月会える様に相手方〔母親〕を説得し面会交流がスターしました。

私は面会交流で息子と何をするかを考えました。

勉強とスポーツ

勉強面では息子と話し興味のあるプログラミング教室を選び、行く度に近くで見て応援していました。発表会の作品を一緒に作成し、発表のプレゼン練習はカラオケポックスでしました。

スポーツ面では息子は私と泳ぐのが好きでした。将来を見据え永く一緒にできるスキューバダイビングを選びました。

スキューバダイビングを始めた頃、スキューバダイビングは2人で一組、相棒を「バディ」って言うんだよ。「バディ」は相棒が困っていたら助けるんだ。今はパパが×××〔息子〕が重い装備を担ぎ移動する時とか船に乗る時には声をかけ手伝うよね。×××〔息子〕が大きくなってパパが老いた時には助けてくれよ。

今の日本の裁判制度では直ぐに私の元に息子が帰ってくる可能性は限りなく低いと聞きました。

1年、2年、5年後10年後を見据え、息子に何ができるか、何をしてやれるかを考えました。くよくよするよりこれから先の息子の成長を考えたい。

カッコ良い親子、仲の良い親子、恥じない親子でいようと心に決め行動をする様に心がけました。

〔毎月の養育費以外に息子の成長のために私が準備したもの〕

★ プログラミング教室/4年間で受賞2回、総合司会1回

★ スキー/シュテムターンまで上達

★ スキューバダイビング

ダビング回数40数本、アドバンス取得。沖縄、石垣島、与那国島、久米島、西表島、八丈島、西伊豆と行きました。旅行する事により地理と歴史を教える事もできた。

★ 英会話教室 週一回の個人レッスン〔外務省職員、外交官を教える先生にお願いできました。〕現在英検準二級

★ 自転車購入2度、季節によって服の購入。中学2年生から3年生になり身長が170センチを超えたあたりから私が若い時に買いに行った店に行き、息子にあった服をチョイスし買うことができ嬉しく思いました。

★ お風呂では男親でしか教えられないデリケートゾーンの洗い方を。これから思春期いろんな事を話し相談してくれれば良いと願っています。そして20歳になった時に一緒に飲みに行くのが楽しみです。

こんなことを一緒に楽しんできました。 高校生になりクラスで係り決めがあった際に文化委員に立候補、私が高校生の時に文化祭実行委員長をしていた話を聞いていたのでその影響か?であったなら嬉しいことです。

自慢していると思われるかもしれませんが、一緒に生活していれば普通の当たり前のことです。

連れ去りはそんな普通の当たり前の事を奪います。

余りにも偏った判決に業をにやしていませんか?

血の繋がった我が子に何故会えない、子どもと会うのには高いハードルがなぜ必要なのか、理由が理解できない。

私は10年間いつも考えていました。

元妻が息子を連れ去った理由が10年経っても理解できません。

連れ去るなら連れ去るだけの信念と責任を持って連れ去るべきだ。

一時の感情で息子は人生を左右されました。

裁判では子育ては母親有利、理由の一つとして父親よりも母親の方が繊細でがあると。連れ去りから10年間どうだったか。精神面、躾、食事の仕方、持ち物、健康面〔指の爪〕に関して、繊細であろう母親には疑問を感じています。もう少し息子に関心を持ってほしかった。〔小学校5.6生担任・滝沢先生に相談した爪のクリニックに通った時の手紙〕

裁判所の判断により共同親権、共同養育に近い形をとって頂いたお陰で息子を何度も助けられたのは事実です。

私への嫌がらせで息子を連れ去ったとしか思えず、もしそうならば私は貴方を恨みます。

和解で子どもと接する機会が多いのは運が良いと言われました。運が良い悪いで親子の関係が左右されていいのでしょうか。

どうか皆さん諦めないでください。

〔その時に弁護士さんから今の裁判ではこれが限界ですと言われました〕

みなさん〔連れ去られ側〕はどうですか?

会うことがどれだけ大切かを私のレポートを参考にしてもらいたいです。

裁判所、弁護士の方々に是非理解してもらいたいと思います。

子どもは両親が大好きです。

大好きな両親といつでも会える環境こそが子どもにとって大切だと思います。

諸外国の様に離婚する前にルールを決めて共同親権、共同養育の様に子どもを、大切に守り育てられる環境になる事を望みます。

追伸 

息子に私の経営している店で夏休みにアルバイト〔手伝い〕て欲しいと頼みました。

私から母親に送ったメールです。

「××に店を手伝って欲しい、親として子どもの成長を見てみたい。

就職する〔社会に出る〕前に一応の社会的/一般的な常識を教えてやりたい。」

と、母親に確認しましたが良い返事はもらえませんでした。

今の様な状況でも一緒に働きたい、手伝いたいと父親を慕ってくれる。嬉しくてなりません。

息子には本当に不便をかけています。【後日少しの時間ですが店を手伝ってくれました。】

ズボンを買いに行来ました。どう選ぶかわからないんだ〜と。サイズは?と聞くと、なんのこと?と。ウエストだよ。測ったことがない。測ってもらおっか。サイズを採寸してもらい好みのズボンを買うことができました。一緒に買い物に行くことでまた一つ教えることができました。

先日、伊豆のダイビング仲間が私の店で飲み会をしたいと言うのを息子に話しました。躊躇することなく息子は店に来ました。10年振りに店に来て食事を取り、ダイビング仲間と楽しく過ごしていました。

高校に入り2年生になると修学旅行でxxxx(国外)に行くからそれまでに外国に行ってみたいと。2年生の夏休み3泊4日で国外に行きました。息子は英語の練習、外国人に慣れておきたいと言っていたので現地では彼に任せる所もありました。少しは経験になったのかな^_^

彼はもう自分の意思で行動しています。諦めないで10年間面会交流を続けたお陰だと思っています。

皆さんも離れていてる子供に愛情を示し続けていれば必ず子どもは理解してくれると思います。

諦めないでください。

Never give up!

永きに渡りご愛読ありがとうございました。

                           Dan

2か月前