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5/18(土) 13:21配信
BBC News
「元配偶者に子供を取られた」……日本で離婚後の共同親権導入へ
シャイマ・ハリル東京特派員
日本の国会は17日、離婚後も父母双方が親権を持つ「共同親権」を可能とする改正案を可決した。親権に関する法律が改正されるのは数十年来のことで、2026年から施行される予定だ。
日本では伝統的に、 親権は片方の親に与えられ、もう片方の親から子供への接触を完全に断つことができる。
日本はこれまで、主要7カ国(G7)の中で唯一、共同親権という法的枠組みがない国だった。
日本では離婚の大半が「協議離婚」で、書類に署名し、双方の同意の下で離婚することがほとんどだ。
弁護士によると、協議離婚の場合、夫と妻は親権と面会交流の取り決めを自由に決めることができる。しかし、両者が裁判になると、裁判官は片方の親に親権を与える。
そのため、この制度では子どもと疎遠になってしまうケースがあると、離婚した親たちから批判が出ていた。
サトウ・ミナコさん(仮名)もその一人だ。
サトウさんは、高齢の母親を手伝うために数カ月間、母親の家に引っ越すことになった。サトウさんと夫(当時)はその時、当時10歳の息子と5歳の娘を週末に、母親の家に連れてくることで合意した。
この取り決めは1カ月半ほど続いた。しかしサトウさんはそこで、夫が変わり始めたのに気づいた。
「子供たちを、私の母の家に連れてきたとき、夫は私と話さなくなった」
「最初は、運転に疲れたのかと思った。なぜそうなったのか分からなかった」
夫はその後、もう毎週子供を連れて行かないとサトウさんに告げた。サトウさんが子供に悪い影響を与えると、自分の母親が言ったからだという。
■「子供を連れて行った側が親権を得る」
「夫には、(家族の)家に近づいたら警察を呼ぶと言われた。夫が暴力的になったり(警察に)うそをつかれたりしたらと思うと(中略)家に近づくのが怖った」
サトウさんは、夫と子供たち、そして義母が共同で暮らす家に電話をかけようとしたが、サトウさんの電話は着信拒否にされていた。サトウさんは結局、子供たちに会いたい一心で家に行くことになった。
「義母と話そうと思った。義母から夫に、家に戻れるよう言ってくれるかもしれないと思ったので」
しかし、義母は代わりに警察を呼んだ。
「5~6人の警官が来た。警察署へ同行しなければ、放してもらえないと言われた」
娘が一緒に警察車両に乗ったため、サトウさんは3時間、娘と過ごした。
これほど長くサトウさんが娘と一緒にいられたのは、その後何年もにおいて、これが最後となった。娘は、夫と夫の弁護士が引き取りに来た。
「最終的には警察官に、申し訳ないがあなたを助けられないと言われた」と、サトウさんは語った。
子供たちと引き離されてから2年後、サトウさんは夫が子供の親権を獲得したことを知った。
「子どもを連れて行った方が親権を得ることは知っていたので、この時が来ると分かっていた」
子供の連れ去り問題を専門とする上野晃弁護士はBBCに対し、親権に関する法律は子供は「家のもの」という考えがあった第2次世界大戦前にさかのぼるもので、家長は男性だったと説明。
「離婚すると妻が家から追い出され、子どもは父親の元に残った」と、上野氏は述べた。
この風潮は、主に子供たちの世話をするのが母親になったことで変化した。今ではほとんどの場合、親権は母親に与えられるようになったという。
親権をめぐっては昨年、卓球選手の福原愛氏が、元夫の江宏傑氏から子供を連れ去ったと非難されたことで注目が集まった。
同じく卓球選手の江氏は、数年前に離婚が成立した際、台湾で共同親権に合意したと主張。しかし、福原氏が息子と共に日本に帰った後、江氏との連絡を絶ち、息子を台湾に戻すことを拒否したと述べた。
2人は今年に入り、和解が成立したと発表している。
しかし、誰もが共同親権を歓迎しているわけではない。
女性の権利保護を推進する活動家の一部は、改正法は、夫の家庭内暴力(DV)を告発した女性に、夫との関係を維持するよう強制するものだと指摘する。
岡村晴美弁護士は、「共同親権制度を導入すれば、DV被害者や虐待を受けた子どもたちは加害者の支配下に置かれることになる。彼らは逃れられない」と説明する。
岡村弁護士は長年、子供と共にDVや虐待的な結婚生活から逃れた女性のケースを扱っている。岡村氏は、虐待するパートナーから解放されなければ子供を育てられないと感じている女性たちがいると付け加えた。
しかし、他の複数の弁護士は、共同親権と家庭内虐待をひとまとめにすべきではないとBBCに話した。
■「お母さんへ、お元気ですか?」
1年半にわたる離婚調停の最中、サトウさんは子供たちが家族の家から引っ越したことを知った。
インターネットでは、かつての家が売りに出されていた。
「ある日、家の前を通りかかると何もなかった。車も自転車も、何もかも。何を考えればいいのか、どこに行けばいいのか分からなかった」
サトウさんは警察に子どもが連れ去られたと通報した。しかし警察は、子供たちは無事で父親と一緒にいること、元夫はサトウさんに居場所を知られたくないと言っているため、教えらないということしか、回答しなかった。
「私は接近禁止令を出されているわけではない。法的には子供たちに会えるはずだし、住んでいる場所も知ることができるはずだ」と、サトウさんは話した。
両親の離婚調停が1年以上続き、子供が一貫して一方の親と住んでいた場合、これは親権をどちらが取得するか裁判官が判断する重要な要因となる――と、前述の上野弁護士は説明する。
「先に子どもを引き取ったほうが有利だ」
日本の刑法には明確な「未成年略取・誘拐罪」があるが、親が自分の子供を連れ去った場合の解釈は、かなりあいまいだ。当局は基本的には誘拐として扱わないと、弁護士らは言う。
「日本では『子供と別居状態』と言って、受け入れられている」と上野弁護士は言う。
「警察は、夫妻間の問題だと言って動かないし、介入しない。それが日本での文化的慣習だ」
日本では、子どもとの面会交流も法的な権利ではなく、裁判官の裁量に委ねられている。
サトウさんは子供たちとの面会交流を得ようとしたが、最初の訴えは失敗に終わった。離婚調停中の夫との間に深刻な争いがあるという理由で、申請を裁判官に拒否されたからだ。
前述の岡村弁護士によると、裁判官は子供に有益だと判断した場合のみ、面会を許可することがほとんどだという。また、面会は監視下で行われる。
サトウさんは3年半にわたり子供たちとまったく接触できずにいたが、昨年8月にやっと、面会の権利を得ることができた。
「子供たちと会うために3年かかった。疲れ切ってしまった」と、サトウさんは涙を浮かべながら話した。
最初の面会は試験的なものだった。サトウさんは裁判所内で、監視の中、数年ぶりに息子と娘と同じ部屋に入った。
サトウさんに与えられた時間は、30分。子供たちの暮らしの詳細や住んでいる場所、通っている学校、友達の名前などは尋ねてはいけないとされた。
こうした「質問の制限」については、明確な理由を教えられなかったという。しかしサトウさんは、他の離婚した親からも似たようなことを聞いていたと話した。
「娘はとてもおとなしかった。3年半ぶりだから恥ずかしがっているのだと思った。でも娘は、お母さんに会いたかった、大好きだと言ってくれた」
サトウさんはまた、娘から手紙を見せてもらったという。そこには、「お母さんへ、お元気ですか? 3年も4年も会っていないので心配です。私は3年生になって、たくさんの友だちがいます。お母さんが大好きです。早くまた会いたいです」と書かれていた。
一方、今ではティーンエイジャーになった息子の話になると、サトウさんはほほ笑んだ。
「3回か4回は、『本当にあなたなの?』と聞いた。とても成長して、私よりもかなり背が高くなっていた」
もし日本に共同親権制度があれば、「こんなことは起こらなかっただろう」と、サトウさんは話した。
サトウさんは、この法案が最終的に親の連れ去り事件をなくす一助になることを期待していると言う。だが、上野弁護士はそれほど楽観的ではない。
上野氏は、子供を連れ去った人たちに対し、当局が実際に動くか懐疑的だ。また、共同親権が実際にどのように施行されるのかについて、まだほとんど詳細が明らかにされていないと指摘した。
「率直に言って、これは『骨抜き』の、中身のない法案だと思う」
「共同親権を施行するためのインフラがないのに、どうやって共同親権を施行するのか」
サトウさんは現在、子供たちと定期的に面会する権利を得た。今では月に1度、会っている。
子供たちの暮らしについて多くは知らないものの、失われた時間を取り戻せるだろうと、サトウさんは言う。
「少なくとも、子どもたちに会う機会があるのだから」と、サトウさんは涙を浮かべながらほほ笑んだ。
(追加取材:ハーマン・ユミ、小林智恵)
(英語記事 ’My ex took my children’: Hope for divorced parents as Japan to allow joint child custody)
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