「自分は子どもを持たないと誓った」親の離婚を経て辿り着いた結論 聞かれなかった子どもの声、当事者がいま伝えたいこと

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11/4(土) 7:32配信
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政府は共同親権の導入など、離婚後の親権の在り方について議論を進めています。親の離婚を経験する未成年の子どもは1年間に約18万人。離婚しても、子どものことを守るためには、どんなことが必要なのでしょうか?

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■両親の離婚に対する“思い”を伝えられなかった子どもが9割

法務省が行った「未成年期に父母の離婚を経験した子の養育に関する実態についての調査」によると、「親の別居・離婚を誰かに相談した」という人はわずか8.9%。多くの子どもたちが、親の離婚に対する思いを誰も言わずに抱えたまま生活をしています。

私たちは、親の離婚を経験した2人の当事者に話を聞きました。その動画を公開したところ、親の離婚を経験した多くの当事者から、自分も同じような気持ちだったと共感の声が集まりました。

離婚という親の決断は尊重しつつも、離婚前、離婚、離婚後と継続的に子どもの気持ちにも寄り添ってほしい…。これまでなかなか聞かれることのなかった子どもたちの思い。それは、どのようなもので、親にどのように接してほしいと感じているのでしょうか?

■突然引き剥がされた家族… 中学生の時に誓った「子どもは持たない」

小学生の時に親が離婚したという新井さん(24)。離婚に至る前から、両親の関係の変化を子どもながらに感じていました。

新井さん
「昔から両親の仲が悪かったという訳ではなくて、幼稚園くらいまでは本当に家族全員、仲のいい家族で、楽しかったです。ただ、小学校に入って1、2年生ぐらいのタイミングで、急に母親と父親の喧嘩が増えてきて、そこから状況が一変しました」

ーー離婚はいつだったんですか?

「母親から突然、引っ越すといわれて。僕はそのとき離婚とは全然露知らずだったんです。引っ越すといっても、どうせ関東圏内だろうと思っていました。

でも、直前に『どこに引っ越すの?』と聞いたらやっと「関西」って答えてくれました。そこですごく大泣きして『絶対行きたくない』って言って、いろいろなことを話したんですけれど『もう決まったことだから』って」

ーー親から離婚についての説明はありましたか?

「当時の僕の記憶ではなかったです。僕の姉と弟3人兄弟と母親で関西に引っ越して、父親だけ関東に残っていました。その状況で離婚したんだなって、子供ながらに感じてたっていうぐらいです」

ーー生活は一変しますよね、どういう風に感じましたか?

「生活圏が離れるということもあって、学校での生活だったり友達っていうコミュニケーションが一気に断絶されてしまった感覚で。私はどちらかというと関東に残りたかったし、父親の方に居たかったです」

ーー当時、自分のそういう気持ちを親に言うことはできましたか?

「『向こうに戻りたいよ』と言ったんですけど母親がすごい猛反発するというか、すごい癇癪を起こしたように『絶対行っては駄目』『あの人はこういう人だから』とか。

(父親に)会う権利があるはずなのに、許されなかったっていう状況が続いて、個人的には一番しんどかった時期だなと思いますね。自分の主張を聞いてくれない、尊重してくれない。『何を言っても無駄だな』と自分の無力感を感じて、両親を通じて人間不信にも繋がったのかなって思います」

ーーその他にも、親の離婚の影響だと感じることはありますか?

「僕は中学の時にたてた誓いで、子どもはやめておこうと決めています。性格的に(母を)無意識に引き継いでいる部分もあると思うので、自分が苦しんだ分、子どもに同じ思いをさせたくないなって思いが強かったです」

ーー親の離婚を経験した子どもとして、伝えたいことはありますか?

「親の間で決着はついてるかもしれないけど、出来事として終わっても、子どもながらにそれを心理的に引きずってる部分は絶対あるし、言えないままっていう子も多いです。

離婚の全てを否定しているわけではないし、(両親が)離婚して別れるってことは正しい選択だったかもしれないです。ただそれは大人の話であって、子どもの気持ちは尊重してほしいです。離婚するにしても、子どもの訴えを親が聞いて改善していかないと、子どもはずっとつらいままだということは知っておいてほしいです」

■父親に怯えた子ども時代 母は父と自分を重ね「本当にあの人にそっくり」

もう一人、私たちの取材に応じてくれた女性がいます。亭主関白な家庭で育ったという市川さん(28)です。父親は、市川さんに対して怒鳴ったり、押し入れに閉じ込めるなど、怖い存在だったそうです。

市川さんが中学生になる頃に親は離婚し、市川さんはお母さんと暮らすことに。離婚後は、養育費は支払われ、面会交流も行われました。しかし、一時は生活保護に頼るほどの生活状況だったといいます。そこには、お母さんの強い気持ちがありました。

市川さん
「養育費や慰謝料をもらっていたんですが、母は父の力に頼りたくない1人で頑張らなきゃいけないっていう使命感があって、母の力だけで家族を回そうって頑張ってくれていました」

ーー面会交流で、お父さんとのやり取りはどうでしたか?

「あんまりよくない言葉なんですけど、金づるだと思ってました。「何が欲しい?何でも買ってあげるよ?」という父に気持ち悪さと、でも、もう取れるだけ取っちゃおうといった感じで。父におねだりをして買ってもらう時間という風に自分を納得させて、面会交流をしていました」

ーーお父さんに、会いたくない、とは言えなかったんですか?

「言うのが怖かったんですよね。言って怒られたらどうしよう怒鳴られたらどうしよう、果ては殴られたらどうしようって」

ーーお父さんとの関係は離れても変えられなかったんですね。

「母の父に対する悪口を聞いていたっていうのが影響受けていたって部分はあると思いますね。それがなかったらもう少し、面会交流とかで会う父に対する拒否感とか、そういうのはもうちょっと穏やかだったかもしれないですね」

ーー離婚後のお母さんとの関係は?

「母と言い争いになると、『その言い方本当にあの人にそっくり』とか『そんなに嫌なら、あの人のところに出て行け』と、感情にまかせて母が言ってくることがありました。やっぱり子どもなので見捨てられたくないので『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい』と。もうどんどんどんどん共依存の関係になっていったなと思います」

ーーお父さん、お母さん以外に相談する場があったらなと感じますか?

「欲しかったけど、どうすればいいかよくわからなかったです。誰にすればいいのかわからないし、相談しづらい内容でもあるので。ですので、苦しいっていう気持ちを抱えたまま、子ども生活を送る人が多いんじゃないかなって思います」

ーー何が違ったらよかったのでしょうか。親に対して伝えたいことはありますか?

「もう少し話を聞いて欲しかったって思います。親の前では、自分を出すというのが出来なかった。日々の積み重ねだと思うんですけど、対等のコミュニケーションを取るっていう努力をして欲しかったなと思います」
(10月29日配信『SHARE』より)

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