ダンの子育て日記45「父親より大切な友達はいるのですか」

和解による調停調書作成(2017年12月19日)2017年12月19

2017年11月末~12月  裁判所より和解調書の草案作成にあたり希望案の提出を求められる。

2017年12月 和解期日裁判所に出廷。裁判所によって同居時の父子の行動を反映する和解調書を作成して頂けました。作成に当たり基準となったことは、父息子の同居時の親子の行動=絆を重視、父子愛(愛情の深さ)。

父親は子に対して生後より日々子育てを行ってきた。4歳より7歳11ヶ月連れ去り前までの約4年間に関しては、父親自身の経営する居酒屋の休日(日祝)は全て子どもと(ほぼ父息子2人で)過ごしたことを重視し反映してもらいました。(裁判所提出:乙第20号証・思い出エピソード乙第21号証・時系列・年表乙59号証)

また、面会交流中においても、父親の愛情なくして子は健全には育たないことも加味して頂けました。

こちら側(父親)の提案を全て受け入れてもらえました。

                母親提示案     父親提示案

面会交流日数/月       1回          2回

旅行      /年       0回          3回(2泊もしくは3泊)

学校行事の参観        なし          あり

習い事の付き添い       なし          あり

通電               拒否          可

和解内容には裁判官(裁判所)から私の気持ちを代弁してくれた記述を追加してくれていました。

【その他の交流】

学校行事と水泳教室(習い事) 習い事の観覧を認める(中略)学校行事のスケジュールを事前に交付するものとする。

【 子の福祉の尊重】

子供を愛し、子供の成長を考え、親子が意思疎通図ることができる環境を作りを整えられるように務め・・・・

「父親より大切な友達はいるのですか」

一番もめたのは、通電(携帯電話)でした。

相手方(母親)は拒否。理由として子ども携帯電話の登録が10件のため、これ以上は登録できませんと拒んできた。

裁判官「誰を登録しているのですか」

相手方代理人「母親、叔母(母親姉)、祖母(母親方)、友達数名」

裁判官「父親より大切な友達はいるのですか」

裁判官「父親といつも連絡、会話ができる事により精神的な安定が取れ、会うことで子は親の愛情を感じます。」

母親が控え室にいたため相手方代理人が裁判官の意見を受け母親に確認に行くこととなりました。

相手方代理人が相手方控え室に行き20分位経った頃、裁判官から早くするようにと相手代理人に請求の声がけがありました。 その後相手方(母親)は友達の一人を外して父親を登録することに承諾してくれました。                

相手方との話し合いはもめましたが裁判官の計らいにより、相手方も最終的には全てを受け入れてくれました。

相手方(母親)は控え室から出ることなく和解案の確認事項がある度に相手代理人が確認に行っていました。

母親は私に対しての後ろめたさからか、最後の調印まで顔を出すことは一度もありませんでした。

【財産分与の分配ならびに和解金】

相手方(元妻)は調停・裁判を通じて財産分与の折半、和解金などに対して500万円を要求してきました。理由とし裁判が始まり元妻は私が不倫をしたかのように自分の家族、保育園時代の人たちをも巻き込み悲劇のヒロインを演じ高額の和解金を請求してきました。

裁判所の判断は元妻の意に反し、連れ去った側(母親)が連れ去られた側(父親)と子に対して長年にわたり精神的な虐待があり連れ去り後も元保育園の父兄不特定多数に父親を悪者に仕立て上げる嫌がらせメール(平成26年7月25日)を拡散する。真実をも捻じ曲げる行為は名誉毀損にも値する。また、子が幼少期の元保育園の友達に会った時にどの様に思われるかなどの、影響を及ぼす事を察することはせず、自身の身勝手な行動にすぎない。それらの事などを認めさせ減額150万円の財産分与/和解金で合意した。(元妻が離婚の原因を作ったこと。損害賠償の要因があると認めてくれたと私は思ってます。)

【2013 秋 離婚について正式に話す】 

これまでの夫婦関係と子育てについて

(裁判所提出:乙第20号証・思い出エピソード乙第21号証・時系列・年表乙59号証)

2007(誕生前)子どもを堕胎すると言い出す。何とか説得し産んでもらう。

2007 (0歳) 生後3ヶ月、泣き止まない息子を激しく揺さぶる。間一髪一命を落とすところを奪い取る。

その後はミルクを上手く飲めなかったり、ハイハイで転んだりするたびに、先天的に異常だと揶揄する発言をしていた。心配になり私一人で産まれた病院に行き出征証明を見せてもらい安心した。

2010/夏~秋 私が仕事中に倒れ緊急入院。MRI検査後、原因不明とのことで約3ヶ月で通院53回。従業員が元妻に「どこの病院に通院ですか」と尋ねても答えられなかった。(当時元妻は毎日、私の経営する居酒屋で朝10時から夕方までのスタンバイ・仕込みを手伝っていました。/この頃には元妻からの愛情は既になかった)

2013私の経営する飲食店の洗濯は私自身で行うようになる。(私の作務衣、エプロン、従業員のシャツ、エプロン)ら

2013私の父の法要参加せず。息子(5歳)が親戚の前で「ママは来ないのと聞かれると、ママは行かない。xxxは〇〇の長男だから行ってきなさいと言われた」と話した。

2013/8月 父子2人で9泊10日の旅、旅行中に子どもの6歳の誕生日、元妻を誘うが断られる。

産まれて間もない時より、息子の小学校入学に合わせて離婚する話を進めていた。元妻「小学校に入学までは育てます。その後はお願いします。」と。元妻の姉夫婦も心配して相談に乗ってくれましたが元妻の強い意志は変わらず。

夫婦間に関しては息子が産まれて間もない時より、夫婦関係を拒むようになりそれ以来一度もなく(約8年)、夫婦関係は冷めていた。

これらの事を話す中で元妻から離婚したらどうするのの話から、私の事を親身になって相談に乗ってくれる友達はいる。居酒屋は夜も遅いことから生活面でもルーズになりがち。子どもの養育の事も考えると、時期を見て再婚できれば良いかと話した。

【2014年6月 2回目の離婚の話】

元々は子どもが小学校に入学したら私が引き取ると話していた事。3.4.5月と卒業・入学式と慌しく、子どもが小学校に慣れてからと思い6月になり離婚の話をした。これまでの冷めた夫婦関係・父親も子育てに携わってきた事を話す。

2013秋に離婚の事について話したこと、離婚に至るまでの経緯を再度話し納得してもらう。

2014/1 私がお風呂で1時間40分位寝ていた事。夕方、家のお風呂で妻、息子が居るにも関わらず湯船で放置される。

「もし私がお風呂で溺死したところを息子が目にしたら、息子はどう思うのか。私はあなたが怖いと話す。」

(裁判所に提出書類に元妻から「大量の睡眠薬を服用して・・・」レポート9)

2014/3月 同居時、子どもの通っていた小学校入学・英会話スクール・公文・サッカーの説明会 父子2人

2014/3月 同居時、子どもの通っていた英会話スクール・公文・サッカーの体験会・入会手続き 父子2人

2014/3月 2年間通ったダンス教室卒業発表会。観覧、父親1人

2014/3月 父親の親戚より子どもの小学校入学お祝いにとランドセル・勉強机・サイドテーブルを買って貰う。母方からのお祝いはなかった。

ここ数年間、元妻と子どもとの2人だけのお出かけ(外出)はほとんどなかった。

父子お出かけ148回・父母子お出かけ13回・母方お出かけ1回/父母共同経営(飲食店)のため、休みは同じ日祝

裁判所提出書類には日時場所明記     保育園〜小学1年7月(約4年間)

 (レポート10)

冷めた夫婦関係関係からの離婚・子供に対しての薄愛を感じるなどを話し、私が引き取る事を承諾してもらう。

【2014/7/16 3回目の離婚の話し】

離婚したら夏休み数日間、子どもと私の実家(父親)で一緒に過ごし、落ち着くまで一緒にいる事を話した。元妻に離婚届を渡すと、「この子を大学まで行かせてください」「前に話していた人(女性)はこの子を大切にしてくれますか」と聞かれ将来を託される。

その夜、子どもは連れ去られた。

その日、学校で夏休みに何をしたいのの絵日記に(祖母(父方)、私、息子)を描く。

『なつやすみに、おばあさんちにいってボートにのるのがたのしみ』(7月16日絵日記より)

息子は毎年実家に帰るたびにおばあちゃんの絵を描いていました。その年の正月に描いた絵には「おばあちゃんながいきしてね。バイバイ」と。

連れ去られから数日後、祖母は余命3ヶ月と入院先の病院から連絡をもらう。元妻に子どもにお見舞いを何度も何度もお願いし、裁判所からもお願いしました。やっと夏休みの最後にお見舞いに行くも祖母は余り話せない、手も強く握れない状態で痛たたまれないと見ていた者から聞きました。そして、孫と逢った10日後この世から旅立ちました。

危篤・葬儀に来て欲しいとお願いしましたが「先日行ったばかりですから」と断られました。

息子は正月に祖母と会い祖母の異変に気付いていたのか。その時描いた絵には「おばあちゃんながいきしてね。バイバイ」と。

毎年遊びに来ては大好きなおばあちゃんと楽しい時間を過ごしていました。もっと長生きして遊んでもらいたかったに違いない。

連れ去りが起こるたびに子供が板挟みになります。 一番の犠牲者は子どもです。

このようなこと(連れ去った者ルール)が日本では公然と行われています。連れ去りが起こらない、起こさない離婚しても子供は自由に両親と自由に会える関係を築くにはどうしたらいいのか考えてもらいたい。

世界のほとんどの国が連れ去り(誘拐)は犯罪行為です。

近い将来、息子は父母子の離婚事情を知ることとなるでしょう。

その時に息子は自問自答するでしょう。

そして、その後どのような行動に出るか私は心配です。(これはドラマではありません、日々日本で起こっている事実です)(2023.6.19)

1年前