《小4女児を母親が絞殺》「命を救える機会は何度もあった」実父が憤る行政の“ずさんな対応”

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5/10(水) 7:02配信
週刊女性PRIME

’07年10月、可愛らしい服を着る愛実さん(阿部さん提供)

 母親は児童養護施設で生活する娘を迎えに訪れた。駆け寄る娘をギュッと抱きしめていたその手は、我が子を絞め殺すために使われた――。

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「娘の顔は赤紫色で、口を大きく開けていました。何かを叫んで、何かを訴えているような表情に見えました。柔らかい紐のようなもので、十数分にわたって首を絞めて殺害されたそうです。それだけ長い時間をかけたのに、どうして我に返らなかったのか」
「統合失調症」と診断された母親

 そう話すのは、亡くなった千葉愛実(めぐみ、享年9)さんの実父である阿部康祐(やすまさ、50)さんだ。

 事件は2016年6月、秋田県秋田市で起こった。愛実さんの母親であるY子は、自宅アパートで無理心中を図り、施設から一時帰宅中だった娘の首を絞めて殺害したのだ。

 Y子は殺人容疑で逮捕されたが、秋田地裁は心神耗弱を認定し懲役4年の実刑判決を下した。しかし、Y子は判決を不服として控訴。最高裁まで争ったが、2018年に刑が確定した。

「たったの4年……軽すぎますよ。裁判では“覚えてない”“わからない”ばかりで謝罪の言葉はありませんでした。Y子の服役後には、刑務所での様子を通知してもらう制度を利用しましたが、生活態度はいつも5段階中の最低評価。説明には《反抗的》などと書かれていました。他責的な人間ですから、反省していないはずです。すでに出所をしていますが、Y子に会ったら、取り返しのつかないことをしてしまいそうで……。今も彼女を許せないんです」(阿部さん、以下同)

 その心中に渦巻くのは、Y子への怒りだけではない。2019年、行政の対応に落ち度があったため愛実さんが殺害されたとして、阿部さんは秋田県などを相手取り、約8000万円の損害賠償を求める裁判を提訴した。

「行政がしっかりと連携していれば、救えた命だったはずです。それなのに行政間で情報共有がなされず、対応を誤った。Y子は生活保護を受給していましたが、ケースワーカーは、Y子に娘がいることを知らなかったそうです。ありえないことが、いくつも起こっていたんです」

 しかし、秋田地裁は4月14日に阿部さんの請求を退ける判決を下した。これを受け、阿部さんは即日控訴している。本当に行政の対応に問題はなかったのか。一家に何が起こったのか。時を遡る。

◆   ◆   ◆

 2002年、6年間の交際を経て阿部さんとY子は入籍。秋田県大仙市に居を構えた。幸せな新婚生活が待っているはずだった……。

「結婚してほどなくしてY子が“私は何かしらの精神疾患を患っている”と訴え、いくつもの精神病院を受診して回るようになりました。最終的に『統合失調症』と診断され、Y子も納得した様子でした」

次第に病状は悪化。妄想が酷くなり、薬を大量服薬する自殺未遂を起こしたことも。そんなY子に代わり、阿部さんはすべての家事をこなした。

「Y子は思うように動けず寝てばかりでした。親族との関係も悪く、孤独だったんです。そんな妻を私が支えなくてはいけないと思っていました」

 ここで生活に大きな変化が起こる。2006年12月に愛実さんが誕生するのだ。
住民基本台帳に閲覧制限が

「すっごく嬉しかったのを覚えています。初めて抱いたときは、壊れてしまいそうなぐらい小さくて怖かったのですが、本当に可愛くって……。父親になったという自覚が沸き、もっと頑張らなくてはいけないと強く思いました」

 Y子にも変化はあったのか。

「可愛がっていましたが、正確には教育熱心だったという印象です。“幼い時の教育が大人になって影響するんだから”と話し、食べさせる物へのこだわりは強く、知育玩具を買い与えていました。勉強って歳でもないんですが……。Y子は学生時代に“いじめ”に遭っていたことから、娘をいい学校へ進学させて周囲を見返してやりたいという思いがあったようです。子どもは自分の分身ではないのに……」

 その一方で、阿部さんの負担は増大していた。

「Y子が病気で昼間は子どもの世話をできないため、保育園に預けていたのですが、その送迎やお風呂といった育児に加えて食事の支度など、家事育児のほぼすべてを私が担っていたんです。愛実の世話について、Y子は口頭で私に指示をするだけ。私の母にも助けてもらいましたが、少しでもY子の思った通りでない育児をすると、すごい剣幕で罵倒されるのです。腫物に触るように接していました」

 父親として家族を支えなければいけない。そんな思いだけが阿部さんを突き動かしていた。しかし、心が壊れる。

「仕事から帰っても家事育児で休まる時間がなく、限界がきていました。当時は配達の仕事をしていたのですが、あるときから配達先を1軒回ると気分が悪くなり、休憩しないと動けなくなって……。1日30軒回っていたのが、3軒回るのがやっとでした。そんな状態でしたから、仕事をクビになってしまいました」

 それが2008年9月末のこと。ほどなくしてY子の病状が悪化したなどの理由から、夫婦は別居し、2009年8月には調停離婚が成立。親権はY子が持つことになる。

「絶対に愛実を渡したくなかったのですが、親権争いは母親が優位ですから勝ち取ることは難しかった。私が納得しないでいるとY子が面会交流をさせると言ってきたんです。月に1回会えるなら愛実の様子もわかるし、問題があれば即座に親権変更ができると考え、私は渋々承知したんです。まさか完全に会えなくなるとは思いもしませんでした」

 Y子はさまざまな理由をつけ面会交流を拒絶する。

「家族で住んでいた家からY子が転居したため、どこに行ったのかわからなくなってしまいました。愛実に会う方法を必死に模索するなか、住民票を取得しようとしたら、住民基本台帳に閲覧制限がかけられていたんです」

2009年11月、Y子は元夫からストーカー被害を受けていると虚偽の訴えをして『DV等支援措置』を申請していた。同制度は、DVや児童虐待の加害者から被害者の情報を保護してもらうよう自治体に求めることができるもの。

「1度も実施されない面会交流の履行勧告をしようにも、Y子の住所が必要でした。携帯番号も変えられて、連絡をとる方法がなくなるのです」
7年ぶりに会った娘は、冷たかった

 その一方で、Y子は離婚後に大仙市内の県営住宅に転居。2011年3月には行政に愛実さんの養育が困難だと訴え、愛実さんの一時保護を求めた。これにより愛実さんは児童養護施設で生活することになる。

「そんな状況になっているとはつゆ知らず、Y子の父親に何度も頭を下げて、引っ越し先を教えてもらいました。2012年4月にはその住所を基に面会交流の履行勧告をするのですが、Y子は私を愛実から遠ざけるため、今度は警察に虚偽のストーカー被害を訴えたのです。私を苦しめるため、何が何でも愛実と会わせたくなかったんでしょう」

 誰もがY子の主張を鵜呑みにし、阿部さんを阻み続ける。

「警察から“ストーカー行為はやめなさい。繰り返したら逮捕します”と電話がありました。それでも安否確認だけはしたくて県営住宅に何度も足を運んでいたんです。しかし、娘の姿を見ることはできず、諦めの気持ちが大きくなっていきました」

 阿部さんから少しでも離れようと考えたのか2013年2月、Y子は秋田市内へと転居する。周囲が見えなくなるぐらい、阿部さんの頭の中は愛実さんのことでいっぱいだった。

「複数の探偵社に“娘を探してほしい”と依頼しましたが、全部断られます。手立てのない絶望的な状況にふさぎ込む日々が続きました。そんなとき、私の母親が“大人になったら愛実から会いに来るよ”と言ってくれたんです。もし愛実が会いに来たとき、こんな姿は見せられない。立派なお父さんでよかったと思ってもらえるように頑張ろうと、それを日々の糧にして前向きに生きることを決めました」

 だが、希望は無残にも打ち砕かれる。新聞報道で事件を知り、警察署に駆け付けた。霊安室で7年ぶりに会った娘は、何も話さず、冷たかった。

「娘の遺体を目のあたりにしても、自分の娘だと思えなかった。成長していたからではありません。悲しいという感情が沸いてこず、現実を受け止めることができなかったんです。愛実の葬儀は、Y子の親族が執り行いました。参列したいと伝えると“やっと縁が切れるんだから遠慮してくれ”と言われ、最後の別れをすることは叶いませんでした」

 阿部さんは、愛実さんが通っていた学校や児童養護施設から引き取った遺品すべてに、今も目を通せないでいる。

「楽しそうな娘の姿を知ると、つらくなってしまうんです。なんで助けてあげられなかったんだろう。本当はそんな楽しい日々がずっと続いていたはずなのにって……」

 そして、行政の対応について怒りを滲ませる。

「Y子が秋田市へ転居した際、愛実は施設で保護されており安全だとして、秋田市は大仙市から要請のあった情報の引き継ぎを拒否したんです。注意深く見守る必要がある要保護児童の対象からも除外しました。最終的に愛実と関わっていたのは児童養護施設だけでしたし、Y子と接していたのはケースワーカーだけでした。愛実を一時帰宅させるなら、母子両方の状況を複数人で注意深く見守るべきなのに……」
生前の娘と最後に会った時の思い出

 母子への手厚い支援が失われていた。Y子は当時『統合失調症』(※編集部注:刑事裁判では『妄想性障害』と認定)と診断されており、主治医も「母親の病気は重く、子の養育は無理である」と述べていた。

 今回の判決で秋田地裁は、一時帰宅中にネグレクトや暴力による虐待はあったと認定。にもかかわらず、母子の関係は良好で、愛実さんに重大な危害が加えられることは予測できなかったと判断した。

「死なない程度であれば、虐待しても問題ないと言っているようにしか聞こえない。危険な判決だと思います」

 愛実さんを一時帰宅させる判断も、大仙市から秋田市へ転居してから変化していた。転居前は家庭訪問や医師との面談によりY子の生活状況や病状の把握に努め、児相が会議で帰宅の可否を決定していた。しかし、秋田市に転居してからY子の情報が把握されないまま、児童養護施設にその判断が一任されていたのだ。

「児童養護施設への帰宅時間も毎回遅れていたのに、それを容認していたのもおかしい。事件発生時、行政が即座に警察へ通報して自宅内の状況を確認していれば、愛実は助かっていたかもしれないんです。DV法の運用も、被害者の意見を聞くだけでなく、申請後に事実の確認が行われるべきでしょう。愛実の命を救える機会は何度もあったはずです」

 行政の不備を痛烈に批判するが、裁判を提起したのには、こんな思いがあったと続ける。

「間違いがあったと純粋に謝罪をしてほしいだけなんです。私に対して“金が欲しいんだろう”と話す人もいますけど、お金が目的ではありません。2度と同じことが起こらないように、真摯に反省する誠意を見せてほしいだけなんです」

 ここ数年で、阿部さんの両親や祖母が他界した。今は実家にひとりで暮らす。

「広い家なので、寂しいですね。死んでしまいたいと思うこともありますが、私が生まれてきた意味は今回の問題を伝えることなのだと思っています。生前の愛実に会えたのは、離婚直前の2009年3月22日でした。2歳の娘は“おとーしゃん、あそぼー”と駆け寄ってきたので、たくさん“高い高い”をしたんです。喜んでくれて、嬉しかった。遊び疲れて寝てしまった愛実の姿が、今も忘れられません」

 そう話し、かつて娘を抱き上げたその両手を、阿部さんはじっと見つめた――。

2年前