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2023年3月20日 23:55
4年間も抗議活動を続けてきたマッキンタイア氏は、今や我が子と再会できる希望を失いつつある。
「しかし、私が本当にやりたいのは、他のオーストラリアの子供たちを同じ目に合わせないようにすることなんです。」と彼は言う。
The Age Mar.20,2023
「日本を幸福な国にしたいなら黙っていろ」
日本大使館は、この制度が両親を疎外するものであるという指摘に対しては歯切れが悪い。山上信吾駐オーストラリア日本大使は、今回取材を拒否したが、日本は共同親権を認めていないと以前に発言している。
「父親と母親の関係の条件が良好でなければ、子どもはその両方に対処することで苦しむかもしれない。この考えに基づいているからだ」と彼は、昨年述べている。彼は、彼自身の個人的な経験にも関わらず、この制度が「子供の連れ去り」の全てのケースに公平に対処している、と語った。
「私は、日本人の配偶者との離婚を経験し、息子と引き離されたこともある。その痛みは決して消えないことを私は理解している。」
日本政府は、身柄拘束の見直しに向けた、公的な意見徴収を開始した。
1月、オーストラリアの軍隊は日本と相互アクセス協定を締結した。この協定により、数百人のオーストラリア軍兵士が日本の基地に駐留することになる。
「オーストラリア軍人はこの問題に直面することになる」と、ランディ・カバナは言う。
彼の娘アンナは、東京の北西部に位置する高崎で、母親によって連れ去られた。
カバナは、いつかアンナと再会できるようにと、この町に親子のための和解センターを建設した。オーストラリアをテーマにした庭には、かの国原産のユーカリやバンクシアの隣に、マキバブラシの樹も植えられている。
室内には、先住民アボリジニーの風景が描かれた壁が見える。1月の寒い日、長野の雪山が地平線に見えると、12人の地元の子供たちが彼の足元に座り、フクロネズミの人形で遊びながら、ランディの地元のクイーンズランド訛りを真似て喋って笑いあっている。
「”G’day mate !” ( よう兄弟、元気かい!)」
53歳の彼は、娘と同じ年頃の子どもたちと触れ合うために、小学生に英語を教えている。最後に娘のアンナを家で見たのは、彼女が裏庭でシャボン玉を吹いている時だった。それから5年の月日が流れた。
「日本では、3つのオーストラリア小隊の軍人の子供たちが行方不明になっている。もし別の人間だったら、王室委員会が開かれるだろう。でも、ここにいるオーストラリア国籍の子供達は残っているしかない。「日本を幸せにするために」黙っているしかないんです」と彼は言う。
私的な外交戦略
ポトッキ、フレミング、カバナ、マッキンタイア、そして身元を明かすことのできない6人のオーストラリア人の親たちは、オーストラリア政府の煮え切らない外交戦略に辟易している。
「オーストラリアの子供達に対して、明らかな人権侵害を行うような国と軍事同盟を結ぶことが、どれほど不条理なことかわからないのだろうか」とフレミングは言う。
マッキンタイア氏はこう問いかける。「なぜ、オーストラリアの大臣達から、何度も何度も、我々は丁重に問題を提起してきたと聞かされ続けなければならないのか。それではダメなのです。」
ペニー・ウォン(外相)はなぜ、「20年間、我々は丁重にこの問題を提起し続けてきた」と主張するのか。彼女は、一国の大使であり、人権の戦士であると主張している。彼女には、国際人権デーに、オーストラリアは一貫して人権を守ることを宣言してきたなど、書く資格があるのか?彼女は自分の意図に合った国だけで、人権を守ってきたと主張しているに過ぎない。
「日本で行方不明になったり、拉致されたりしたオーストラリアの子供たちが82人いる。一体、どのように政府は立ち上がり、行動を要求しないのか?オーストラリアの我々の子供達はいったいどこにいるのか」
2021年のオーストラリア人の親達との面談で、オーストラリア大使館の高官は、「確かに、この問題では、オーストラリアの考えと日本の考えが嚙み合っていない」と述べた。
「私たちは、日本がこの問題に対処することを呼びかけてきた。しかし、それは個人レベルで行わなければならない。なぜかと言うと、我々オーストラリアと日本との関わりは、そうすることでしか最良の結果が得られないことがわかっているからだ」と、その高官は述べた。
ウォン氏はインタビューの要請を拒否した。声明では、オーストラリアの保護者の懸念は、日本の林芳正外務大臣と斎藤健法務大臣に提起されたと述べている。
また、オーストラリア政府は、日本の親権制度の見直しである」「パブリックコメント」に同国としての意見を提出し、日本の当局が共同親権制度を採用するよう促している。
「これらの家族が感じている痛みや苦痛は計り知れないものであると理解している」とウォン氏は述べた。「我々は、この問題にン巻き込まれた家族、そして日本政府と関わり、これらの家族が再会できるようサポートしていく」と述べた。
母親の悲痛な願い
メルボルン出身の2児の母、キャサリン・ヘンダーソンは、もう待てない。
英語教師である彼女は、東京で一緒に暮らしていた家から、夫が突然、子どもたちとすべての財産を持ち消え去って以来、ほぼ4年間、子どもたちに会っていない。
娘は10月に18歳になったが、ヘンダーソンさんは、オーストラリア大使館を通じて調査中の事件リストから外されることを恐れている。息子は14歳だが、ヘンダーソンさんは日本の迷路のような制度の中で2人の子供に連絡する術を何ら持たず、何度も精神的疲労を耐えつつ集団訴訟を繰り返している。
11月には、オーストラリア政府に対して、一か八かで、娘はオーストラリアのパスポートを取得する資格があり、必要であれば領事の支援を受けられるはずだとの主張を行った。ところが、キャンベラ政府はその送付を拒否した。ヘンダーソンさんは、成長した子どもたちのためには、自分と再会できるための何らかの手がかりを残すことしか選択肢はない。
何十本ものビデオの中で、彼女はかつてサンドリンガムのビーチで砂の城を作り、フィリップ島でコアラを抱いた子供たちの姿を探そうと街を歩き続けている。 子供達の誕生日と、自分の誕生日のそれぞれに、ヘンダーソンさんは、2019年4月のあの春の日にリビングで最後に見た子どもたちに話しかける自分の姿をビデオ録画している。
彼女は、いつか子供達にまた会えるかもしれないと思いつつも、会えないかもしれないとも恐怖している。 ヘンダーソンさんは、自身の50歳の誕生日の前夜、東京のソファで一人、泣きながら語った。
こんなことがあり得るなんて、何かがとてつもなく間違っている。
「私は何があっても貴方達を愛してきました。いずれ子供達は自分の家族を探したい、お母さんのことを知りたいと思うようになると信じています。」
「勇気を出してね、私の小さな愛する子供たち」