この方は、法制審議会の議論を追ってないので、戸籍信仰や戸籍実務・利権と結びついた司法官僚のバックボーンまでわからないのかもしれませんが、保守の思想がわかりにくいのはわかります。
「リベラルの知的なマウント取りが憎いので逆方向に行くと結束できる」というのは「保守の古臭い権威主義が嫌いなので逆方向に行くと結束できる」という左派にそのまま当てはまります。
家族の問題は小さくないです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b7dc2a8894d1219df3c48a310f788a685c2c5b52?page=1
8/31(水) 14:26配信
<夫婦別姓や離婚後の共同親権に反対する背景には、どのような思想があるのか全く不透明>
自民党は大きな政党ですから、右から左まで様々な立場の政治家がいます。昭和の昔には、左は「AA(アジアアフリカ)研究会」から、右は「青嵐会」など様々なグループがあって、かなり派手な議論を繰り広げていました。最大の事件としては、70年代の日中国交回復問題がありましたが、左右両派ともに言いたいことを言い合った結果として、合意形成ができたのは事実だと思います。
現在も、「保守派」というのはあるようです。その具体的なポジションですが、例えば、防衛費の問題や近隣諸国との外交に関する立ち位置というのは、強硬か協調かの軸を考えれば理解ができます。またその背景にある思想や価値観というのも、想像がつきます。
一方で、日本の場合は家族をめぐる価値観論争というものがあります。具体的には、結婚後の夫婦別姓をどうするか、あるいは離婚後の共同親権をどうするかと言った問題です。ここでも、保守派というのは、かなり立場を明確にしています。ですが、軍事外交の問題と比べると、家族をめぐる価値観論争においては、背景の思想というのが伝わっていないように思います。
例えば、最高裁の違憲判決を受けて法律の改正も終わった問題ですが、非嫡出子の相続権を平等にするという問題がありました。保守派からは反対が出ていましたが、その理由や背景の思想に関する説明は十分ではありませんでした。例えば、地方出身の政治家や実業家が、妻子を地元に残しながら、東京に愛人を作って子供をもうけるなどということが昭和の時代にはよくありました。
<背景の思想が見えない> その場合に、夫の横暴に耐えて本家や本店あるいは選挙区を守った「正妻」の子供は、その正妻の苦労に見合うだけの分配があっていいとか、あるいは「愛人の子」に財産が分配されると家業の承継が難しいなどの「一応の理屈」があったことは想像できます。平成や令和の社会常識には反するし、従って最高裁にも否定された考え方ですが、反対論への理解は不可能ではありませんでした。
ところが、夫婦別姓の場合は、その背景にある思想がよく見えません。よくある批判は、家族が分断されるというのですが、これも別姓問題よりも、日本独特の広範な単身赴任制度を禁止するなどの方がよほど重要だし効果的と思われます。また、強硬な反対論者に限って旧姓の通称使用は自身でも経験があり、大いに推進するなどとしているのも不思議です。
通称はいいが、戸籍はダメ、本人の自由ではなく一律ダメという主張は、非常に分りにくいです。他の家族が夫婦別姓を選ぶことで、戸籍制度全体が「汚(けが)れる」とでも思っている一種の「戸籍教」のような信仰があるとしか思えません。 今回は、離婚後の共同親権の問題についても、自民党の保守派の批判から法制審議会での中間試案の決定が先送りになっています。
この問題でも、同じような「分かりにくさ」があると思います。D V(ドメスティック・バイオレンス)の履歴がある元配偶者の問題など、個別事例に判断が引っ張られているのか、それとも親権、監護権、面会権の組み合わせ方として代案があるのか、反対論の中身が分かりません。
<「いじめが心配」の欺瞞>
また反対する理由、その背景にある家族観も不明確です。「都会のキャリア志向の女性と離婚して、子供を後継ぎとするために親権を取った父親とその両親が、子供への母親の影響力をゼロにしたい」、そんな例があるのは一応は理解できます。また、再婚家庭の配偶者は一般的に相手に、親権のない連れ子との関係を断つように要求するのが「正しい」といった、一種の家族観に引っ張られている可能性も感じます。
仮にそうだとして、それが「麗しい日本の伝統的な家族」だと胸を張られても困りますし、そもそも説明がないので「どのような家族観から判断しているのか」が見えないのです。よくあるのは、別姓家庭の子供や、共同親権の子供は「いじめられる」という批判です。 ですが、それこそ反対派の大人としては「いじめられるのが心配」というよりも、「そのような例外がいるとコミュニケーション面で面倒なので排斥したい」というのが本音のように聞こえます。
「いじめられるのが可哀想」などと言いながら、いじめる気満々という気配すらあります。いやいや、それは違うというのなら、やはり分りにくいので説明を求めたいと思います。 とにかく、この夫婦別姓問題における「戸籍を汚すな」的な印象論と、共同親権に関する問題については、反対するうえでのロジックが見えないのです。
<特定団体の影響?> もしかしたら、保守派の政治家や支持者には明確な家族観やイデオロギーというものはなく、「リベラルの知的なマウント取りが憎いので逆方向に行くと結束できる」という党派対立のメカニズムだけなのかもしれません。あるいは「自分の支持層はとにかく時代の変化や社会の変化を嫌っているので、昔の通りがいい」という思考停止への迎合なのかもしれません。だったら、別姓問題にしても、親権の問題にしても、現在ある制約に苦しんでいる人々に対して、あまりにも不誠実だと思います。
一つ心配なのは、「支援してくれて欠かせない存在になっている宗教や外国団体の影響に引きずられている」という可能性です。比較的小さなテーマにここまで対立エネルギーを投入しているのは、基本的に不自然であり、どうしても外部勢力の工作を受けているという疑念が生じてしまうのです。仮に事実であれば、それが100%の要因ではないにしても、これは深刻なことです。
いずれにしても、家族に関するイデオロギー論争はしっかり行うべきです。まずは、保守派の方々には、どのような家族観に基づいて政策論を展開しているのか、透明性のある説明をお願いしたいと思います。
冷泉彰彦(在米作家・ジャーナリスト)