https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2022-06-20
私は2019年毎年3回、選択的共同親権制度にしないことが唯一の力点だとこの力弱いブログで述べていました(後掲の3件の記事)。
しかし、賛同者はあまりいなかったようです。いろいろな記事を見ましたが、選択的共同親権制度に危機感を抱く人がいたということはそれほど感じられませんでした。
大変残念ながら、今日の毎日新聞の報道を見ると私の悪い方の予想が見事に的中したようです。
政治家の皆さんは、共同親権制度に理解があると信じられていた政党も含めて「選択的共同親権制度」ということは言葉で述べていた人もいるし、否定する人もいなかったので、嘘はついていないことになるのでしょう。私も橋下氏の発言を称賛する記事の多さに危機感を抱き、その都度フェイスブックなどで批判をしていましたが、あまり伝わっていなかったようです。これらの方々は現在の実態の問題点については良く取り上げていただいていたので、うっかり信用してしまったとしても仕方がないという事情があります。私は自分の力不足を嘆くしかありません。
さて、毎日新聞の報道によると、選択的共同親権制度といっても
・ 父母双方が子に関わり続けることが「子の最善の利益にかなう」ケースである場合に
・ 父母が話し合いや裁判所の判断で共同親権を選択できるようにする
というものにすぎません。
父母の一方が、相手が虐待や暴力をすると「主張している場合」は、共同親権の話し合いの土俵にも乗らないことになりかねません。わざわざ絵に描いただけの「絵にかいた餅」ということになるでしょう。わざわざ絵にかいた理由は外圧をかわすためです(後掲の記事)。
通常子どものが一方の親に連れ去られる場合は、多くのケースで暴力や虐待が存在しないケースです。それにもかかわらず、連れ去った側がDVだと主張して、一方の親から身を隠し、子どもは慣れ親しんでいる友達がいる学校や幼稚園から引き離され、相当期間学校に通うこともできず、突然もう一人の親に会えない状態になってしまいます。子どもにはかかわりのないことで、子どもの精神的発達に深刻な影響が生じることが行われているのです。
各種調査によると、子どもの年齢にも関係しますが、子どもは一緒に住んでいない親から自分が見放されたという意識になってしまい、中にはどうして自分に会いに来ないのだという気持ちになっているそうです。そしてとくに両親間の葛藤が強い場合、特に同居親が別居親に対して憎しみや嫌悪感などを抱き続けていると、子どもは血を分けた自分の親の悪口を言われていることになり、それらが合わさって、自分を大事にしよう、自分はかけがえのない存在だという意識を持ちにくくなるようです。
実際にいじめの問題が起きたり、心的な意味の男女関係の形成がうまくいかないで様々な問題を起こしたり、リストカットや拒食過食を繰り返し、引きこもりや精神科病棟への入退院を繰り返す事例もあります。私は同時期に2件の問題にかかわったことから、親子問題は子どもにとって大切な問題だと思い、面会や夫婦問題に熱心に取り組むようになりました。
一番感じているのは、子どもが健全に成長することは大人の責務であるということです。養育費を払えばその責務を果たしたことになるとするのは大人の勝手な理屈であり、子どもに対して通用する話ではありません。以前にも言いましたが、親権というのは、国家や地域あるいは血縁関係の中で、子どもの健全な成長を判断するのはほかでもない親であるということから定められたものです。法制史上も、戦前でさえ「親の子どもに対する権利」とは考えられていませんでした。このことを現代の法律家たちもよく理解していないということは実に嘆かわしいことです。家長と戸主の区別もつかない弁護士もいる始末です。
誤解だらけの親権制度 封建制度の残存物として排斥するのがいかに浅はかであるかについて:弁護士の机の上:SSブログ (ss-blog.jp)
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2021-06-24
例えばドイツなどは、この意味での親権即ち親の責任は、子どもが生まれたときから当然に両方の親に別々に帰属するという制度となっています。親同士が離婚しても子どもに対する責任は消えません。婚姻や離婚は親同士の事情であって、子どもには何のかかわりもないことだと割り切っているのです。これが当たり前だと思うのですがどうでしょう。親は結婚していた初めて親なのでしょうか。離婚をしたら養育費さえ払えばそれでよいという法制度は間違っていると思えてならないのです。
日本の単独親権制度は、この「親の責任」に対して親同士が離婚をしただけの事情でどちらか一方の親だけに帰属させるということになります。世界の先進国では類例を見ない制度です。
選択的共同親権制度というのも、他国で実施されている制度ではなく、日本の官僚が作り上げた政治的妥協の産物なのではないでしょうか。この点については詳細がわからないと何とも言えないとするべきなのかもしれません。
いずれにしても国会で議論されるのは、選択的共同親権制度か従来の単独親権制度かどちらかしかないということになりそうです。
連れ去りをするような人間は、連れ去ったうえで離婚をすれば自分だけの単独親権となり、もう一方の親は子育てに関与させないで済む、但し養育費だけは強制執行を背景としてしっかり義務付けるというゴールを持っています。単独親権制度は、このゴールがあるから連れ去りを誘発していたという側面があると思っています。ところが選択的共同親権で、共同親権を選択しないことが認められるならば、やはり連れ去り事例は減らないでしょう。相変わらず子どもたちは、友達や先生から引き離され、住んでいた場所から一方的に連れ去られていくことでしょう。
共同親権が「子の最善の利益にかなう」ケースである場合に共同親権の選択が議論されるということの意味は、原則として共同親権の選択は議論されず、一方の親が自分たちのケースが「子の最善の利益にかなう」ケースであるということを証明して初めて選択の余地が出てくるという危険があるし、おそらくそうなるでしょう。そうだとすれば、原則単独親権制度であり、例外的に立証に成功した時だけに共同親権の議論の土俵が設定されるけれど、連れ去り親が承諾しない限り共同親権制度とはなりえない制度であることを懸念しなければなりません。
選択的共同親権制度は、例外的共同親権制度になるだろうと思います。
子どもにとって有害な連れ去り別居、離婚の歯止めには一切ならない制度設計しか初めから無い可能性が高いと言わざるを得ません。
心ある外国語ができる方々は、拒否権付きの名ばかり共同親権制度が作られそうになっていることを諸外国に大いに伝えてほしいと思います。
2019年10月11日
共同親権制度の法制化の効果と共同養育との関連
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2019-10-11
2020年10月2日
共同親権制度が生まれることで何か子どものために効果があるとすれば何か 家族分断法体系は温存されるのか
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2020-10-02
2021年6月29日
【骨抜きにならない共同親権制度を創設する運動において留意するべきこと(前編)】 反対者の「論理」を踏まえた、私の考える「何を主張するべきか」。
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2021-06-29