赤井沙希(35)のプロレスデビューに母は“絶縁宣言”…そのとき父・赤井英和が見せた思わぬ反応「昔はファイターだったので…」

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赤井沙希さんインタビュー #2

「文春オンライン」編集部
21時間前

 プロレスラー、タレントとして活躍する赤井沙希さん(35)。元プロボクサーで俳優の赤井英和さん(62)を父に持つ彼女はかつて、“赤井英和の娘”というレッテルに悩みながら芸能活動を続けていた。そんな時、ドラマ出演をきっかけに「プロレス」の世界に導かれ、2013年にリングデビューを果たす。

 しかし、母親からは猛反対され、“絶縁状態”にまで陥っていたという。彼女のプロレスデビュー“前夜”に、いったい何があったのか——。(全3回の2回目/1回目から続く)
赤井沙希さん ©石川啓次/文藝春秋
赤井沙希さん ©石川啓次/文藝春秋

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K-1イメージガールのオーディションで、選手としてスカウト

――芸能界での仕事に不安を抱いていた赤井さんが、どのようにして格闘技の世界に足を踏み入れていくのでしょうか。

赤井 一番最初に格闘技のお仕事をしたのが、2009年のK-1のイメージガールでした。もともと格闘技は好きで、レイ・セフォーとかアーネスト・ホースト、ボブ・サップの試合をよく見ていたんです。そしたら、その時に所属していた事務所から「K-1のイメージガールの仕事をやってみないか」と言われて、オーディションを受けたんです。

 そしたら、オーディションをしていただいた石井(和義・正道会館)館長に、「身長、何センチ?」と聞かれて。「174センチくらいです」と答えたら、今度は「リーチはどれくらいあるの?」って。私、身長より手が10センチくらい長いから「リーチは184センチあります」と伝えたら、「選手になりなよ」と言われたんですよ。

――まさか、K-1デビューのお誘いが(笑)。

赤井 「え? 聞いてたオーディションと違うんやけど」みたいな感じでした(笑)。母がボクシングトレーナーだったので、小さい頃からボクシングに触れる環境にはいたんです。でもやったことはなかったから「やったことがないので、格闘技はわからないです」と伝えました。

 それに正直に言うと、その時は格闘技をやりたくなかったんですよ。だって、喧嘩もしたことがなかったし。それに選手として出たら、どうせ「赤井英和の娘、格闘技参戦」ってなるじゃないですか。当時は〇〇の弟とか、〇〇の息子参戦とかが結構多かったので、「そこに私も加わるの? それは嫌だな」と思って。結局、K-1の選手になる話はうやむやになって、流れたんですけどね。

――しかし、2011年にプロレスを題材にしたドラマ『マッスルガール!』に出演して再び格闘技に関わることになります。そこから、プロレスの世界に導かれていくんですよね。

赤井 当時、ドラマの役作りで共演者の方々と道場に行って受け身の練習とかをしていたんですけど、その時は特にプロレスにハマることもなく。お仕事として練習していました。

――その後、ドラマの役名である「ビッグデビル」としてプロレスの試合も経験されています。

赤井 ドラマのDVD発売イベントの時に、実際の試合会場でエキシビションみたいな感じで試合をしましたね。ただその時も“役の延長”という意識で、実際に自分がプロレスラーになるとは思っていませんでした。

 それに私、当時は血が出るのが怖くて苦手だったんですよ。でもプロレスって、試合中に出血しても、セコンドがたくさんいるのに誰も止めないじゃないですか。それに対して「え、何それ? なんで誰も止めないの。意味わからん」と感じていましたね。

プロレス観戦をブログに載せたら……

――ではいったい、どのようにしてプロレスにハマっていったのでしょうか。

赤井 2012年からラジオ日本の『ラジオ新日本プロレス』という番組でアシスタントMCをやらせていただくことになって、新日本プロレスの試合を見るようになっていったんです。その時は中邑真輔選手が好きで、「かっこいい、素敵だな」と思ってのめり込んでいきました。

 そこから徐々にほかの団体も見るようになっていったんですよね。「新日はほかの団体と比べてどうなんだろう」と勉強するために。

――いま所属しているDDTの試合も、その頃から見るようになったと。

赤井 DDTの試合を初めて見た時、ほかの団体とまったく毛色が違うので「なんだ、これは」と思いました(笑)。男色“ダンディ”ディーノさんがお尻を出したりする試合が注目されがちですけど、バッチバチに戦う試合もあって、幅が広いんですよ。所属している選手のキャラも豊富で面白くて、団体自体が1つの“オモチャ箱”みたいに感じましたね。

――DDTの“沼”にハマってしまって、試合を観に行くようになったんですね。

赤井 そうです。試合を観に行ったことをブログに載せたら、それがDDTの高木(三四郎)社長に知られてしまったんですよね。それで社長と食事をすることになって……。

――その時に、DDTに誘われた。

赤井 DDTが運営している居酒屋さんでごはんを食べたんですけど、社長と選手何人かに囲まれて、逃げ場がない状況で誘われましたね(笑)。でも食事に行く時点で、なんとなく誘われそうな気がしていたんですよ。だから覚悟はしていたんですけど、実際に誘われた時は、「うわ、本当に来た!」と思いました。

プロレスデビューを決意した理由

――赤井さんの答えは?

赤井 社長には「すみません、ここですぐにお返事できないので、持ち帰らせていただきます」と伝えましたけど、その時点では80%断ろうと思っていました。私がプロレスをやるということでプロレスのハードルを下げたくなかったんです。「芸能人が片手間で始められたんだから、プロレスは誰でもできるんだ」と思われたくなくて。

 自分がプロレスをめっちゃ好きになっていて、リスペクトがあったからこそ、断わろうとしていたんですよね。

――そこからプロレスデビューに翻意した理由は、何だったのでしょうか。

赤井 その時はもう、プロレスという文化が好きになっていたんです。でもほかの人たちは普通に日常生活を送る中で、プロレスを知る機会がない。いまは“プロレス芸人”さんとかがたくさんいらっしゃって、いっぱいプロレスの話をして広めようとしてくださっていますけど、当時はそこまで多くなかった。

 だから、大好きなプロレスを自分なりの方法で広めることはできないかと考えたんです。そしたら「私はもう、選手としてしか広めることができないのかもな」と思い始めて、「私がきっかけでDDTを知ってもらったり、ほかの選手を好きになったりしてもらえたらいいな」と思うようになって。それで、1か月くらい悩んでからプロレスデビューを決めました。

――周りの人には相談されたんですか。

赤井 母に相談したら、「プロレスをやるなら、親子の縁を切る」と大反対されましたね。母としては、モデルや芸能のお仕事をしてるから娘を1人で上京させたのに、プロレスをやるのは話が全然違うじゃないか、という意見だったんです。「京都に帰ってきなさい」とも言われました。

――お母さまとは、どうやって折り合いをつけたんでしょう。

赤井 私のプロレスに対する思いや考えを伝えたんですけど……それでも大反対されたので、「理解してもらえないならしょうがないな」と思って、母と連絡を取るのをやめましたね。

 でも2013年8月に両国国技館でプロレスデビューをした時、母を招待したんです。私の試合だけじゃなく、私が好きな団体の試合を全部見てほしいなと思って。なんで私がDDTでデビューしたいと思ったのか、なんでDDTを好きになったのかを見てほしかった。

母のアドバイスと父・赤井英和から贈られた言葉

――お母さまは観に来たんですか?

赤井 観に来ました。

――赤井さんには、どんな言葉を?

赤井 私が試合中に口から血を垂らしていたんですよ。それがすごく心配だったみたいで、「これから試合をする時は、マウスピースをしなさい」と言われて。あとは、「ビビってるのが目でわかるから、目にクッと力を入れて、試合前から負ける顔をするな」とも言われましたね(笑)。

――本気のアドバイスをくれたんですね(笑)。ちなみに、お父さまにはプロレスデビューを伝えていたんですか?

赤井 プロレスデビューのことは、人づてに伝えてもらいました。そしたら父も「えっ?」と驚いてましたね。でも父は、リングでライトを浴びて人前で戦う楽しさとか、試合中にアドレナリンがバッと出てるような刺激をファイターとして知っている人なので、「ケガだけには気をつけて、悔いないように楽しんでほしい」と理解してくれました。

写真=石川啓次/文藝春秋

2年前