「お父さんは私のこと知っているのかな」父・赤井英和とは14年間会えず…赤井沙希(35)が幼少期に抱えていた“複雑な想い”

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4/30(土) 11:12配信

文春オンライン
父・赤井英和との再会は「子どもの頃の自分が救われるよう」

プロレスラー、タレントの二足の草鞋を履いて活躍を続ける赤井沙希さん(35)。元プロボクサーで俳優の赤井英和さん(62)を父に持つことで有名だ。が、彼女は世間が思うような“二世”とは少し異なる。幼い時に両親が離婚したため、父親の記憶がほとんどないまま育っているのだ。

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 そんな赤井さんが父・英和さんと再び顔を合わせるようになったのは、芸能界に入ったことがきっかけだという。いったいどのような形で、彼女は父親との再会を果たしたのか。そもそもなぜ、芸能界に足を踏み入れることになったのか、話を聞いた。(全3回の1回目/ 2回目に続く )

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中学2年生の時に京都の四条大宮でスカウト

――まずは、赤井さんが芸能界に入ったきっかけを教えてください。

赤井沙希さん(以下、赤井) 中学2年生の時、京都の四条大宮を歩いてたらスカウトされました。でもいきなり声をかけられたから、とりあえず怖いじゃないですか。だから「親と相談してからご連絡させていただきます」と言って名刺だけいただいたんです。

 家に帰ってから母親に相談したら、「高校に上がってからなら(芸能活動をして)いいよ」と言われて。私はエスカレーター式の私立の女子中学校に通っていたんですけど、勉強が苦手すぎてエスカレーターで高校に上がれない可能性があったんですよ(笑)。母親としては、とりあえず中学校でちゃんと単位を取って高校に行ってほしかったみたいで。

 だから中学の時は勉強を頑張って、高校生になってから関西でモデルの活動を始めました。

――ということは、もともと芸能界やモデルの仕事に興味があったのでしょうか。

赤井 お化粧とかヘアメイクには興味があって、中学生の時はデパートにいるような美容部員さんになりたいと思っていました。でも、芸能界自体には興味がなかったです。

――では、なぜモデルの仕事をやってみようと?

赤井 実はスカウトされる前から、地元の美容室でヘアモデルをやったりしていたんですよ。その時に写真を撮られることや、カメラマンさんとの空間づくり・雰囲気づくりが楽しいと思い始めていたんですよね。

 それに私はずっと身長がコンプレックスだったんです。小学6年生の時に160センチあったんですけど、中学生になってからさらに伸びて。その頃は厚底ブーツとかルーズソックスが流行った時代だったんですけど、私が厚底ブーツを履いちゃうと周りの子より頭1つ分も背が高くなっちゃうから、履くのを我慢していたり……。

「高校1年生の時に冨永愛さんの写真集を見て……」

――モデルの仕事なら、そのコンプレックスを生かせると思った?

赤井 そうです。高校1年生くらいの時、友達から「この人知ってる?」と言われて、冨永愛さんの『VOGUE』の写真集を見せてもらったことがあったんです。それを見て「身長が高くても、こんなにかっこよくなれるんだ!」と衝撃を受けて。その時に「モデルは、自分の身長の高さを長所にできる仕事なんだ」と実感できましたね。

――2004年、17歳の時には自身初の写真集『Saki』を発売されました。

赤井 私の母と父(赤井英和)は離婚してるんですけど、親の都合で子どもの名前が変わるのはかわいそうと思った母が、名字を「赤井」のままにしてくれて。だから私は本名が「赤井沙希」なんです。でもモデルを始めてからは、下の名前の「沙希」だけで活動していました。芸能やモデルのお仕事をするのに「赤井」という名字が嫌だったので。

 17歳で写真集を出す時も、事務所とは父親のことを隠したまま「沙希」として発売する約束だったんです。それなのに、発売日になったらメディアに「赤井英和の愛娘17歳、衝撃デビュー」と書いてあって……。

――勝手に公表されてしまったと。

赤井 皆さんは普段お仕事をする時、「私の親は誰々です」っていちいち言わないじゃないですか。私もそれと同じ感覚でいたんですけど、発売日に思わぬ形でバーンと出されちゃって。京都の実家まで週刊誌の方々がワーッと取材に来て……。

 でも出ちゃったものを否定するのも変なので、世間には「赤井英和の娘」と認識されたまま活動を続けましたね。

――その写真集を発売したあと、お父さまと再会されたそうですね。

赤井 写真集を出す時に、「芸能界でお仕事をすることになりました」と人づてに連絡して報告していたんです。そのあと、14年ぶりくらいにホテルで会いました。

――赤井さんが2、3歳の時にご両親が離婚されたそうですが、それ以来の再会だったのでしょうか。

赤井 いや、私が幼稚園の時に父がこっそり運動会を見に来ていて、その時に会っているらしいんですよね。でも、ほぼ記憶はないです。

 だから私の知っている父はずっと「テレビの中にいる人」でした。子どもの頃はテレビを観ながら「私はこの人がお父さんって知ってるけど、お父さんは私のことを知ってるのかな」とか、父がテレビで家族の話をしている時も「これは私の話ではないんだよな」とか……複雑な思いを抱えていましたね。当時はさみしくて、家族に見つからないように布団の中で泣いていたこともあったし……。

 母は厳しかったけれど、たくさん愛情を注いでくれて、女手一つで何不自由なく育ててくれました。でもやっぱり心のどこかで、お父さんがほしかったんだと思います。

――その「テレビの中のお父さん」と実際に対面してみて、いかがでしたか。

赤井 会う前は「私のことがわかるかな。会った時にどんな顔をするのかな」という不安と、父に早く会いたいという気持ちがごちゃ混ぜになっていたんですよ。芸能界の大先輩だから、ちゃんと挨拶しないといけないという気持ちもあったし。

 でもホテルで会った時に「今までの溝をこれから埋めていこうな」みたいに言われて。「ああ、こんなにも私が欲しかった言葉を言ってくれる人なんだ」と思って、うわーって泣いちゃいました。さみしい思いをしていた子どもの頃の自分が救われるような気もして。

――テレビの中のお父さまとはイメージが違いましたか?

赤井 私の中では勝手に豪快なイメージを抱いていたんですけど、会ってみたら包容力があるように感じました。私が欲しがっている温かい言葉をかけてくれる人だなと。
どうしても“赤井英和の娘”というイメージで見られる

――その後、お父さまとは頻繁に会うようになったのでしょうか。

赤井 何回か私の仕事現場に来たことはあったんですけど、それくらいですね。でも、そもそも母と父はだいぶ前に離婚していて、父には父の家族もいるので。私は母に育てられてきて、父を頼って生きてきたわけじゃない。父と会わないことで「あったものがなくなる」わけじゃないから、いままで通り過ごしていましたね。

 それにいま思えば、父は芸能人としての顔も持っていて、いろいろな人が関わっている立場なので、私に会いづらい状況もわからなくはないんですよね。

――赤井さん自身も芸能界で活躍するようになっていったからこそ、お父さまの気持ちを汲めたんですね。

赤井 私もどんどんバラエティ番組とかに出るようになっていきましたね。2008年頃からは、『クイズ!ヘキサゴンII』にも出させていただくようになって。私は勉強ができなかったんですけど、当時はちょうど“おバカブーム”だったので、プロデューサーさんから「沙希は勉強しなくていい」と言われて、「勉強しなくていいんだ、ラッキー」みたいな(笑)。

 でも、昔から母に「家族が恥をかくようなことはしないように」と言われていたし、どうしても“赤井英和の娘”というイメージがついてきちゃうから、周りからの見え方ばかりを気にしていました。(島田)紳助さんとかによくいじっていただいたりしていたんですけど、父の話を振られても全然記憶がないし、わからないから、うまく返せなくて。当時は「私はうまく番組にハマっているのかな」と不安な気持ちでした。

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