【家族のかたち】両親の離婚で誰と住むのか選択を迫られた…今度は自分の離婚で選ばれる立場に~その1~

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11/21(日) 9:10配信

サライ.jp

【家族のかたち】両親の離婚で誰と住むのか選択を迫られた…今度は自分の離婚で選ばれる立場に

取材・文/ふじのあやこ

昭和、平成、令和と時代が移り変わるのと同様に、家族のかたちも大家族から核家族へと変化してきています。本連載では、親との家族関係を経て、自分が家族(パートナー)を持つようになって感じたこと、親について思うことを語ってもらい、今の家族のかたちを迫ります。

今回お話を伺ったのは、宏之さん(仮名・42歳)。現在、関西にある精密機械の会社で研究職の仕事をしています。宏之さんは30歳の時に結婚して男女2人のお子さんに恵まれたものの38歳の時に離婚、現在は一人暮らしをしています。
共働きの両親の下で6歳下の妹の面倒を見ることに。母親に頼まれたら嫌とは言えなかった

宏之さんの兵庫県出身で、両親との6歳下に妹のいる4人家族。父親は商社のサラリーマン、母親も宏之さんが小学生の頃には職場に復帰して、家にはいつも妹と2人きりになることが多かったと言います。

「私が小さい頃から妹が生まれてから幼稚園に入る前まで、母親は仕事をしていなかったと思いますが、記憶に残っている母親はいつもスーツを着て、僕よりも早く家を出ていっていました。その時に妹がどうしていたかはまったく覚えていないんですが、夜は2人きりになることが多くて、母親が用意してくれた晩御飯を妹の分まで温めてあげたりはしていましたね」

妹さんとの仲はどうだったのでしょうか。

「普通です。男女なんで、嫌いとか負けたくないとかのライバル意識もありません。それに6歳も年齢が離れていると、妹が小学生の時に私は高校生ですから。小学校さえかぶっていません。小さい頃は妹が怖がりだったから小学生低学年まで一人でお風呂に入れなかったんですよ。いつもは母親と一緒に入っていたんですが、私にお願いされる時もあって。私が小学生の頃はしぶしぶ一緒に入っていましたが、正直嫌で嫌で。だったら一日ぐらい風呂を我慢しろよ!とさえ思っていました(苦笑)。中学に上がってからは常識的に一緒に入るものではないと、お風呂の扉の前で妹が入っている間待機してあげたりしていましたね」

母親から何かを頼まれる時につく枕詞「お兄ちゃんなんだから」を言われると、抵抗する意欲もそがれていたとか。

「好きで兄をやっているわけじゃないんですけどね。6つも下だと、ケンカで本気になるとこちらが全面に悪者になってしまう。男女の体力の差もあって、兄妹ゲンカはいじめみたいになりますからね(苦笑)。何かを母親に頼まれる時や、私が我慢しないといけない時に母親は決まって『お兄ちゃんなんだから』という言葉を使っていました。でも、妹にも『お兄ちゃんはこんなことしない』と怒っている姿を見たこともあったので、まぁお互いさまというか、抵抗する気持ちにはなりませんでしたね」

両親の離婚でどちらと住むのか選択を迫られた時、自分の感情に正直に「母親」と答えた

母親や妹との思い出話は流暢に話される宏之さんですが、父親との思い出はまったく出てきません。不仲というわけではなかったようですが。

「私とは別に仲が悪かったわけじゃないですよ。でも、両親の折り合いが小さい頃からあまり良くなくて……。一緒に食卓を囲むこともありましたが、4人で楽しく過ごしたことは覚えていなくて。たまに母親が出かけていて3人になる時はいつも父親が外食に連れて行ってくれていました。そこでは母親のように食事中もうるさくないので、好きなものだけを思いっきり食べられたから、楽しかった記憶が残っていますね。母親は食事に関しては、野菜を食べろとか、しっかり噛めとかうるさかったんですよね」

そんな両親の不仲は中学生の時に別居まで進展することに。そしてその1年後に両親は離婚。妹が母親との生活を選択した時、一瞬父親のことがよぎったものの、宏之さんも母親との生活を選んだそう。

「夜に話し合いの場になって、どちらについていくかを選べって言われました。その時に母親は薄っすら目に涙を浮かべていて、離婚を嫌がっていた妹は大泣き。泣きながらも妹は母親に抱きついて離れずに、しっかりとした意思を感じました。私も父親が一人ぼっちになってしまうということが心の片隅にはあったんですが、母親と一緒にいたかった。その後も父親とは会える関係だったんですが、選択を迫られた時はお別れをするほうと二度と会えないのかもと不安になって、つい自分の考えを優先してしまって。

『母親といたい』といった時の父親の顔は覚えていません」

父親が持ち家だったマンションから出て行ったものの、定期的に会える時間はあったそう。しかしそこには、昔と違う子供たちに気を遣う父親の姿があったと言います。

「祖父母のように孫のようなかわいがり方で、私が欲しがったものを買ってくれるんですよ。その姿がご機嫌取りのように映ったこともあります。やっぱり一緒に住んでいないと、時間を作ってわざわざ会うしかないわけで、そこに気を遣っていたのかな。これは子供を持ったからこそわかる気持ちなんですがね」

宏之さんは母子家庭で15年育った後に結婚、そして離婚。子供と離れ離れで暮らすようになり、当時の父親の気持ちが痛いくらいわかるようになり。

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取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。

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